お金のない貧乏な家庭で育ったけど、幸せだったなという話
会社帰りの時間で子供の頃のことを書いていく。
僕の育った家庭は、お金が無かったと思う。
父親はもともと鉄工所で働いていたんだけど
親指をプレスで潰されるという大怪我をしました。
それが何歳ぐらいの頃だったのか覚えてないんだけど、父親が入院している病院にお見舞いに行ったことだけは覚えている。
退院してからはその鉄工所は辞めて
その後、他の仕事もしてたようなんですけど、最終的には運転手の仕事に落ち着きました。
弟は父親が運転手の仕事をしてるとこしか知らないんじゃないかな。
仕事は役員の送迎をするのが仕事で、朝は早いけど、ほぼ残業なしで、毎日早くに帰ってきてました。
父親が帰ってきたら
駆け寄って
「おみやげは?」
って聞くのがルーティンだったな。
そうやって毎日聞くもんだから
ときどき何かしら
持って帰ってきてくれるんですよね。
今から思っても、ほんとたいした物ではなかったんですけど、子供心にとても嬉しかったことを覚えています。
仕事では残業もしてなかったし
給料はあまり貰ってなかっただろうな。
そんなだから、母親は毎日パートに出ていました。
うちはお金がないというのは子供心に何となく察していたので、ファミコン買って欲しいとか、昨日の記事で書いたみたいにドラクエ買って欲しいとオネダリをしたことはあるんだけど
買ってもらえなくても、それは仕方がないことだと分かってはいました。
そんなだったから
ファミコン買ってもらえたときは嬉しかった。
同時に買ったゲームソフトは
ワゴンに積まれた
売れ残ったゲームの中から選んだ
ボコスカウォーズというゲームでした。
たぶんクソゲーというカテゴリーに入るのかもしれないけど
おもしろかった。
初めて買ったファミコンソフトは
僕にとっては神ゲーでした。
うちの家はお金がなかったんだけど
不自由な思いはしていない。
たまには遊園地にも連れて行ってくれたし
映画や野球も見に行ったりした。
おやつも毎日食べてたし
お小遣いは
日曜日になったら父親から100円貰っていました。
そのお金を貯めて、母の日にコロンを買ったこと今でも覚えています。
すっごく喜んでくれたな。
お金はなかったけど、幸せだった。
ファミコンも、ドラゴンクエストIIIも無理して買ってくれたんだろうな。
本当にありがとう。
大切に育ててもらったことは、今となっては分かります。
あーーー
久しぶりにボコスカウォーズやりたくなってきた。
このゲームを持ってた人しか知らない歌
今だに歌えるのだ。
すすめーすすめーものどーもー♪