組織に『嫌われ役』って必要?
組織の話になるとよく『嫌われ役』が必要といわれます。
『嫌われ役』の定義は置かれている立場や役割によって異なるのでしょうが、一旦ここでは『(物事を良い方向に導くために)他者の利益や立場は無視して行動したり、他人が言いづらいことを言う人』とします。
ただ、その前提には『嫌われ役』の発言はあくまでも企業や事業を軸としていることが大事であり、個人的な考えや感情で話してしまうようだとそれはただの自分勝手な人なので、そこは間違わないようにしましょう。
※それは『嫌われ役』ではなくて単なる『嫌われ者』ですね(苦笑)
また、当の本人は「物事を良い方向に導くために」発言したり行動したりするのでしょうが、実際にはそれが必ずしも『正解』ではなく、実際には誤った方向に進むような内容だったりする場合もあるので本当に『嫌われ役』として機能しているのか判断は難しいところではあります(苦笑)。
ちなみに『嫌われ役』は正論や厳しいことを言うことが多いと思いますが、別に厳しいことを言うから『嫌われ役』になるということではありません。
厳しいことを言う人であっても、言われる側の立場の人との信頼関係がしっかりできていれば『嫌われ役』と思われることはないんじゃないかなって思います。僕は『嫌われ役』と言われる人たちは周囲との信頼関係ができていないのに厳しいことを言うから、結果として『嫌われ役』になってしまっているんだと思います。
※あとは「言い方の問題」っていうのも大きいと思います。
『嫌われ役』がなぜ必要なのか?の議論になると、よく言われるのが「社員に甘い人ばかりだと企業や事業の成長が滞るので、たとえ嫌われてもいいから厳しいことを言う役割の人が必要だから」といわれます。
それも一理あるかなと思いつつ、逆に言うと社員に甘い人があまりいなければ『嫌われ役』は必要ないということですね。
僕はそこがけっこう重要だと思っていて、特定の『嫌われ役』に組織の衰退の歯止めや成長を任せるのではなくて、もっと社員全体が甘えることなく成長に向けて活動できるように仕向けるのが本来のあるべき姿だと思うし、健全な姿だと思います。そもそも『嫌われ役』なんて損な役回りを組織につくらないといけないという状況自体が不健全ですし、組織が真の意味で成長していくとは思えません。
部下に『嫌われ役』がいてくれると上司はすごく楽ができると思います。だって(本来自分が言わないといけないのに)言いたくないことを代わりに言ってくれるんだから。でも「それで良いんですかね?」って思います。自分が思っていることは自分で言うべきだし、言われて相手が納得しなかったり不満に思ったりするのであれば、それは単純にコミュニケーションが不足しているし、信頼関係ができていないからでしょう。なので、やるべきは誰かに変わりに言ってもらうことではなくて、まずは信頼関係を築くことでしょう。「組織には嫌われ役が必要だ」などというもっともらしいことを言って、やるべきことから逃げているのではダメだと思うのです。
『嫌われ役』の人も「自分はそういう役割だから」と開き直ることがあります。でも先述のように本来は必要ない役割なわけです。一時的に『嫌われ役』を買って出て、組織を活性化させていくということはあるでしょうが、何年経っても『嫌われ役』のままだったら、その人は『嫌われ役』として機能していないといえます。
『嫌われ役』がいることによる弊害も起きます。周囲がその『嫌われ役』の人に対して忖度しだすのです。『嫌われ役』はその役割から厳しいことを言うことが多いですが、それを嫌がる人は挑戦することを控えるでしょうし、問題が起きても伝えないようにしていきます。また、自由に発言できる環境も乏しくなり、みんな無難なことしか言わなくなります。
※人はみな精神的にタフな人ばかりではないのですから。
結果として、組織活性化のために『嫌われ役』がいると思っていたのが、実際には組織活性化を妨げる要因にもなりかねません。
企業や組織の形は千差万別だと思うので、別に『嫌われ役』がいることが前提の組織構造になっている企業があっても良いとは思います。
※あとは働く人たちがその環境を良いと思うかどうかの話になるので。
ただ、僕としてはそういう役割の人は一時的にはあっても良いと思いつつ、恒久的には必要ないと思います。そのような役割が必要な組織は未熟だと思いますし、単純に楽しくないなと(笑)。『嫌われ役』を置いて組織を整えていくよりも、社員全員に対する取組みの方を増やしてみんなで同じ方向を向いてやっていくのが組織の醍醐味だと思う次第です。