「現金掛け値なし」は何が凄かったのか
「現金掛け値なし」と言えば、呉服店である越後屋(現在の三越)が実施した歴史的にも革新的なビジネスモデルを現した言葉です。
掛け売りをしないで、正札どおりに現金取引で商品を売ること。元禄(1688~1704)ごろ、江戸の呉服店三井越後屋が始めたという商法。
※コトバンクより
とはいえ、今の時代の我々からしたら「当り前じゃね?」とイマイチ凄さが伝わってきませんので頭の整理を兼ねてここに凄さを記します。
当時はツケ払いが普通だった
当時の呉服店というのは、ツケ払いが普通でした。それをいきなり現金払いにしたのが、越後屋です。当時の一流の呉服店は、前もって注文を聞き、後ほど品物を持参する見世物商いと、直接商品を持参して売る屋敷売りが一般的であり、支払いは、盆・暮の2季節払い等が慣習だったようです。そうなると、貸し倒れリスクや掛け売りの金利が発生するので、商品の価格も高くなり資金効率も悪いですよね。なので、三井高利は店前売りに切り替えて、商品の値を下げて現金取引を奨励したのです。
価格は人によって変える
当時は、呉服というものは売る相手によって価格を変えていたようで、「一見さんには高く、なじみ客には安く」が普通でした。なんかとてつもなく京都っぽい慣習ですよね。そういった一物多価の時代に越後屋は、「どんなお客さまにも、同じくお安い値段で提供します」と言い切りました。
店頭での販売のみ
また、富裕層家庭への訪問販売(屋敷売り)や、店頭で注文を聞いて後とで自宅へ届ける(見世物商い)のが中心であった商売を、店頭での販売だけにしました。当然、その分配送料等のコストは下がり、価格を下げることが可能となりました。
新しいビジネスモデルはいつでも嫌がらせをされる
当時、とてつもなく革新的だったこのビジネスモデルは消費者の需要を捉えスマッシュヒットとなりました。ただ、どの時代でもそうですが既存の事業者は、新しいビジネスモデルを好みません。今まで儲かっていたのに、新参者が邪魔をしてくる、そう考えがちだからです。実際に、以下のようにめっちゃ嫌がらせを受けていました。
開店当初は苦戦をしますが、高利らは時代の流れを読み、新たな顧客の開拓を考えました。訪問掛け売りではなく、店頭において安く現金で切り売りする、薄利多売の商売を始めたのです。これは多くの顧客から支持を得て、またたく間に売り上げを伸ばしていきました。しかし、これは同業者の反感を買い、数々の激しい妨害や、あくどい嫌がらせを受けます。駿河町に移転したのは、そういう事情もあったのです。
まとめ
「現金掛け値なし」という言葉、ぼんやり聞いたことがありましたが調べてみると、当時としてはかなりの革新的出来事でありイノベーションというに相応しいものであったこと、イノベーションはいつの時代でも旧態依然としたプレイヤーからは嫌がられることなどがわかりました。
嫌がらせの内容も店の前に糞尿をまかれるなど過激な事象もあり、かなり大変だったとは思いますが、圧倒的な消費者ニーズがあればいずれ勝ち残ります。業界の慣習による軋轢はあれども、やはり見るべきは消費者ニーズでありインサイトであるなあと改めて感じた次第です。
三井家は、この呉服店ビジネスを契機に金融事業に参入、のちの三井財閥となります。巨大となった企業も、小さなビジネスから始めて大きくなっていったんだなあとしみじみ感じました。歴史を勉強するのって楽しいですね。