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親を見送るということ- 父、胃瘻を作る 前編 -

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私は長いことタバコを吸っていた。

何度も辞めようとしたことはあるが、辞められず半ば諦め開き直っていた。

しかし退院してからタバコは吸っていない。
父と娘、どちらも喉の病気で入院だなんて

「もういい加減タバコは辞めなさい」

と、神様かご先祖様に言われた気がしたからだ。

一方で、認定調査の日の父は絶不調だったらしい。

自分の名前を言うのがやっとで、車椅子に座っているのも辛そうだったと母から聞いた。

放射線治療は一か月くらい続く。果たして体力は持つのだろうか?

痰がかなり出るらしく、大量のティッシュペーパーを使っていた。
ティッシュペーパーを持って行くついでに「少し顔見れますか?」と言ってちょっとだけ面会する。

私が退院してから久しぶりに父のところに行ったときは、辛かったのか反応が薄かった。

「体調悪いの?迷惑だったら帰るけど」と言うと
「居てもいい」と、伏し目がちにか弱い声で言った。

「居てほしい」ではなく、「居てもいい」と言うところが父らしい。

多分父は居てほしいのだろうが、面会も本来なら出来ないのだ。
「迷惑になるから帰るね」と言うと父は項垂れたように頷いた。

担当医の話によると、父の体調はその時々で変わるようだった。
午前中の方が元気なのか、毎日廊下を5往復しているのだと言う。

一時は父も死を覚悟したように、私たち家族全員に謝ったりしていたが。

何となく上から物を言うようになったということは、元気になってきている証拠かもしれない。

放射線治療も残り僅かとなった頃、病院側から「退院にあたっての説明をしたい」ということで家族が招集された。

医療チームからの説明はこうだった。

放射線治療の効果はある程度出ましたが、
口から栄養を摂ることは出来ません。
そのため、胃瘻を作る手術をしなければなりません。

当たり前のように胃瘻という言葉が出てきた。

私は医療には詳しくはないが、親を介護していたり介護の仕事をしている友人達の会話の中で、

「胃瘻は絶対作らない方がいい。意識も無いのにいくらでも生かされてしまうから。」

という話を聞いていたので、胃瘻に対してのイメージは非常に悪いものだった。

医師の説明によると、

父の意識はしっかりしているし、動くことも出来るくらい回復している。
今は鼻から直接胃に栄養を入れているからここまで体力が回復したけれど、それは耳鼻科の医師がいる環境だから出来ること。
胃瘻を作れば自分自身でも、家族でも耳鼻科の医師がいない病院に入院しても栄養を入れることが出来る。
だから生きるために作るのです。
胃瘻を作らず退院したら飲まず食わずで飢え死にすることになります。

ということだった。


意識がハッキリしていてしかも動くことも出来るのに、食べられないばかりに飢え死になんて。
私の胃瘻に対しての認識は浅かった。
延命処置ではあるが今の時点で無駄な延命ではない。

コロナ禍で家族以外の面会ができない中、胃瘻を作り家に帰れば、会っておきたい人にも会える。

母は自宅での介護に不安を感じていたが、父が意識も無い状態ならともかく、しっかり意識もある中で自宅に帰りたいと言っているのだ。

私達も覚悟を決めるしかない。
早速、父が帰ってくる時までに迎え入れる準備に取り掛かった。


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