感謝トレーニング day4. 愁苦辛勤
4日目。4日目に入ったということは三日坊主にはならずに済んだということだ。このトレーニングに効果を見出してはいるが、なによりも難しいのは継続することだろう。
感謝の力は偉大だと思うが、心に余裕がない自分を今日は感じた。何かに苛立っているのか、何にも余裕が無いのか。
家族と和解することはできない。心の底から許すという行為を僕はできないからだ。
感謝。
これを意識してから僕は他人の行いに対して義務的に感謝の念を表していただけで、本当に感謝していたのではないことを認識した。はいはい、ありがとう。というよりも、無理に納得してありがとうと言っている自分がいる。そのことで他者と円満なコミュニケーションが取れればいいと思っている。思っているが、感謝する程のことをされてないと感じているみたいだ。
傲慢。
どれだけ自分を大事にして欲しいのか。
これは子供の頃に愛されなかった反動だろう。一生付き合う心の傷だ。一方的に無償の愛を施されたい。
感謝トレーニングに感謝だ。
自身の汚い感情を、ありのままの汚点と心の底の欲求に気づけた。
生きることは草臥れる。
今日は晴れだった。夏の日差しの暑さは苦しいが、流れる汗と足元からの暑さは命の激しさを思わせる。心に猛り狂う怒りの炎、それとはまた違う。花火のように咲いては一間で消える儚さ。
生命は儚さだろう。
僕もやがて死ぬ。なんなら、これから寝て二度と起きないかもしれない。それでもいいと思う。それは身軽だから。生きるために生きているので、何か成し遂げたくて生きているわけでない人間の感情だ。
だが、果たしてそれは珍しい感情なのか?
現代では、というよりも他人に攻撃されえ自尊心を損なった人間が心に持つ欲望だろう。ただ、これも翻せばヤケクソになって大切にされないなら死ぬというだけだ。だから、これを僕に当てはめれば。
俺は大切にされたくてもがいている。大切にしてくれる人に出会えたら死にたくない。生きたい。
ということだろう。
命の熱と、冷めた心。最後に。本当に欲しいもの。
今日は自分の感情を感謝を通して覗き込んで、それに気づけた。
天気の良い日だった。
感謝
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