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好きな人にとっての「特別」を目指してはいけない。

「あなたは私にとって特別な人」
好きな人にそんなことを言われたら誰だってうれしい。

しかし好きな人の「特別」になろうとはしない方がいい。今日はそんな話。

大きな反響があった「嫉妬を構造化したらポリアモリーになった。」でも書いたが、僕は昔、自分の嫉妬心によく悩まされていた。

今思えばそれは「好きな人にとっての特別になりたい」という気持ちの問題でもだった。今日はポリアモリーになった今、改めてこの気持ちについて考えてみた。

ポリアモリーとは、お互い合意の上で複数の人と同時に恋人的な関係を築く恋愛スタイル。対義語はモノアモリー(「恋人は一人」という価値観)。過去のシリーズはこちら

■なりたかったのは、どっちの特別?

まず考えたのは「特別」とは相対評価なのか?それとも絶対評価なのか?という視点。つまり僕が目指していたのは、好きな人にとっての「1位」なのか、それとも「特別枠」なのか、ということだ。

これは「どちらか?」と聞かれるとむずかしい。
「絶対評価の特別枠」と言いたい気はするが「小島さんは特別枠だから安心して、相対評価は気にしないで」と言われてもどこか安心できない。

先ほどの質問を当時の自分に投げかけたら、おそらくこう答えるだろう。「1位になった後、『殿堂入り』みたいな感じで特別枠になりたい」と。

ワガママなやつだと自分でも思うが、当時の気持ちを正確に表すとそういうことになる。しかし結果的に、この発想が自らを苦しめる入口にもなった。

■特別を求める無限ループへ

「相対評価で1位になってから辿り着きたい」と考えた絶対評価の世界は「到達度評価」とも言われる。ランキングが基準となる相対評価とは違って、絶対評価では到達度が基準となる。

これによって新たな問題が発生した。相対評価では「○位以上が特別」など人数制限を設けることができるが、絶対評価にはそれがない。基準に到達さえすれば何人でも「特別」になり得るのだ。

もうお気づきかと思うが、ここからが「特別を求める無限ループ」だ。まずはそれを図で表してみる。

「1位になった後、『殿堂入り』みたいな感じで特別枠になりたい」などと考えると結局、上の図のような無限ループに陥る。
相対評価の世界では「もっと絶対的な存在になりたい」と願い、絶対評価の世界では「特別感を感じるために比較して欲しい」と願う。僕は当時、このループに陥っていた。

■結局、求めていたのは「他者との比較」だった

ここで改めて「特別」という言葉の意味に立ち戻ってみる。
僕はその言葉のゴールを「唯一無二」「絶対的な存在」と捉えていた。しかし「別(べつ)」という文字が表す通り、特別とは常に比較対象が必要な概念だ。

つまり「特別」は絶対評価ではなく相対評価を前提とした言葉だった。
では、相対評価を前提にして改めて「特別とは何か?」を図で表現してみる。おそらく、当時の僕が求めていた「特別」はこういうことだった。

相対的な1位であり、圧倒的な1位である。これが、僕がモノアモリー時代に求めていた特別の正体だ。そして特別感は、他者との差分によって生まれるものだった。
僕はどこかで引き立て役を探して、その差分によって「(自分は)好きな人にとっての特別である」と思おうとしていた。きっと自分の「自信の無さ」を特別感で埋めようとしていた。

■特別を捨てて、ポリアモリーへ

ポリアモリー(恋人複数派)という考え方に出会って、実践して、僕はようやく「好きな人にとっての特別でありたい」という気持ちを捨てることができた。
もちろん、好きな人にそう思ってもらえるのは相変わらずうれしい。ただ、自分から「特別でありたい」とか「特別になろう」という感情はもうない。
※その理由や構造はまたどこかで書けたらと思う。

モノアモリーだろうが、ポリアモリーだろうが、好きな人に対する自分の自信のなさを、他者との比較によって埋めようとする気持ちは早めに捨てられた方が幸せに近づけるはずだ。



ちなみに、ポリアモリーを知って「それってみんな特別ってこと?」と考えてしまった人は、当時の僕と同じように心のどこかで特別を求めている気がする。

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小島 雄一郎
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