note再開!天命を知るために
昨日8月13日はわたしの誕生日でした。1974年生まれということは…なんと50の大台です。このタイミングで、ここ1~2年を、もっというと自分の半生を振り返らざるをえない状況も重なっていたので、ふたたびnoteに向き合ってみることにしました。
本当は昨日からのほうが良かったのかもしれませんが、人生100年時代の折り返し地点と思うくらいの図太さで、50歳と1日目から再スタートです。
そんな訳できょうは、具体的なきっかけを備忘録として書いておくことにします。
ひとつめは、昨年note100日チャレンジしてたときのお仲間(https://note.com/dreamer_siho)と会ったこと。
ていうか、なんかもう書いてるし!(笑
この行動力ですよ、書いてしまえば、言ってしまえば、そのために動く。
見習うしかないじゃないですか? やっぱりかっこいいです。
ふたつめは、きょうの昼間に大学時代の友人たちと会ったこと。
note界隈とか、行政書士界隈とかはまったく関係ないところで、なにせ30年前のことから最近のことまで、お互いのこと身内のこと、聞いたり話したりして、俯瞰して考える機会となりました。
90年代ミュージックがいま来てるってよ、なんて話も実感持って語り合えるのは、やっぱり同級生ならではです。あー楽しかった!
で、ここのところの自分、視野が狭すぎだと気づかされました。ただでさえ老眼が…なのに、視野が狭くなるなんてとんでもないことです。
書くことが思考を深め、その効果が大きいのはもう知っている、ならばやらねばなるまい、と。
みっつめは、誕生日の前日に、ホロスコープリーディングを受けたこと。
じつは妹が西洋占星術をできるので、オンラインで深堀りセッションをしてもらったのです。占星術の見方や奥深さをとってもわかりやすく伝えてもくれたので、すーっと入ってきました。
わたしの場合、書いて自分を表現するのはすごく良いと後押ししてもらったんですね。全面的に信じてみようと思えました。
これだけでなく、セッションで得た自分を理解するための言葉の数々は、整理したらもっと行動につなげられそう。
そもそも、わたしにとって50というのは、ひとつの目安にもなっていたことも思い出しました。
↑に書いた母の言葉。「50代・60代なんて、なんでもできるわよ。」
だからやっぱり今日がスタートラインでいいんです。そういうことにします。
孔子曰く「四十にして惑わず」が、わたしにとってはもっぱら惑いまくりの40代だったわけで、「五十にして天命を知る」なんて高尚な境地にはほど遠いですが、気持ちだけは、書くことでわずかでも知るきっかけになればよいな、と思います。
久しぶりすぎて書き方忘れ、見出しもない書きなぐりになってしまいました。リハビリしつつ続けていきます。