ポポストロンって何ですか?
学校でやらされていた問題には答えがある。
何が問われているかハッキリとしていて、ちゃんと答えがある。
だけど僕らの人生で出会う問題はそうではない。
そもそも答えがあるのかどうかさえ分からない。
というかどんな問題なのか?
問いのかたちさえハッキリしてない場合もある。
1+1=
みたいな問題も答えもハッキリしていることもあれば
お父さんがきらいな果物ってなーんだ?
この問いは漠然としている。
答えはなんだろうか?
この問題だけを出された場合、自分の父親のことを答えたらいいのか、一般的な数多のお父さんからアンケートを取ったランキング1位のことなのか分からない。
この問題の答えは「パパイヤ」である。
これはなぞなぞであり、答えが分かってから、ようやく正しい問いというのが理解できる。
最初になぞなぞだと宣言されていなかったら、無数の答えに頭を悩まされることになるのだ。
それから、問題より先に答えに出会っている場合もある。
だけど問題に出会ってなければ、それが答えだと気づかずにスルーしていることもあるだろう。
鬼滅の刃で、鬼舞辻無惨が青い彼岸花を探していたけど、青い彼岸花はどこにあるのか?と問われていなければ、道端で見かけていたとしてもただの景色として通り過ぎてしまうのだ。
それがものすごい大切な答えであったとしても。
「ポポストロンを探し出せ!」
そう鬼舞辻無惨から命令を受けたらどうするだろうか?
畏れながらポポストロンとは何ですか?と逆に聞いたら首を刎ねられてしまう。
「それを調べろと言っているのだ!使えないやつめ」
ということになりかねない。
答えがあるから、問題は作れる。
答えのない問題に対しては、うまく問題も作れない。
では答えが分かる前に、どうやって問題を作ればいいのか。
ポポストロンはどうやって探し出せばいいのか。
その答えを見つけるには、いままで気づいていなかった新しい結びつき、新しい関係を探し求めることが必要なのだ。
ポポストロンとは何か?
あなたは昨日すでにポポストロンを見かけていたのだから