クラフトビール 東海道五十三注ぎ
「東京から京都まで、東海道五十三次を徒歩で旅しながら、ゴールまでに53杯のクラフトビールを注ぐことは可能だろうか?」
ふと閃いた旅のアイデアに、ワクワクが止まらなくなった。そして、実際にやってみることにした。
旅の構想の経緯
そもそものきっかけは、大学時代に読んでいた司馬遼太郎の歴史小説。そこには、幕末の志士たちが江戸と京を行き来する描写がたびたび登場した。
(そうか、ほんの200年前までは、東京から京都へ行くためには歩くしかなかったんだ・・・)
坂本龍馬も、西郷隆盛も、新撰組も、商人たちも、大名行列も、みんな、歩いて移動していたのだ。車や電車や飛行機が当たり前の時代に生まれたぼくは、その事実に改めて驚いた。
(もし京都まで歩いたら、いったい何日かかるんだろう?)
(そもそも、そんな長い距離を歩けるのだろうか?)
その頃から、「いつか東京から京都まで、歩いて旅をしてみたい」という漠然とした夢があった。だが、学生時代は自転車旅に夢中になっていて、結局チャレンジすることなく社会人になってしまった。そして仕事の忙しさのなかで、そんな夢や好奇心があったことすら忘れていた。しかし、フリーランスライターになるべく6年勤めた旅行会社を退職することが決まったとき、ふと記憶の底から蘇ってきた。
(会社を辞めたら、もう毎日出勤しなくていいんだ。ライターの仕事がすぐに決まっているわけでもない。東海道を歩くなら、今がそのタイミングなんじゃないか)
そもそも、まだ何者でもない自分がライターとして名を上げるためには、自己投資をして、大胆な行動を起こす必要があると思っていた。この旅は、その意味でもうってつけなのではないか。「遊びではあるけれど、きっといつか、大きな仕事につなげるんだ」。そういう野心があった。
だけど、ただ京都まで歩くだけではおもしろくない。何かユニークな「縛り」がほしかった。
その頃、ぼくがハマっていたのが「クラフトビール」だった。
海外ツアーの添乗員としてアラスカを訪ねた2014年、初めて「クラフトビール」というものの存在を知った。ロッジのバーで飲んだビールは、それまで日本で飲んできたお馴染みのビールの味とは異なり、自分の口に合った。初めてビールに対して「おいしい!」と感じられた。ぼくはこの味が好きだ。
帰国後、日本にもクラフトビールブームが押し寄せていることを知った。雑誌の特集には、国内各地のクラフトビール醸造所が紹介されていた。どうやら、東海道沿いにも醸造所やクラフトビール店が増えてきているようだ。
そのとき思いついたのが、今回の企画だった。
「そうだ、東海道を歩きながら、各地で地元のクラフトビールを味わうことにしよう!」
すぐに頭の中のイメージをメモ帳に落とし込んだ。
企画名は、「クラフトビール 東海道五十三注ぎ」
歌川広重が描いた浮世絵『東海道五十三次』にかけて、53杯のクラフトビールを注(つ)ぐのだ。
後日、企画の趣旨をSNSやブログで宣言すると、多くの友人が「おもしろそう!」と反応してくれた。また、人気似顔絵師として活躍するchinaさんは素敵な旅のイラストを描いてくださった。
退職から10日後、ぼくはリュックひとつ背負って、東海道の起点である日本橋をスタートした。こうして、ビールと人情の旅、「クラフトビール 東海道五十三注ぎ」は幕を開けたのである。
1日目:日本橋~横浜(29km) 2注ぎ/53注ぎ
1/53 横浜「THRASH ZONE」の「SPEED KILLS」
独特の苦味、そしてホップがとても効いていた。
2/53 横浜「THRASH ZONE」の 「WORLD DOWNFALL STOUT」
名前がかっこいい。こちらも苦味があるが、黒ビールなのでまた味が異なる。
朝8時に日本橋を発ち、銀座、新橋を通り1時間半ほど歩くと、最初の宿場である品川宿に到着。かつての品川宿は、江戸を発つ人との別れを惜しんで見送りに来た人々や、反対に江戸へやってきた旅人を迎え入れる人々で、大いに賑わっていたそうだ。(ちなみに、江戸から京の間に53の宿場町があったことから、「東海道五十三次」と呼ばれている)
さらに2時間ほど歩き、江戸から2番目の宿、川崎宿を通過。そして鶴見を過ぎたあたりで、ある人物と再会した。岩手県遠野市のブルワリー「遠野醸造」を立ち上げた袴田大輔くんだ。大学時代からの友人でもある彼は、この当時ビール醸造家になるための準備をしていた。
そしてぼくのチャレンジをおもしろがってくれて、「ぜひ横浜で一緒にクラフトビールを飲もう」と、応援に駆けつけてくれたのだった。横浜駅までの最後の5kmを彼と歩き、初日の歩行を無事に終えた。
夕方、彼が連れていってくれたのが、「THRASH ZONE」というディープなクラフトビール店。ここでしか飲めないビールが多数あった。
夜、初日のブログを更新している途中、疲労と頭痛と眠気で意識が飛んだ。酒に弱いぼくには、かなりハードな旅になりそうだった。疲れた身体にビールのパンチ力はすごく、必死でキーボードを叩いていた。
2日目:横浜〜茅ヶ崎(29km) 7注ぎ/53注ぎ
3/53 茅ヶ崎「GOLD’N BUB」の「ホイッスルソング」
4/53 茅ヶ崎「GOLD’N BUB」の「ジャックナイフ」
茅ヶ崎「beer cafe HOPMAN」にて、
5/53(左)#138 UME 2 HIGH(うしとら/栃木)
6/53(中)アップルホップ シナノスイート(南信州ビール/長野)
7/53(右)鬼伝説 金鬼ペールエール センテニアル•HBC431 Ver.(わかさいも本舗/北海道)
横浜では、フットサル仲間の友人が泊まらせてくれた。夫婦ともに、大学時代からの仲である。
早朝に出発し、宿場町の保土ヶ谷を通過。途中、出発するときにいただいたユンケルを飲もうとすると、瓶にメッセージが書かれていたことに気付く。
