その焦り、意味ある?
世界を見廻すと、素晴らしい作品が溢れていて、僕はよく焦ってしまう。
焦って、焦って、ずっと焦ってもう15年くらい焦っている。
その間、何もしてこなかったわけではない。
音楽は続けて来て、作品もつくって来た。
自分が欲しい結果は得られてはいないけれど、予期していなかった良いことも沢山得て来た。
それでもなお、焦っている。
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こないだツイッターを見ていたら、葉月つばさんというグラビアモデルさんがこんな呟きをしていた。
「1年前に」この言葉にハッとした。
俺は1年かけて、ひとつの作品を完成させたことはあっただろうか?
1年もの長い期間を見据えて、作品を計画したことはあっただろうか?
(1年を長いと捉えるか、短いと捉えるか、その感覚も人それぞれなのだろう)
この1年も同じように焦っていたと思う。
けど、葉月さんは1年かけて、ひとつの作品をこうして世に出した。
俺は、焦るばかりで結局、これぞというものは出せていない。
作品は沢山作っていて、いいのも結構あるんですけど、そういうことではなく。
そう考えると、俺がずっと抱えている焦りは、なんの意味もないのではと急に思えて来た。
焦って、何もできてないなら、焦っても意味ないし、
焦って、中途半端な作品を沢山作るくらいなら、あまりいい焦りではないのでは、と。
なぜ焦るのか。
それは、他の人の結果を羨ましく思い、自分も求めてしまっているから。
でも、結果を欲しがるばかりで、結果を得るための手段や経過を疎かにしていたら、絶対それは手に入らない。
結果を欲しがるばかりの行動なし人間を"意識高い系"と呼ぶのかもしれない。
結果を欲しがるのは決して悪いことではないけれど、
まずはひとつ作品を、自分なりに「これなら勝負できる」という作品を、1年後でも半年後でも
いいから、焦らずに集中してつくることが、今の俺には必要なんじゃなかろうか、と思った。
作って世に出すスパンが長いと反応もないし、自分は何もしてないと思われたりするのが怖いとか思ってしまうから、何かを焦ってやろうとしちゃうのだけれど、
そういうものは大抵意味がないし、そういう時こそ自分自身と向き合って、頭を真っ白にすることが大切なんじゃないか。
そう思ったので、短期的に作らなければいけない作品もつくりつつ、中長期的に見た作品もつくっていこうと思います。
と言いながら、実はやらなければいけないことでこの2週間テンパっています。がんばれ、俺!!