憧憬・ここではないどこか・高円寺
高円寺まで電車で1本の町に住みはじめた。
高円寺は憧れで、畑と家とスーパーに囲まれた田舎で過ごしていたわたしにとっては、夢そのものだった。ロックはいつも高円寺を歌う。彼らの思い出はセピアで、輝いていて、1度も行ったことがない高円寺がなぜか故郷みたいに思えた。
地元は嫌いだった。小1で引っ越してすぐの頃、朝掃除のグループの子に、「掃除なんだから遅刻しないで」と言われた。そりゃあ遅刻はよくない。それも他人に迷惑がかかるなら尤もだ。ごめんなさい。けれど直後その子は、遅れて入ってきたAちゃんに「Aは家が遠いから仕方ないけどね」と言った。Aちゃんの家は、わたしの家からちょうど100mくらいのところだった。
田舎というと、そよ風に包まれる畦道を想像されることも多い。わたしの地元は田舎といってもそんな綺麗なものではなく、周りには本当にガソリンスタンドとスーパーと家しかなかった。1時間に1本しか電車が出ない最寄り駅までは、歩いて45分かかる。郷愁という素敵な響きのことばは、きっとこの町を示さない。
いつもずっとここじゃないどこかに行きたくて仕方がなかった。地元にいるとまるで世界から隔離されているみたいで怖くて寂しくてどうにかなってしまいそうだった。部屋が散らかっていて、夜に目的もなくひとりで散歩するなんて絶対に認められなくて、はやく何もかもから逃げてしまいたかった。息苦しかった。町の中でひとりになりたかった。町の外で誰かといたかった。
ここに来てから、4回高円寺を歩いた。大好きなバンドのMVを見ながら画面のなかと全く同じ道を歩いてみたりとか、学校帰りに初めて古着屋に入ってみたりとか。北口のデニーズは静かで、メニューの江口寿史のイラストがかわいいので気に入った。地元にはなかったデニーズ。
憧れバフでなにもかもが新鮮できらきらして本当にいい町だと思った。人通りのちょうどよさ、静けさ、駅前の文禄堂、かわいい古着屋、カフェ、サブカル、なにもかもが完璧だ。
そんな調子で、「わたしの高円寺」が形成されていく。ふと思った。わたしはここに住みたいのだろうか。毎日商店街を通って古着屋を見ながら帰ったり、本を読みにかわいいカフェに行ったり、憧れのひとたちも行ったのであろうカラオケでたくさん泣いたり、環七を散歩したり、まだわたしにとっては夢みたいな、そういうことが、住んだらきっとできるのだろう。
けれど、わたしは高円寺には住みたくなかった。高円寺は、永遠の「ここじゃないどこか」であってほしかったから。
「ここじゃないどこか」は、そのどこかに着いた瞬間にまた「ここ」になってしまうという永遠のジレンマを抱えている。だが一方で、「ここじゃないどこか」は、希求されてはじめて存在する概念である。「ここにいたい」と思えるどこかに辿り着いたなら、それできっと大丈夫で、どこかに行く必要なんてなくなる。しかし、そんな理想郷など本当は存在しない。存在の根源的な哀しみへの癒しを場所に求めたって仕方ないことは、本当は誰だってわかっている。
だからわたしは、高円寺を、現実でも理想郷でもない「どこか」にしようと思う。どこかに行かなければいけないと思ったときにわたしを受け入れてくれる場所。けれど、「ここ」になることのない場所。目覚める現実、目覚めない夢。
それくらいの距離感が、今はちょうどいい。