箱根駅伝で有名な権太坂を越えて戸塚宿へ。そして遊行寺の坂を下り、藤沢宿。さらに8kmほど歩き、ゴールの茅ヶ崎に到着した。
夜はクラフトビールの時間。1軒目は、「GOLD’N BUB」。店の奥に貯蔵タンクがあり、かっこいい。ここでは2杯飲んだ。
続いて向かったのは、友人の月原さんにご紹介いただいた、「beer cafe HOPMAN」というお店。月原さんが店長さんとお知り合いらしいので、「今日あのお店に行きます」とメッセージを送っておいた。
こちらは30種類近くのクラフトビールを生で飲めるお店。飲み比べセットで3種類を試した。
食事もクラフトビールも大満足。「お会計をお願いします」と言ってしばらくすると、店員さんが神妙な面持ちでやってきた。
「どうしたんですか?」
「実は、こちらのお会計を月原様がご負担されるということで、・・・」
「えー!?」
出張のためお会いできなかったにもかかわらず、月原さんの粋な計らいに衝撃を受けた。感謝しかなかった。
3日目:茅ヶ崎〜小田原(26km) 10注ぎ/53注ぎ
8/53「箱根ピルス」(小田原「箱根ビアバー」にて)
「世界の主流タイプ。きれいに透き通った輝くような琥珀色で、すっきりした中にも味わいとコクがあります」
9/53「小田原エール」(小田原「箱根ビアバー」にて)
「ホップの苦味を抑えた上品なカラメル香とほのかな甘み。伝統的製法のマイルドな味です」
10/53 「風祭スタウト」(小田原「箱根ビアバー」にて)
「ホップの苦味と焦がした麦芽の香り、フルーティーな香味。濃い色調の香ばしさは、黒い麦芽とカラメル麦芽から」
朝8時過ぎ、茅ヶ崎を出発。今日は国道1号線をまっすぐ行くだけだ(今日に限らず、京都までだいたいそうなのだが)。平塚宿、大磯宿を経由し、16時前、ようやく小田原宿に到着。
小田原といえば、有名なのは鈴廣のかまぼこ。その鈴廣が、クラフトビールも生産している。その名も「箱根ビール」。
「かまぼこづくりに欠かせない『おいしい水』を、別の方法でも味わっていただきたいと思い、1998年に『箱根ビール』が誕生しました。箱根・富士・丹沢連山に育まれた『箱根百名水』を用いています」
小田原駅前の鈴廣の横にある、「箱根ビールバー」で3種類の飲み比べができた。
翌日は東海道一の難所、箱根の山登り。無事に登れるだろうか。
4日目:小田原〜箱根(18km) 12注ぎ/53注ぎ
11/53 箱根七湯ビール(元箱根のセブンイレブンで購入)
12/53 早稲田ビール(元箱根のセブンイレブンで購入)
小田原を出て、箱根湯本までは、箱根駅伝のコースと同じ道。しかしぼくは旧街道を歩くため、国道1号線から離れた。
旧街道には江戸時代から残る石畳の道もあり、実に風情があった。この道を江戸時代の人々も往来していたんだなと思いを馳せながら、自然の中を歩いていった。
途中、箱根湯本と元箱根(芦ノ湖)の中間地点にあたる「畑宿」という場所がある。ここのバス停で待っていると、到着したバスから2名、降りてきた。
「やあやあやあ」
両親だった。息子がどこかへ行くと、国内でも海外でも、かなりの確率で便乗してくるのが母の性分。しかし、父まで付いてくることは珍しい。
だが、今回は別だった。父は歌川広重が描いた『東海道五十三次』の大ファンだったのだ。その事実を知ったのは旅に出る直前に帰省したときのこと。「今度、東海道五十三次を歩くんだけど、何か本とか持ってない?」と何気なしに聞いたところ、書斎から段ボールに収まりきらないほどの関連書籍を持ってきてくれた。
「すごっ!!」
何年も前から、古本で集めてきたそうだ。広重の絵を眺めているのが趣味だったが、一度実際に歩いてみたいと思い、今回日帰りではるばる横須賀からやってきたのだという(片道3時間かけて)。そういうわけで、畑宿から元箱根まで、旧街道を一緒に登山していった。ただの家族旅行になってしまった。両親はキツい上り坂にも負けず、元気に頑張っていた。
そして2時間後、ようやく眼下に芦ノ湖が見えた。小田原から歩いてきた距離は18kmと短かったものの、難所の箱根をなんとかクリア。ゴール後にカフェで一服すると、両親はすぐにバスで帰っていった。箱根に残されたぼくは、なぜか彼らの方が行動力があるように感じた。
芦ノ湖付近ではクラフトビールを飲めるようなレストランもなさそうだったので、コンビニで調達。
「箱根七湯ビール」の「レッドエール」
そして、箱根といえば箱根駅伝。ということで、我が母校・早稲田ビール!(こんなのあったんだ)
明日は三島方面へ下っていく。いよいよ、静岡県に突入だ。
5日目:箱根〜原(28.5km) 16注ぎ/53注ぎ
13/53 スルガベイインペリアルIPA(沼津・ベアードビール)
「まるで夜空を鮮やかに彩るホップの花火大会だ!」
14/53 沼津ラガー(沼津・ベアードビール)
「ソフトでやさしく、クリーンなあと味」
15/53 修善寺ヘリテッジヘレス(沼津・ベアードビール)
「クリーンで丸みがありバランスの良いゴールデンラガー」
16/53 ライジングサンペールエール(沼津・ベアードビール)
「日本の美学『究極のバランス』」
標高846mの箱根峠を越え、静岡県に突入。ひたすら坂を下っていくと、眼下に三島の街が見えてきた。
途中、京都から日本橋を目指して東海道五十三次を歩いているというご夫妻と遭遇した。このご夫妻は、歩いては戻って歩いては戻ってを繰り返し、何年もかけて完歩を目指しているそう。「あんた、一発で行くんか!」と驚かれ、握手してお別れした。
三島は江戸から数えて11番目の宿場だ。古くから伊豆の中心地として栄え、三嶋明神の門前町として大変な賑わいを見せていたという。箱根に関所が設けられると、三島宿は箱根越えの拠点としてさらに賑わうようになった。広重の絵にも描かれている三嶋大社で、旅の成功を祈願した。
