講演のための思考メモ(15)お客様から学んだ大切なこと
向いてないと思う仕事のなかにも
新卒で旅行会社に入社して営業部に配属されたとき、ひたすら怒られる辛い毎日に、サラリーマンは心底自分には向いてないと思った。さらに、4ヶ月後に添乗員として初めて海外へ行ったとき、これはもう完全に道を間違えたと思うくらい、苦手意識を持った。
「旅が好きなこと」と「旅を仕事にすること」はまったく別物だった。自分が楽しむことしか考えてこなかった人間が、お客様を楽しませよう、最高の旅だったと思ってもらおう、と考えなくてはいけないのだから。せっかくの海外で、それも初めて訪れる土地で、自分の好奇心を押し殺さなきゃいけない。
世界遺産の絶景を前に、
「中村さん、ここ何回目なの?」
「3回目ですね! いつもはもっと混んでますが、今回は空いててラッキーですよ。はい、じゃあ記念写真撮りますよ〜。カメラ貸してくだーい^_^ あ、お手洗いですか? あちらの施設に入って右奥にございます!」
なんて、「もう飽きるほどこの景色を見ました」風に答えてますけれども、ぼくも初めてですよ! 何この絶景!? ゆっくり眺めたい! 世界遺産! すごい! もっと感動したいのに! もっと自分のカメラでも写真撮りたいのに〜!W(`0`)W
「では皆様、そろそろバスにお戻りくださーい(๑>◡<๑)」
バスの中で話すのも緊張するし、かといって添乗員が黙ってると移動時間がお通夜みたいな雰囲気になってくるし。そんなこんなで、最初の2年間はまったく結果が出せず、辛い日々だった。
でも仕事を辞めるのは、辛くて辞めたいときではなく、「この仕事も楽しいし、辞めなくてもいいかな」と思えたときにしよう、という気持ちがあった。たとえ仕事が向いてなくても、なんとか自分の良さを出せないか。自分の持っているものをこの仕事に活かせないかと、必死にもがいていた。
南フランスの地中海沿いをバスで旅していたときだった。
「実は学生時代、この道を自転車で旅したんです。バルセロナの方から、ニース、モナコを通って、イタリアへ抜けて。そのときはこういう出来事がありました・・・」
ツアーに関連づけて自転車旅の話をすると、お客様が真剣に聴いてくれているのを感じたので、さらに派生させて、スポンサーを集めて旅を実現させた話や、そもそもなぜ自転車旅をするようになったのかという話もしていった。すると、普段歴史や文化のウンチク話をしても眠ってしまうようなお客様までしっかり聴いてくれて、最後は拍手まで起こった。途中の街でバスを降りると、「面白かったよ。明日もまた中村さんの話を聞かせて」と言われ、それ以来、長距離バス移動の日は講演会のような時間になった。
「あの話に台本はあったの?」
「いえ、アドリブでした」
「とっても面白かったわ。3時間よく何も見ずに、周りの景色にも気を配りながら時間ぴったりに話を終わらせて、感心しました。中村さんの挑戦の話を聞いて、勇気づけられたの。私もまだまだこれからだ、って。海外旅行にほとんど行ったことがないから、これからたくさん行くわ。だからまずは英語を勉強するって決めたの。その後はフランス語ね。
さっきガイドさんが、『ゴッホが生きている間に売れた絵は、たった一枚だけだった』って話をしたでしょう。生前に彼の絵をたくさん買っていたら、後で大儲けできたでしょうね。その話を聞きながら、中村さんのことを思ったのよ。あなたに関しても、これから同じことが起こると思うわ。今のうちにサインをいただいておこうかしら。私、添乗員としてではなく、人間としてあなたのこと興味深く見ているわよ」
カナダを旅した際、お客様が手帳のようなものにイラスト付きのメモを書いていた。
「何を書かれているんですか?」
「これ? わたしね、旅行中は毎日絵日記をつけているの」
「へー!素晴らしいですね!」
「じゃあ、特別に昨日のページを見せてあげましょう」
「ありがとうございます!」
「はい、昨日の主役は、中村さんよ」
「え?」
嬉しかった。自分の経験なら、いくらでも話せることがあった。あの頃は、「将来、講演会を開くときの練習になるな」と冗談交じりに笑っていた。「この話は意外とウケるんだな」「あのエピソードはちょっと余計だったかな」生の反応が貴重なフィードバックになった。会社を辞めてから、ぼくは阪急交通社のイベントで、あるいは学校で、本当に講演するようになった。バスでの経験がそのまま生きていた。
社会人3年目になって、ようやく少しずつ結果が出せるようになってきた。あるときお客様から「添乗員は天職ね」と言われて驚いた。もちろん自分ではそんなこと思っていなかったが、そう言ってもらえるくらいには仕事ができるようになったんだなと自信になった。
入社して5年目のある日の帰り際、上司に呼ばれて、添乗員ランクが最高位に昇格したことを告げられた。最初の頃の自分からは想像できなかったことだった。好きなことばかりやってきた自分にとって、会社員時代に得られた大きな収穫は、「向いてないと思う仕事のなかにも、成長のヒントが隠されているのではないか」という意識だった。
お客様から学んだこと
「中村さん、お金はね、追いかける人にはついてこないんですよ」
普段接することのない、シニア世代のお客様との交流でも、たくさんの学びがあった。仕事の関係を超えて親しくなった方もいる。ときに厳しく叱ってくださり、ときに温かい言葉で背中を押してくださった。フランス滞在中の出来事が忘れられない。
ぼくは一組のご夫妻を美術館にご案内したあと、レストランで食事していた。奥様と会話を続けていると、横でじっと黙っていたご主人が突然話し始めた。
その言葉と声に重みを感じたので、「失礼ですがご主人は、現役時代どんなお仕事をされていたのですか?」と聞いてみた。すると、実は大手製薬会社の取締役だった方で、前年に引退されて、旅行に来たのだそう。ツアー中は口数が少なく、「優しくて温かみのあるおじいちゃん」という印象だったが、いざ話し始めると眼光が鋭くなり、凄みが増した。
「海外出張は多かったですか?」
「多かったですね。40代で役員になったもんで。ところで中村さんね、役員って、どういう人間がなると思いますか?」
「え?」
「私の上司は、なぜ私を役員にしたのでしょうか。あるいは、私はどういう人間を役員にしてきたのか」
「考えたこともなかったです」
「それはね、経営者の側で考えればわかるんですよ。ピュアな人間であること、損得を考えない人間であること、信頼できる人間であること。これなんですよ。
自分の利益を優先する人を、役員にできますか? そんなことしたら会社が潰れちゃいますよね。自分の損得を考えず、熱心に働く人を役員にしたいでしょう。でも、役員にしたら、給料を上げざるを得ないでしょう。だから、損得を考えない人に、結局はお金がついてくるんですよ。
お金だけじゃない。そういう人はね、良い人や、良いチャンスに恵まれるんですよ。たくさんの機会が与えられます。偉そうに言ってますけどね、私がこのことに気付いたのは、50を過ぎてからです」
「あなた、もうお喋りはこの辺にしておきなさいよ。中村さんも次のお仕事があるんだから」
「すいませんね、年寄りのつまらない話を」
「いえ、メモしておけばよかったと後悔しています」
「でもね中村さん。こんな話、年に一度くらいしかしませんよ。あなたのお話を聞いていて、つい話したくなったのです。あなたはこれからも、自分の好きなことをやっていけばいい。何か大きなことを成し遂げますよ。一緒に写真撮りましょう」
(つづく)