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[エッセイ]二つ以上の居場所をもつこと

ぼくはふたつの異なる性質のものを同時に備えるのが好きだ。

運動の習慣をもつこともあれば、本を読む習慣をもつこともある、みたいなことだ。それは時期によって入れかわる。

みんなそういうものかもしれない。人間みな夏には涼しさを求め、冬には暖かさを求める。

だから自分の生きていく環境とかコミュニティとかいうのも、二つ以上あった方がいい。一つのところで息苦しくなったときにもう一つが逃げ場所になってくれる。

ぼくは大学でもダンスサークルと文芸部の二つに所属した。ダンスの方はノリとテンポのコミュニケーションだ。それに疲れたら文芸部に参加する日を増やし、ゆっくりと好きなものについて語りあっていた。逆にダンスサークルの明るいノリに救われることもあった。


コミュニティばかりではない、自分の心の置き所もぼくには二つ必要だ。

「努力」と「自己肯定」の二つだ。「上昇志向」と「老荘思想」と言ってもいい。つまり自分を高みへと押し上げようとする意志と、あるがままの自分を受けいれる度量、ふたつのモードがぼくにとって必要なのだ。

このふたつは同時には成り立たない。少なくともぼくの中では。

自分を磨こうとすることはどうしても現在の自分の否定することにつながるし、あるがままの自分の受けいれるのならば努力は不要になるからだ。

ふたつのモードを適切に切り替えていくことでこれは成り立っているのだ。規則正しい周期ではないけれど、なにかの拍子にスイッチが入れ替わる。

「がんばる」モードに疲れたら「ハクナマタタ」モードへ。のんびりしすぎて自分の中に焦りや不安が生まれてくるのがわかったら、努力モードへ切り替えるのだ。

今自分にとって必要な考え方はどちらなのか?自分を見つめてその考え方に行動を一致させることで、平穏な気もちで日常を送ることができる。

建設的なダブルスタンダードだ。

人間が一貫していないと誹りを受けるかもしれない。まあその通りだ。一貫して生きられない人間もいる。



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