また、三島にある「藤田治療院」をご挨拶のため訪問した。これまで三浦知良さん、名波浩さん、高原直泰さん、小野伸二さんらをはじめ、多くのサッカー日本代表選手を治療してきた知人の藤田義行さん。お会いしたのは7年ぶりだったが、伊豆のクラフトビールを2本プレゼントしてくださった。後日飲むことにした。
三島から沼津へと向かっている途中、突然、見知らぬ方に呼び止められた。
「すみません、中村さんですよね?」
「え?」
「ブログで中村さんのことを知り、どうしてもお会いしたくて、車で東海道を走りながら、探していました」
「えーー!? どうしてまた」
「実は、ぼくのおばあちゃんが難病を患っていて、『もし元気だったら何がしたい?』と聞いたら、『東海道五十三次を歩きたい』って言ったんです。だから、ぼくが代わりに東海道五十三次を歩いて、写真を見せてあげたら、少しでも行ったような気持ちになれるんじゃないかと思って。
それで今朝、Twitterで『東海道五十三次』と検索したら、中村さんのブログにたどり着きました。ちょうど今日箱根を出られて、お昼に三嶋大社の写真を上げられていたので、そろそろこの辺りを通るんじゃないかと思って、やってきました。握手してください!あと、少しだけ一緒に歩いてもいいですか?」
「もちろん!( ;∀;)」
そして、数百メートルだけだったが、彼と一緒に歩いた。
「実際に歩いている人に会えて、お話を聞けて、本当に良かったです!おばあちゃんにも中村さんのこと話したんです。すごいねって言ってました。ぼくも東海道を歩けるように頑張ります!これ、ビールばかりじゃ辛いと思って、富士山の水を買ってきました!ぜひ飲んでください!」
感動した。三澤さん、ありがとうございました。
沼津を通過し、16時半、宿場町の原に到着。前職の同期である植松くんの実家が原にあり、泊めていただけることになった。本人は不在だけど、この旅のために素敵なお土産を残してくれていた! なんと、沼津の醸造所である「ベアードブルーイング」のクラフトビール4種類!
どれもおいしかった。同期に感謝。
6日目:原〜由比(26km) 19注ぎ/53注ぎ
静岡 クラフトビアステーション
17/53 Session IPA
「反射炉ビア」のクラフトビアステーション限定のビール。
静岡 クラフトビアステーション
18/53 反射炉ビアの太郎左衛門Pale Ale
19/53 STONE 20TH ANNIVERSARY CITRACADO IPA
26kmを歩き切り、由比宿に到着。この日は静岡の「クラフトビアステーション」というお店で友人と会う約束をしていたため、先にひとりで入っていた。
お店の方に「今こういう企画で旅しているんですけど」と説明していたら、カウンターに座っていたお客さんから、「あ、クラフトビール飲みながら東海道五十三次歩いてる方!?」と聞かれた。
「え、どうして知っているんですか!?」
「Facebookで流れてきました!」
実は、ぼくがこの旅をスタートした際、あるクラフトビールメディアが偶然ぼくのブログを見てくれたようで、「ユニークな企画だ」とFacebookページで紹介してくれたのだ。
「まさか、ご本人に静岡で出会えるとは! 応援していますんで、ご馳走させてください!」
なんと夕食をご馳走してくださった。さらに、21時頃なり帰ろうとしてお会計をしていたら、お店の方から、
「いま、中村さんに会いにタクシーで駆けつけてくる人がいるんで少し待っていてください!」
と言われた。そしてすぐにやってきた横山さんという賑やかな男性。
「帰っちゃダメだよー! 応援しに来たんだからー!」
クラフトビールを一杯ご馳走してくださった。「反射炉ビヤ」の「太郎左衛門ペールエール」だ。
さらに、お店の方からもう一杯いただいたのが、アメリカの珍しいクラフトビール。「STONE 20TH ANNIVERSARY CITRACADO IPA」
「京都まで頑張れよ!また静岡に来ることがあったら、このお店来いよ!そしたらさ、またタクシーですぐ駆けつけるから!」
人の温かさにふれる旅だ。
7日目:由比〜静岡(25km) 26注ぎ/53注ぎ
20/53 静岡「闇よ棚」のオリジナルクラフトビール「両替町ベストビター」
21/53 AOI BREWING の 「zen-infused OCHA ALE」
ゼンインフューズド お茶 エール
22/53 AOI BREWING の 「GARAGE REVOLUTION DRYSTOUT」
ガラージ レボリューション ドライスタウト
23/53 AOI BREWING の 「PAID VACATION IPA」
ペイドバケーション IPA
24/53 AOI BREWING の「ICE BREAKER GOLDEN ALE」
アイス ブレーカー ゴールデン エール
25/53 風の谷のビール ヴァイツェン
26/53 風の谷のビール ピルスナー
由比駅から出発し、東海道の三大難所のひとつ、薩埵峠(さったとうげ)へ向かう。町の通りを歩いていると、多くの民家の前に無人のみかん売り場があった。100円入れてひと袋買い、みかんを食べながら峠を登った。
急な上り坂を進んでいき、薩埵峠に到着。富士山が綺麗に見えた。歌川広重の「由比」も、同じ場所から描かれている。
興津へと下ってきた。そこから先は、国道1号線に沿ってひたすらまっすぐ。16時頃、無事に静岡駅。夜、昨日出会った方に教えていただいたお店へ行くと、すでに噂を聞きつけた旅のサポーターの方が待ってくれていた。静岡、すごいな。
最初に訪れたのは、「闇よ棚」というお店。ここでしか飲めないオリジナルクラフトビール「両替町ベストビター」をいただいた。珍しいハンドポンプから出てくるビール。そして無炭酸!
