きんじ、する
マウスにのせた掌が融けて沈み
固体と液体の間でねじれた平面に描かれた
表計算のグリッドが無作為の重力で歪むとき
プルダウンからグラフを
選択する
棒グラフ 円グラフ 散布図 レーダチャート バブル
数値化された〈私〉は
折れ線グラフ
隆崩 転起し 生腐する 乱雑な浮浪と
切れおちた深い渓谷
つもる百花に香りは一粒もない
マトリクスの原点は待ちぶせしていた確率
無数にある点と点より一つ少ない線分は委縮してゆく緒の断片で
終端は用意された偽りの碑銘
意味を失った窪みを泥土が埋める
香炉に零れる雨をあつめ方眼紙をなぞると
夜と昼の星座すべてが
一筆書きでつながり始まりも終わりもなく
東でも西でもない悲劇
あるいは、球面を進む饒舌で空疎な乱数の哭き男のいない葬列
迷路に転がる糸玉となった〈私〉の世界史
を
解きあかす衝動にかられ
ひとすじの線を加える
きんじ、する
マウスのボタンを押した瞬間
すりきれた聖典にしみ込んだ指紋
の平坦化
または
〈私〉の歴史修正
単純な軌跡は右肩あがり、いや
右膝崩れ
平均への絶えまない還元という堕落
曲線が浮彫にする空虚は
私の実在との残差は
それは、いったいなにごと
しかも、その二乗和を最小にするとは
量を削りとられた点を結ぶ幅のない線分
微視の〈世界〉で、そこに拍動する〈彼〉の
決して同じ様相のない四苦八苦の無量のうちで
離散から連続に化生しスケール変換に不変となった〈彼〉が
腕をくみ増殖するコッホ曲線は
両端をひくと
無際限にのびつづけ
懈怠と修羅の記憶を縦横に刻印する
点
に記された地図
を
〈私〉はいつまでもよみとこうとしている
近似されるまえの
生生しいあのこえはどこへ
〈あなた〉の純粋はいつへ
諦めることに慣れていない
〈あなた〉の灯の消失は〈世界〉の輪郭を朧に
する
危うい〈われわれ〉にはなむけを
曲線が予言する無地の真空
は
復興のエナジを取りもどしただろうか
自由意志が絶対法則に立ちむかう剣を鍛え佩く
サイエンスにまさる空想をうたう者は帰還しただろうか
歪んだグリッドをマウスが集まり
修復する
いつのまにか眠っていたようだ
ひたいにのこるQWERTY
あけた窓に流れこみ、肌をきる
冷大気をゆく東雲をみあげ
私の辞をうつ
【AN0BYB1】
【御礼】
第17回『文芸思潮・現代詩賞』(文芸思潮社)にて、本詩を含む3篇(「きんじ、する」「顔認証訴訟」「飽食する蜘蛛と法悦」)について、五十嵐勉氏、渡辺みえこ氏より最優秀賞いただきました。心より御礼申し上げます。
なお、本詩は同誌82号(2021年12月)に掲載されています。
【原注】noteの制限にかかわる表記等について注記しました。
・行の文字数制限のため、以下で行を折っていますが、正しくは一行に収まるものです。
第2連 プルダウンからグラフを選択する
第8連 〈あなた〉の灯の消失は〈世界〉の輪郭を朧にする
第9連 歪んだグリッドをマウスが集まり修復する
(参考) 縦書き
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