死んだら楽?
(先日衝撃的な出来事があり心を整理するために殴り書きしています、ご了承ください。)
今日も世間は誹謗中傷について意見があふれている。
今もそのニュースでもちきりだ。こればっかりは消費されないニュースであることを願うばかりです。
命が1つ無くなってから、後悔や本人の葛藤、苦しさに気づいても周りが気づくだけで、その命を殺めた本人は周りが気づいたことさえ、気付いたかどうかも知らずに死ぬ。
上京し両親が帰って1日目の夜、
テレビもなく寂然とした私の部屋に
女性の泣きじゃくる声が響いた。
誰かと電話してる感じで
苦しそうで、どうもやり切れなそうな泣き声で
辛いことがあったんだな、と思った。
泣き声に紛れて微かに聞こえてくる
「一人になりたい」「もう人を信じられない」
「疲れた」 「誰も分かってくれないの」「もう無理」
「私の病気をわかってもらうなんて無理だよ」
たまたま聞こえてきてしまった他人の私でさえ
悲しい言葉でいっぱいでとても悲しくなった。
呼吸も間にならない程に泣いていたから温かいお茶でも入れてあげたいな、声をかけようか迷った。
でも、このご時世だ、コロナで嫌がられるかもしれないと思ってやめておいた。東京だし、お節介とかやりすぎと思われても住みにくくなるし。
私は親が仕事頑張れるようにとプレゼントしてくれた新しいマットレスのおかげでぐっすり寝れて気持ちよく起きた。
お茶入れようと火にかけた時
救急車の音。救助隊の声。
気がついたらハシゴがかけられていた。
嫌な感覚が過ぎった。
風を入れようと窓を開けていたせいで
全てがはっきり聞こえる
「施錠外せますか?」
「30代女性ぐったりしています」
「一酸化炭素?」
「関係者に解錠の許可を」
「聞こえますか~?返事出来ますか?」
「〇〇病院受け入れ確認を」
昨夜泣きながら階段を上がっていった音がしたし「私だって30歳になってやっと知ったの」と話し声が聞こえていた。きっと昨夜の女性だ。
どうか助かっていて、と願った。涙が溢れた。
この世に自分で命を絶っていいことなんてない。
命を殺めたくなるほど彼女を追い詰めたのはなんだろう、そんな心になってしまったのはなんでだろう、どうしてそこまで苦しくなってしまったんだろう、って一人でいるせいで頭の中がそれでいっぱいでになった。抜け出せなくなった。憤りを感じ始めた。怒りが込み上げてきた。苦しくて泣けてきた。だから今から心を休ませに参拝に行く。上の階で辛くなってしまった女性のためにも、私の心のためにも、この世の中のためにも、思いを吐き出すために外出させてもらいます。
私には叔母がいるはずだった。
叔母は、ちょうど今の私の年齢で難病を発病し
婚約していた彼と、わたしをお腹に宿した母親と
家族を残したまま若くして天国に行きました。
母親はいつも何かある事に私と叔母がふとしたときの性格からやりたいことからこだわることがよく似てると言ってくる
留学がしたかったらしい。お洋服はプチプラよりよく見て買うらしい。化粧品集めてたらしい。喋り方がそっくりらしい。
わたしはその叔母が生きていたら、こんな話がしたいあんな話もしたいと思うときが沢山ある
きっと叔母も生きてたら旦那さんと結婚式あげて
子供育てながらおばさんになっていたかったと思う。
父親も2年前意識が戻るか、命が助かるか分からないほどの追突事故をされた。後遺症はまだあり出来ないことが増えたが、意識戻ってすぐからびっしょびしょの汗をかいてリハビリをしてきて、話せるようになり歩けるようになった。辛い時もあったと思うが精一杯生きている。
命を自分で殺めていいことなんて無い
それがどんなに辛くても、苦しくても、どうしようもなくても
絶対にない
死んだら楽?
死んだらその''楽''さえも感じられない。
こうゆう出来事を目にする度、苦しくなる。
私の家族で生きたくても生きられなかった人の命と
苦しくて自分で命を絶った命と
でもその与えられた命は何にも変えられない。
叔母がしたかった留学をした、趣味が似ていて、話し方が似ていて、考え方が似ていて、叔母のようにコミ力もある私は、たまに生まれ変わりなんじゃないかと思う。
叔母の婚約者さんはいつもお盆にお参りに来てくれていたんだけど、その時幼いながらいつも嬉しくてたまらなかったんだ。
わたしも身体は強くないし、思うように動かない。
すぐ疲れてしまうし身体を壊す。人に正直に自分の悩みを言うのは得意じゃない。でも生きてるだけで丸儲けじゃない?
私は一生懸命強く生きたい。