そして2軒目は、「AOI BREWING併設ビアバー BEER GARAGE – ビアガラージ」。お店に入ったら、「あ、五十三次さんだ!」と店員さんに言われた。もちろん初めて入ったお店である。
しばらく飲んでいると、昨日出会った横山さんが再びタクシーで駆けつけてくださった。
「君、もう静岡では有名人だよ?」
ここで3杯。もちろんぼくはそんなに飲めないので、皆さんに手伝っていただいた。
宿に戻ってからさらに追い込みをかけ、三島で藤田さんにいただいた2本のビールも開栓。うまい。
明日は藤枝、島田方面へ歩く。
8日目:静岡〜島田(30km) 27注ぎ/53注ぎ
27/53 バイエルンマイスタービール
藤枝方面に歩いていたとき、対向車線から、車を止めて、ぼくに手を振っている人がいた。
「おーい!中村くーん!」
一昨日、ビールバーで出逢い、昨日もビールをご馳走になった横山さんだった。まさかの3日連続。
「今仕事で得意先に納品した帰りでさ、下の道走ってたらどっかで中村くんと会うんじゃないかと思って。でもこれは本当にたまたまだぜ? なんか縁があるんだよ。じゃ、頑張れよ!」
その言葉が真実であるとわかったのは、それから何ヶ月も経ってからのことだった。
藤枝宿を通過。さらに歩いて、島田宿の少し手前、六合という場所までやってきた。ここが今日のゴール。
スーパー銭湯に行ってから、電車で藤枝まで戻り、「The Ale House」というお店へ。マスターの齊藤さんに「スペシャルな一杯が飲みたい」と伝えると、オススメされたのが「バイエルンマイスタービール」だった。
この日、日記の最後に書いていた言葉がとても良かった。
9日目:島田〜掛川(22km) 30注ぎ/53注ぎ
28/53 アマリロIPA(湘南ビール)
「アメリカ産ホップの中でも大変希少で人気のあるアマリロをシングルポップを使用。グレープフルーツやシトラスを連想させる強い柑橘系のアロマとフレーバー、余韻にほのかな甘さの上品な苦味」
29/53 STOLEN ADDICTION ALT ストールン アディクション アルト (Aoi Brewing/静岡)
「香ばしい麦芽の香りとほのかな甘さが特徴の濃い褐色のエール」
30/53 High Wire American Pale Ale
Magic Rock (イギリス)
「マンチェスター北部に位置するハダーズフィールドに2011年にオープン。市場に出るとすぐにその味への高評価が広がり、ローカルでの消費も高くら生産量も少ないため、日本への輸入は困難を極めています。松、モルト、草、香ばしいビスケットの香り、グレープフルーツ、ホップ、クリスピー、軽い桃の味わい」
藤枝や島田のあたりでは、朝からラーメンを食べる「朝ラー」という習慣があることを昨日知り、「食べてみたいな〜」と思っていたら、なんとぼくのブログを読んでくださっていた島田在住の大月さんという方からご連絡をいただき、朝、車で連れて行ってくださった。
朝7時、宿の近くに迎えに来てくださり、藤枝の「池田屋」というラーメン屋さんに行った。このお店は朝7時からオープンだったが、さらに早いお店だと朝5時から開いているそうだ。
同じ日本でも、地域が変われば習慣が変わる。それを肌で感じるのが、旅の醍醐味かもしれない。
大月さん、ご馳走さまでした!島田に戻り、お別れ。差し入れにアミノバイタルまでいただいた!ありがとうございました!
