感謝トレーニング day2 -怒りを手放せない人間
頭痛が酷くて寝込んでいた。day2の朝は目玉の奥底が燃えるように熱くて、そこから痛みが頭部を駆け巡っていた。私の怒りがまるで私を焼き殺すかの如く、稲妻が脳を走り回っていた。
思い出すのは屈辱。前職で私はただハラスメントをされただけでなく、理不尽な暴力に敗北したという屈辱を覚えた。以来、うつ病と頭痛に苛まれるようになった。薬のせいか、身体には脂肪がつきやすく顔も浮腫みやすい。だらしなく見える身体だ。とても30歳には見えない疲れた顔だ。
昔に30歳の頃の父を写真で見たことがある。その父より10歳は老いて見える。私の心身は疲弊し切っていた。
時折、死への渇望が湧く。死んでも悲しむのは果たして何人か。今思うと2人しかその顔が思い浮かばない。ただ、ただ。本当はもっといるはずだとも思う。私が屈辱に塗れてしまったがために、他人を信じる目が曇ってくすんで使い物にならなくなったのだ。そうとしか思えない。
痛みの中でなんとか意識を保ち、脳神経外科へと向かった。以前にも頭痛でお世話になった病院だ。話はトントン拍子で進み、私は高価な注射と頓服の、それも割高な頭痛薬をもらい帰路についた。
やはり患者の訴えに否定を被せずに聞いてくれて、その上で診断を下す先生はとても尊敬できる。本日はこの方にいちばんの感謝を捧げる。
感謝を意識すると、日常の景色が変わった。正確には私の瞳のフォーカスが変わり、「他者がしてくれなかったこと」から「他者がしてくれたこと」に変わるのだ。
帰りに自炊する気力も無い私はサイゼリアに寄った。ピザ、ドリア、ハンバーグとしばらく避けていたものを食べた。夏バテしやすい身体でもあるので食べれなくなる内にカロリーを摂っておこうという考えだった。水もグラスで5杯は飲んだだろうか。少し食べすぎな気もしたが、心が満たされたからか頭痛はその頃には弱まった。
店員さんに「ありがとうございました」と言われて「ご馳走様でした」と返した。私は飲食店では必ず「いただきます」と「ごちそうさま」を店員さんに言うことにしている。これは礼儀という面もあるが、本音は逆の立場ならば言ってもらいたいからだ。
同じ考えで接客をしていた頃はレジ打ちの際には笑顔と挨拶にだけは手を抜かなかった。それが客からの好印象と上司からの評価に繋がり、仕事を任されるようになった。今になると、頑張る自分を見てくれた客や上司に感謝すべきだったと思う。
果たして人は死ぬまでの間に、どれだけ他人の世話になるのだろうか。ふと生じた疑問。恐らく天文学的な数字になると思う。この関わる数は年々増えていく。昔は村の中で完結していたコミュニティが交通網、ネットと発達することで個人の世界は広まった。しかし、同時にそれは他者への意識の濃度の低下をもたらしたのだろう。
食べ物を作る人間が見えなくなった。水をお湯にするのも大した肉体労働ではなくなった。行動の一つ一つが簡易的になり、他者の力を借りている実感は無く。本来はただの代償でしかない金銭に対して大きな意味を持つように人間は変質した。それは悪いことではない。悪いことではないが、心の貧しさを呼び込みやすい要因ではあると思う。
昔、家族と不仲になり出した頃に「なぜ、家族を恋しく思うのか」と真剣に考えたことがある。やはり、いちばん支えてくれているという実感があるからだと結論付けた。しかし、当時は父に経済的DVを受けており、私はこの頃から人の行動を全て打算的に見る癖がついてしまった。今でも純粋な善意で助けてくれる人間を疑る癖がある。これは私に恋人ができない理由であると共に恋人を欲する理由になっている。ただ、翻せば無償の愛を求めているだけなのでやはり恋人でなく家族が欲しいのだろう。
会社の方が私の体調を気遣ってくれた。
ありがたい。
今の会社は転職したばかりだが良い会社だと思える。
私は恩義を軽んずる人間が嫌いだ。まだまともな業績を上げてもいないのに、体調不良で休むことを受け入れてくれた上司には恩義を強く感じている。
明日こそは体調を悪くせずに業務に励みたい。
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