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ねこのいる暮らし
幼い頃から動物が大好きです。
小学生の時に初めてハムスターを飼った時のことは今でも覚えています。
とてもかわいくて賢くて、夜はニンゲンのお布団で一緒に寝る子でした。
名前はプーちゃんでした。
海の動物も大好きで、特にイルカが好きです。
おたる水族館の飼育体験に当たった時には、イルカを撫でたり(垢みたいなのが出てきた…!)セイウチにごはんをあげたり(口の中が生暖かった…!)と貴重な経験をしました。
あれよあれよと中学生になり、あれよあれよと不登校になり、その日も早退してクタクタになって帰宅しました。
インターフォンを鳴らそうとしたら、その下に三越の紙袋が置いてありました。
ご丁寧に二枚重ねになっていたのを覚えています。
マンションの人が忘れていったのかも、と思い周囲をキョロキョロすると、ちょっと遠くからこちらを見ているおばさんがいました。
…紙袋の中には、猫が入っていました。
わたしは迷いなくそれを手に取り、自宅のインターフォンを鳴らしました。
振り向いたら、おばさんが去っていくところでした。
学校へ行くこと、学校に居ることがしんどかったわたしに、神様(たぶんあのおばさん)が猫を授けてくださったのだわ!と都合よく受け取り(笑)7月に我が家に来た"ナナ"は、わたしの心のクサクサしたものをずいぶんと癒してくれたのでした。
彼女が、1代目の猫でした。
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ナナが早めの寿命を迎え、しばらくした頃、新聞の里親探しの欄で見つけた「茶トラ生まれました!」を見つけた父母と、茶トラを迎えに行きました。
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茶トラではなかったけれど(笑)ナナに似た模様の、ナナよりロン毛の"ねむねむ"が我が家にやってきました。
ねむねむと過ごした日々がいちばん濃いものでした。
最期の迎え方について母と意見が合わず、介護はとても辛かったのですが、ねむがいちばん辛かったはずです。
それなのに、ねむが旅立った後、わたしは自分が自分でなくなるような感覚になり、ひどく落ち込んだり、自暴自棄になって自分を大切にしないような行動を取っていました。
ねむがいなくなってからは、今度は母が猫を飼うことを許してくれませんでした。
しばらくするとわたしは逆に、家に動物がいない生活が耐えられなくなっていました。
人間とはうまくいかないことが多いわたしですが、動物にはよく好かれました。
そっと寄り添ってくれたり、くれなかったり、自由な振る舞いがまたとても好きでした。
うまく伝わるかわからないのですが、わたしはたぶん、自分以外の誰かを愛することが生きる力になるタイプなのだと思います。
数年後、保護猫カフェで出会った、くしゃみ鼻水をぶっ飛ばしていた3代目の"おびちゃん"を迎えた時には、うれしくて涙が出ました。
その時、わたしは人生で最も難しい状況にあったので、この子より先に死んではいけない、生きなければ!と自身を奮い立たせてくれる存在になりました。
先の2匹と同じような子に縁があったようで、またまたシマシマ模様でした。
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自分の置かれている状況から、いつかは猫のいない人生を歩まなければならないことはわかっています。
でも今は、おびちゃんがいます。
いま、母と実家で暮らすおびちゃんのために、わたしが出来ることはなんだろう。
自分のエゴではなく、おびちゃんのしあわせを考えた時、わたしがするべきこととは…?
だいぶ駆け足になってしまいましたが、実に25年に渡るお話でした。
思うままにスタスタ書いてしまいましたので、みなさまも駆け足で読んでいただけたら助かります。