今日は峠を2つ越える。まずは金谷から、石畳の道が始まった。江戸時代から残る石畳の道は、東海道では箱根と金谷にしかない。
そしてもうひとつ峠を越えて、日坂宿。夕方、掛川に到着。
クラフトビール専門店「Bucket」さんを訪問。本当は休業日だったのだが、静岡で出会った方がオーナーに連絡してくださり、ぼくの訪問に合わせて特別にお店を開けてくださった。感謝。
10日目:掛川〜浜松(28km) 35注ぎ/53注ぎ
31/53 レッドローズ・アンバーエール(ベアードビール)
「力強くリッチである反面、すっきりと爽快。ドライでもあります。重なり合うフレーバーは薔薇の香りのように少し刺激的です」
32/53 ゴールデンティルナ(ベアードビール)
「ティルナノーグ1周年記念のときベアードに特注したビール」
33/53 ウィートキングウィット(ベアードビール)
「ベルギースタイルの白濁したエール 軽めのポップを使い、いきいきとしたフルーツのようなフレーバー」
34/53 大工さんのみかんエール(ベアードビール)
35/53 スルガベイインペリアル (ベアードビール)
この日のゴールは浜松。浜松で思い出すのは、2010年7月のこと。
当時ぼくは、大学4年生。翌月に控えるヨーロッパ自転車旅の実現のために、協賛集めに奔走していた。
ある日、大阪の自転車会社の社長さんから、「中村さんの夢を応援したい」と、イタリア製のロードバイクを提供していただけることになり、大阪まで夜行バスで向かい、自転車を受け取り、そのまま自転車に乗って大阪から横須賀まで、5日間かけて帰ってきたことがあった。
その途中、浜松に立ち寄った。当時ぼくのブログを読んで、協賛してくださった中島さんという方が浜松でカレー屋さんをやっていて、「よかったら店に寄ってください」とTwitterで声をかけてくださったからだ。
そのときのことを思い出して、ふと電話をかけてみた。
「もしもし、中島さんですか?」
「はい」
「あの、ぼく中村洋太と言いますが、昔、自転車旅の際にお世話になりました…」
「あー!」
覚えていてくださった。
「え? 今度は歩いてるの? 今夜浜松? どこ泊まるの? ネットカフェ? うち泊まっていきなよ」
人のご縁は素晴らしい。しかも中島さん、奇遇にもクラフトビールの大ファンだった。そして今日は、週に一度の休業日だったという偶然。
「行きつけのクラフトビールの店、一緒に行きましょう!」
電話しなければ、ぼくはひとりでビールを飲んで、いつも通り、ネットカフェに泊まっていたはず。本当に偶然なのだろうか。とにかく、素晴らしい出来事だった。
中島さんと再会し、浜松のクラフトビール専門店「ティルナノーグ」へ。
今夜はもうひとつ、偶然が起こった。たまたま浜松に出張にきていた友人の五十嵐くんと一緒に飲めたのだ。昔、彼の挑戦を応援したことがあり、「今度は僕が応援させてください!」とビールをご馳走してくれた。
2人との再会を楽しんだ素敵な夜だった。
11日目:浜松〜鷲津(19km) 35注ぎ/53注ぎ
中島さんとお別れし、浜松を出発。左足のアキレス腱が痛むため、ゆっくりと歩いた。
最初はポツポツと降っていた雨が、途中からザーッと本降りになってきた。全身レインコートで完全防水。ゴール地点の鷲津駅に到着。19kmと短めのコース設定にしたのが正解だった。早めに宿にチェックインして、脚を休ませた。窓からは浜名湖が見えた。
薬局で塗り薬を購入。肩こり、筋肉痛、関節痛、いろいろある。効いてほしい。
スタートしてから10日連続でクラフトビールを飲み続けてきたので、今夜は休肝日。
うどん屋さんの店主に「東京から歩いてきました」と言ったら、「三ヶ日みかん」をくれた。この鷲津の先にある三ヶ日は、みかんで有名な場所。おいしかった。
うどん屋さんで、店主と一緒に錦織くんの全豪オープン3回戦を観戦。素晴らしい試合だった。
「テニスなんてまったく興味なかったけど、彼が活躍するようになってから、なんだか観るのが楽しくなって、ルールも覚えちゃってね」
錦織くん、本当にかっこいい。ぼくもたくさんの人に良い影響を与えられる人間になりたい。自分のやり方で。
12日目:鷲津〜御油(29km) 36注ぎ/53注ぎ
36/53 早摘みレモンエール(湘南ビール)
「片浦産レモン使用 新鮮で青々しい清潔感たっぷりなフレーバーとまろやかな酸味」
鷲津を出発し、しばらく歩くと愛知県に突入。東西に長い静岡県をようやく抜けた。
豊橋で立ち寄ったのは、クラフトビール専門店「シンノスケ・オー」さん。店長の大川真之介さんがぼくのブログを読んでくださり、お店に呼んでくださったのだ。昼だったが、せっかくなのでクラフトビールを一杯飲んだ。
午後は股関節の痛みも出てきたが、なんとか29kmを歩き切った。
ゴールの「御油」も、東海道の宿場町のひとつ。その駅で待っていたのは、年配のおじさん。
遡ること5日。ぼくは静岡の「BEER GARAGE」というクラフトビールのお店にいた。ぼくが入店するなり、「あ、五十三次さんだ!」と言った店員さん、名を福島さんという。
あのとき彼がビールを注ぎながら、
「俺の実家も、東海道の宿場町にあるんですよ。御油っていう」
と漏らしたのを逃さなかった。
「え!? もし可能でしたら、ご実家に泊めていただけませんか?」
「泊まりますか? 多分、大丈夫だと思いますよ。ちょっと聞いてみますね」
という会話が、本当に実現した。人とのご縁は素晴らしい!
13日目:御油〜岡崎(20km) 38注ぎ/53注ぎ
37/53 岡崎「HYAPPA BREWS」の「家康B」
「岡崎生まれの徳川家康の信念や生き方に尊敬の意を込めて作ったビール。原料には岡崎藤川町産のむらさき麦や、健康オタクでもあった家康が飲用した漢方「霊芝れいし」を使用している」
38/53 岡崎「HYAPPA BREWS」の「岡崎嬢」
20kmを歩き切り、岡崎駅に到着。カフェで待っていると、知人が登場。当時まだ二十歳の、溝口哲也くん。
彼はのちに自転車でアフリカ大陸を縦断するなど、世界各地を自転車で旅し、昨年はテレビ朝日「激レアさんを連れてきた。」に出演。すっかり有名な男になってしまった。
もともとはぼくのヨーロッパ自転車旅のブログに影響を受けてくれたそうで、Facebookでメッセージをいただいたのが交流の始まり。実際に会うのはこの日が初めてだった。岡崎市にご実家があり、泊まらせていただけることになった。
夕食をいただいたあと、岡崎のクラフトビール専門店「Izakaya・Ja・Nai」へ。おもしろい名前!
