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偏差値75には何も意味が無かった

私文は語る

私立文系の王こと、早稲田大学社会科学部。とある模試では偏差値75。両親も祖父母も周りに自慢するには十分すぎる数字。

このタイトルを見て、読んでくれなかった人の意見は分かる。「私文が何を偉そうに言ってるんだ」と。ご最もだ。

全く関係ない話だが、”しぶん”というのは、私のPCには記録されていない語彙らしい。何度打っても出てこないので、毎度「私(わたし)」「文(文系と打って一文字消す)」と打つのを繰り返す、私のダサい労力を想像しながらこの先を読んでいただきたい。

偏差値の意味ない派閥

4年間早稲田キャンパスで過ごした結果、想像を超えるすごい人間がうじゃうじゃいるという想像とは180°違う結論に至った。こいつら全然大したことない、と。

誤解を与えると良くないので、丁寧に補足すると、皆、教養もあるし、いい人だし、勉強もできる。ただ、大半は面白く無かった。こいつには負けられない、逆にこいつになら着いていきたい、というようなクレイジーな存在は見つけられなかった。

だいぶセンシティブな発信なので、事後処理的なフォローを重ねる。御厨がインキャすぎて出会えていないという可能性も大いにある。ただし、この先世の中を変えるような、志と行動力と愛嬌.etcを持っているような奴はやはりいなかった。私がアマちゃんだから類友の理論で、凄いやつが現れなかった説も大いにある。

ここで偏差値には意味がない派閥の論を展開する。
偏差値には意味がない。なぜなら、本当に世の中にインパクトを与えるようなやつを生み出すのには向いてないシステムだから。

一般的な優秀の定義に適う人間を、効率よく量産するためのシステムと言える。(細かい定義にあんま触れないでください。思いのまま書いているので)
そもそも外れ値の存在は、再現よく作れないから外れ値の才能とされるわけで、優秀の定義を一律に決めて同質的な人間を同質的に育てるシステムで、育まれるはずがない。

だから、歴史に名を残したり、世の中にインパクトを起こしたりする逸材が生まれるとは限らない。(否定ではなく、限らない)

偏差値の意味ある派閥

ただ、当たり前のことを言うが、偏差値は低いよりは高い、勉強できないよりもできる方がマシだと思う。

人間が何千年と生きて、ようやっと少し安定している社会ができた中、一般的な優秀の定義が、めちゃくちゃイケてないなんてことは無いであろう。

また、意味が無い派閥の論を取ると、外れ値が生まれる可能性は別にどこでも変わらないことになる。となると、偏差値75の世界の外れ値か、50の外れ値かどうか、という話になるので、色々難しくなってくる。

本田圭佑さんが環境にこだわれとよく言うように、強制的に視座が高まる環境に身を置くのは、何よりもの成長につながる。惰性で前進できるならそれに越した事はないし、自分の中でのコンフォートゾーンも自然と広がっていく。

どの起業家と話しても絶対言うのが、起業したきっかけは周りがしてたから、と言う話。「あいつがやってるなら、俺もやれる」というのは想像以上に効き目が強いのだ。

最も危険なこと

結論、偏差値なんてなくとも、そもそも大学なんか行かずとも、就職なんてせずとも、意志があれば何でもできると私は思う。

ただし、意志が生まれるためのきっかけは、場所によって異なり、良い場所を選ぶのが重要と言う意味では偏差値の高い場所は悪くいない。

ただ、気をつけなければならないのは、いい大学に入れたことも、いい会社に入れたことも、世の中で数え切れないケースがあり、何にも特別では無いということだ。いくつもある優秀の模倣でしかない。

数字ではなく、周りから褒められることではなく、お前が心の底から信じる信念を貫く先にしか、意味のある人生はない。

超絶パワハラ暗示を自分に掛けつつ、一旦、締めさせていただきます。

以上

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意志に生きたい人におすすめの本を下記に載せます。マジで全部読んだ方がいいし、読んだら僕に感想文を送りつけてほしい。

現代日本で最もイカれた人の伝記です。600ページもありますが、1日100ページ、1週間で読んでみてください。

世の中で最もイカれた人の伝記です。孫さんの本よりも上下巻合わせて長いですが、読んでみてください

ベンチャーキャピタルという特殊な職業の前提なのでややとっつきにくいかもですが、タイトルのまま「熱」の話しか出てこないです。

本屋の店頭に置いてないことがない「成瀬シリーズ」。学生時代のいじめも、空気を読むこともクソくだらねえなと思うはず。



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