このお店では、シカゴ出身のオーナー兼ブルワー、クレイグ・モーリーさんの作るクラフトビールが楽しめた。ビールの名前も非常にユニーク。数あるオリジナルビールの中から、代表的な2つをいただいた。
14日目:岡崎〜大府(20km) 40注ぎ/53注ぎ
39/53 キリン「名古屋づくり」
40/53 ベルギーのクラフトビール「ギロチン」
この日のゴールにした大府市には友人の実家があった。本人は都内で働いているので不在だが、ご両親と夕食をご一緒させていただいた。食べ終わった頃に友人の妹のまみちゃんも仕事から帰宅。
おまけに、ぼくの旅を知っていたお母さんからこんなビールをいただいた!キリンの一番搾りだが、「名古屋限定」ということで、これも1杯に数えさせてもらった。
お父さんに車で送っていただき、泊まらせていただく別の友人宅へ。この地で小学校の先生をしていた。そこでも一杯だけクラフトビールをいただいた。
15日目:大府〜富吉(24km) 46注ぎ/53注ぎ
41/53 ワイマーケットセッションIPL(名古屋・ワイマーケット)
「軽やかで華やかな飲み口のラガービール。「ワイマーケット」のイチ押しビール!」
42/53 金山GOLDEN(名古屋・ワイマーケット)
「深めのゴールドカラーに複数のホップが溶け込んだゴールデンエール」
43/53 ノワールヘッズ(名古屋・ワイマーケット)
「コーヒーやチョコレートを思わせる、やや強めのローストモルトの香ばしい風味の奥に軽い甘みを感じることのできるスタウト」
44/53 赤面ドクロ(名古屋・ワイマーケット)
「4種類のアロマホップが織りなすクリーンで複雑な苦味を持ち、グレープフルーツのような柑橘感とフローラル感、ミディアムハイでモルティたボディ」
45/53 ブリリアントスカイ ペールエール(名古屋・ワイマーケット)
「メインホップのCitra Simcoe Mosaic に加えて、花や蜂蜜のような優しく華やかなキャラクターを持つAmarilloをブレンド」
46/53 ホップモノクローム Ver.ネルソンソーヴィン(名古屋・ワイマーケット)
「白ワインや洋ナシを思わせる香りが特徴的」
歩いていくと、「有松」に到着。東海道沿いの宿場で、当時の雰囲気を残す場所は、ほとんどない。そんななかこの有松は、その様子を色濃く残している貴重な場所。江戸時代、「有松絞り」と呼ばれる絞り染めで全国に名を馳せ、繁栄した。
江戸から41番目の宿場、宮。
ここから次の宿場である三重県の桑名までは、東海道で唯一の「海路」だった。「七里の渡し」と言って、江戸時代の人たちは船で向かったのだ。
ぼくも船に乗りたいところだが、今はこの2区間に定期船はなく、再現できないルート。仕方ないので、桑名までは国道1号線を歩いていくしかない。一日では行けないので、名古屋と桑名の間にある、富吉駅まで歩くことにした。
夜は友人とクラフトビールを飲むため、一度電車で名古屋まで戻る。
名古屋には浪人時代の友人、小畑くんと再会。彼と一緒に、名古屋のクラフトビール専門店としては一番有名な「ワイマーケットブルーイングキッチン」へ。お酒に強い小畑くんに手伝ってもらいながら、6杯注いだ。
16日目:富吉〜四日市(28km) 48注ぎ/53注ぎ
47/53 長島地ビール ピルスナー
48/53 伊勢角屋×Still Water「Spring Fever」
途中の長島に、ここでしか飲めないクラフトビールがあると聞いて、「なばなの里」という場所にやってきた。
が、てっきりビールを買えるお店がすぐにあるのかと思ったら、ここはテーマパークのようなところで、入場料2300円を払わないと売店に行けないよう。。。遊ばないのに、ビールを買うためだけに2300円はキツい。
受付のおじさんに、「ここのビール、他で買える場所ないですか?」と聞いても、「ここでしか買えないね〜」と。
しかし、
「東京から歩いてきたの?」
「はい」
「ビールが買いたいだけ?」
「はい」
「・・・ちょっと待ってな。ここから、サッと入って、ビール買ってすぐ戻ってきな」
「ありがとうございます!!」
これが人情である。ありがとうおじさん!
伊勢大橋を渡り、ついに三重県に突入!
江戸から42番目の宿場、桑名。名古屋の宮からの「七里の渡し」の終着地点。旧東海道に復帰した。28km歩いて、四日市に到着。
四日市に知り合いはいなかった。しかし先日、ぼくが四日市を通ることをSNSで書いたところ、2010年にバルセロナで出会った友人のさやかちゃんから、「うちのお母さんがやっているカフェが四日市にあるよ」と教えてもらったので、行ってみた。
さやかちゃんは、世界100カ国を旅した女性。ぼくは学生時代、彼女の旅ブログに圧倒され、そして見たことのない世界に憧れを抱いていた。そしたら本当に偶然、バルセロナのサグラダファミリアの前で、出会ったのだ。
「もしかして、さやかさんですか?」
ぼくが声をかけたのがきっかけで、仲良くなった。お母さんもとても優しい方で、
「洋太くん、17時にお店閉めるから、よかったら一緒にご飯食べない?」
と誘ってくださった。何も予定のなかった四日市での滞在だったが、さやかちゃんママのおかげでとても楽しい時間になった。旅の思い出は、人の思い出。それにしても、ぼくがバルセロナに行かなかったらこの出会いはなかったのだと思うと、人生は不思議なものだ。
その後、ひとりでクラフトビール専門店「bar BAROCK」へ。お店の方に旅の趣旨を話したら、お客さんもみんな注目してくださり、結局全員と友達になった。
「今日は運がいいですよ〜」
と言われ、限定のクラフトビールを飲むことができた。
伊勢角屋×Still Water「Spring Fever」
これが今まで飲んだどれとも似ていない独特な味なのだが、今までで一番おいしかった。さあ、旅は終盤!ビールも残り5杯!
17日目:四日市〜関(23km) 50注ぎ/53注ぎ
49/53 かめやま地ビール「乾杯のうた」ケルシュ
50/53 熊野古道麦酒
四日市をスタートして、鈴鹿市を通り、亀山市を目指す。
五十三次の宿場で言えば、四日市→石薬師→庄野→亀山→関という順番になる。まずは、石薬師。
かなり規模の小さな宿場だったが、静かで歩くのには良いところ。ついに東京を出発してから400kmを突破。結構歩いてきた。
そして次は庄野。歌川広重が描いた雨の庄野は、彼の最高傑作のひとつとされている。さらに亀山を抜けて、関の方向へ。
関の2kmほど手前に、日帰り入浴ができるホテルがあり、そこの露天風呂に浸かっていると、男性に話しかけられた。40代後半の方だった。
「どちらからいらしゃったんですか?」
「東京からです。歩いてきました」
「え!? 歩いてですか、素晴らしいですね〜! 私も登山が好きで、よく山を登りますが、歩くのはすごいな〜」
という感じで仲良くなった。
「自転車もやられているんですか。私も会社まで、往復50km自転車で通勤しています」
「往復50kmはすごいですね。仕事前に25kmも走るなんて」
「同僚には、『そのエネルギーはどこからくるの?』と言われます。私は19のときに子どもができて、周りのみんながいろんなチャレンジをしているときに、子育てでそれどころじゃなかったんです。だから逆に今になって、自転車レースに出たり、色んなことをやっていて。今20代だったら、私、『イッテQ』のイモトさんのような活動だったり、『世界ふしぎ発見』のミステリーハンターのような活動をしたかった。もちろん簡単になれるわけじゃないですけど、チャレンジがしてみたかった。でも、もうこんな歳になってしまって」
「素晴らしいじゃないですか。今からでも遅くないですよ」
「いやあ、ありがとうございます。そうですよね、年齢なんてただの数字だって言いますもんね。中村さんに会えてよかったです。あの、飲み物くらいしか提供できなくて申し訳ないですが、一緒にコンビニ行きましょう。欲しいもの買ってください。それと、今度何か新しい挑戦をされる際は、ぜひ応援させてください。中村さんに協賛できるように、お金貯めておきますから。最後に、握手させてください!」
稲葉さんという方だった。ありがとうございました!
東海道の宿場の中で、随一の景観美を誇る関に宿泊。この宿では、友人の旦那さんとの奇跡的な出会いがあった。
彼は折りたたみ自転車と電車で、東海道五十三次を旅していた。ぼくは1月10日から、彼は22日から旅を始めて、ちょうど今日ここで一緒になった。初対面だが、写真でよく見ていたので、親近感があった。こんな三重県の田舎で会えるなんて、なかなかの出来事だ。クラフトビールで乾杯した。
明日はいよいよ、東海道の最後の難所、鈴鹿峠を越える日。雪が心配だが、ここまできたら登るしかない。
18日目:関〜水口(31km) 50注ぎ/53注ぎ
宿のみんなに送られて、出発。関を出ると、最後の難所、鈴鹿峠への道のりが始まった。
4日前のこの付近の映像を見たとき、衝撃が走った。何年かぶりの大雪ということで、歩けなくなっていたのだ。少なくとも4日前だったら、通れなかった。
しかし、きっと状況は変わると信じて、とにかくここまで歩き進めてきた。昨日は無理でも、今日は行けるかもしれない。前に進みながら待つことが大切だ。
雪はかなり残っていたが、ズボズボ踏み進めていけた。途中、何かの動物の足跡も見かけて、襲われたらどうしようとヒヤヒヤしながら山を登っていった。幸い、何事もなく峠を越えられた。
そして、ついに滋賀県に突入した。あとはひたすら下っていくだけだったが、路面は一部凍結していて、おまけに大型トラックがバンバン通るので、かなり怖かった。もしスリップして突っ込んできたらどうしようと、常に逃げ道を考えながら歩いた。
土山宿を通過。そして無事、水口まで降りてきた。水口宿は、江戸から数えて50番目の宿場。京都・三条大橋まで、残り3つだ。
この日のゴールは、水口のスーパー銭湯。気づけば30kmを歩いてきた。朝から気合いが入っていた分、ヘトヘトになった。お風呂に入る前に、畳でごろんと倒れ込んだ。無事に難所を乗り越えられ、達成感があった。
19日目:水口〜草津(24km) 50注ぎ/53注ぎ
東海道五十三次は、長い。長かった。だけど、終わりがある。まだ終わってほしくないという、そんな気持ちとは関係なく、京都で終わる。旅の終わりは、いつも少し淋しい。淋しいけれど、きっとまた新しい旅の始まりだと信じながら、幕を閉じたい。
水口を出発し、しばらく国道1号線をまっすぐ進んでいった。5kmくらい歩いた三雲駅の近くにコメダ珈琲があったので、そこでモーニング。
51番目の宿場、石部。歩いていると、行列に遭遇。東海道五十三次を歩くツアー客たちだった。彼らは約7年かけて少しずつ歩いていて、もう少しで制覇するところだと話していた。小分けにして15kmくらいずつ歩いているのだそうだ。しばらく一緒に歩いていたら、「兄ちゃん、がんばってな」と飴やお菓子をくれた。
そして、ゴールの草津。これが江戸から52番目。
お風呂に入り、今夜もネットカフェ。『昴』という漫画を読んでいて、響く言葉があった。
「人をおしのけたり、傷つけたり……なんにせよ、本当にやりたいことを貫くってのは、痛みを伴うもんさ。だから大概の人は本当にやりたいことを、見て見ぬふりしながら、そこそこの人生を送る。まあ、どっちも悪くはないよ。どっちの生き方を選ぶか……」
あと一日で、この旅が終わる。毎日毎日、ただ歩いてきた。
身体のキツさはあるが、それでも、東京を出発してからの日々は、とても幸せだった。「生きている」という実感を得られた。それだけでいいのかもしれない。
20日目:草津〜京都(24km) 55注ぎ/53注ぎ
51/53 京都醸造 冬の気まぐれ (ホワイトペールエール)
52/53 京都醸造 熱帯波の嵐(アメリカンIPA)
53/53 京都麦酒 蔵のかほり
54/53 京都麦酒 アルト
55/53 京都麦酒 ケルシュ
最後の一日。ただ歩いていただけとはいえ、やっぱりここまで歩いてくるのはそれなりに大変だったし、脚や股関節が痛み、「京都までは無理かもしれない」と思ったこともあった。
だから「京都府 京都市」の表示を見たときには、思っていた以上に感慨深いものがあった。山科でカレーを食べて、再スタート。祇園白川に寄り道をし、四条通りに出て、鴨川沿いに北上。
東京・日本橋から、歩き続けて20日間。ついにここまでやってきた。事故や怪我もなく、無事にたどり着けて、本当によかった。
ついに三条大橋にゴール!
この20日間で実際に歩いた距離は、536kmだった。一日平均26.8km。
京都に住む二人の友人が、ゴール地点に駆けつけてくれた。そして、彼らと一緒に、クラフトビールのお店へ。前日までで計50杯だったので、最低3杯は飲まなくては、目標を達成できない。
最初に訪れたのは、「BEER PUB Takumiya」
京都醸造「冬の気まぐれ」(ホワイトペールエール)、京都醸造「熱帯波の嵐」(アメリカンIPA)
よし、あと一杯で達成だ。
2軒目の「タイム堂」に移り、
京都麦酒「アルト」、京都麦酒「ケルシュ」、京都麦酒「蔵のかほり」
これで55杯!これで目標達成! 本当の意味で、この旅のゴールだ!
53杯のクラフトビールを飲みながら、東京から京都まで、東海道五十三次を歩き切った。
大阪までの延長戦 58注ぎ/53注ぎ
京都で友人の実家に泊まらせていただき、一日だけ休息を取ったあと、さらに「延長戦」を敢行した。
「ここまで来たら、大阪まで歩いてしまえ」
残り2日かけて、大阪駅まで歩くことにした。途中の枚方で一泊し、無事大阪に到着した。
最終的な総歩行距離は592kmで、注いだクラフトビールは58杯になった。
56/53 貴醸GOLD(國乃長ビール・大阪)
57/53 JAPANESE CLASSIC ALE (常陸野ネストビール・茨城)
58/53 セントアンドリュース(ベルヘイブン・イギリス)
ちなみに、58杯の中でいちばんのお気に入りは、48番目の伊勢角屋×Still Water「Spring Fever」だった。
旅を終えて感じること
計23日間の歩き旅。今思い返しても、贅沢な時間の使い方だった。
毎日、朝から夕方まで、ひたすら歩いた。歩きながらいろんなことを考えていたけど、ほとんどは忘れてしまった。足は痛いし、肩は痛いし、全身ボロボロ。ただ、仕事を忘れ、京都というただ一点を目指して歩く日々は爽快で、大いなる解放感があった。とても幸せな日々だった。
たしか、愛知県に入った頃だったと思う。歩き切ったあとの銭湯で、湯船に浸かる人々の会話が、いつの間にか標準語から西日本の方言に変わっていた。「ああ、随分遠くまで歩いてきたんだな」と旅情を感じた。
そしてゴールしたときの大きな喜び、達成感は何物にも代えがたかった。自分の足で大阪まで歩いたなんて、今でも信じがたいけど、嘘じゃない。足腰が丈夫なうちに、やってみてよかった。
帰りは新幹線で一気に東京へ戻った。行きは23日間、帰りは2時間半。景色の移り変わりがあまりに速すぎて、気持ち悪くなった。恐ろしいほどの文明の進歩。でも、歩いたことの価値は決して消えない。日本の大きさを肌で感じられた体験は、お金では買えない価値だ。
江戸時代、人々は14日ほどで、江戸から京まで歩いたという。一日40km前後を歩いた計算になる。もちろん、今のように歩きやすいシューズではないし、道ももっと悪路だったはず。すごいことだ。
それでも、ほんの200年前までは、馬や駕籠を除けば、誰もが歩いていた。歩くしかなかった。今は、みんな電車や飛行機を使う。生活は便利になったが、その分、人間はどこかで弱くなっている気もした。
だからきっと、一度実際に歩いて、何かを感じてみることも、悪くないはずだ。
この旅がきっかけで、直接何かの仕事につながったわけではないが、ブログに旅の様子を書き続けていたおかげで、「おもしろいライターがいる」と幾分か注目してもらえるようにはなったと思う。やがて、TABI LABOというメディアで連載を書かせてもらえることになり、トラベルライターとしての出発点を切れた。
また、ひとつ嬉しかった出来事を最後にご紹介したい。この旅から数ヶ月が経った頃、「君のブログを読んだ」という50代のアメリカ人男性から、一通の英文メールが届いた。クラフトビールと自転車旅が好きで、世界各地を自転車で旅しながら、クラフトビールを味わっているのだそうだ。
「君が歩いた東海道のルートを自転車で辿りたいから、助言をくれないか」
「クラフトビールがお好きなら、紹介したいお店がたくさんあります。よかったら、途中まで案内させていただけませんか?」
そうして実現した、アメリカ人ダンさんとの、川崎から静岡までの、2泊3日の不思議な自転車ふたり旅。既に知っている東海道の名所やクラフトビール店を彼に紹介した。
再び訪れた静岡の「BEER GARAGE」では、お世話になった横山さん(3日連続で会った方)たちがまた駆けつけてくれた。別れの夜、歩いたからこそできたおもてなしに、ダンさんは少し涙ぐんでいた。
「ヨータのおかげで日本が大好きになった。必ずまた自転車で日本を走りたい」
ぼくにとっても忘れられない旅になった。
「東京から京都まで、歩いたら何日かかるんだろう?」
大学時代、司馬遼太郎の小説を読みながら抱いた小さな疑問が、思わぬ出会いや経験へと導いてくれた。