ロードバイクをめぐる奇跡の出会いと物語
大学4年生の春、ぼくは誰かと知り合うたびに、「スポンサーを集めて、自転車でヨーロッパを一周したいんです」と夢を語っていた。するとある日、出会った方がこんなことを言ってくれた。
「洋太くん、田中ウルヴェ京さんって知ってる?」
「いえ」
「ソウルオリンピックのシンクロナイズドスイミングで銅メダルを獲った方なんだけど、その方が月に一度、朝食会を開いていてね、今度紹介するから、行ってみたらいいわよ」
朝食会というのは、朝ごはんを食べながらの異業種交流会のようなもので、ぼくは大学生だったけど、おもしろそうなので参加させていただくことにした。
参加者は20〜30名程度。案の定、学生はぼくだけで、社会人とプロアスリートの方しかいなかった。オリンピックメダリストということで緊張したが、田中ウルヴェ京さんはとても優しい方だった(現在はコメンテーターとしてもテレビで大活躍されている)。
ご挨拶すると、参加者の前で2〜3分PRする機会をくださり、ぼくはコピーしてきたA4用紙1枚の企画書を全員に配った。
「早稲田大学の中村洋太と申します。今年8月から『ツール・ド・ヨーロッパ』と題して自転車でヨーロッパ西部を一周するために、ただいま協賛集めの活動をしております。・・・」
その後、交流の時間になり、プロテニスプレーヤーの方やIBMの部長さんなど、各分野で活躍されている方々から、たくさん話しかけられた。さすがに元オリンピック選手が主催する会には、トップクラスのおもしろい方々が集まるものだと思った。「中村さん、先ほどのスピーチに感動しました!」とその場でお金を出して、協賛してくださった方もいた。
お開きとなり、そろそろ帰ろうとしていたとき、元Jリーガーの重野弘三郎さんに呼び止められた。かつてセレッソ大阪でプレーしていた方だった。
「中村さん、ロードバイクで旅するんでしょ? 俺のJリーグ時代の先輩で、サッカーを引退後に自転車輸入会社の社長になった人がいるから、紹介するよ」
驚いたことに重野さんは、その場で電話をかけ始めた。
「今ね、隣に中村くんっていう早稲田の学生がいるんだけど、応援していただけないかと思いまして。詳しくはこのあと彼にメールさせますので」
一瞬のことで呆然としてしまった。
「・・・ということで、あとは直接メールでやりとりしてみてください。応援してます!」
大人の行動力はすごい。いただいたご縁で、ぼくは大阪府吹田にある「ジョブインターナショナル」の高橋社長(当時)に、メールで想いを伝えた。
すると、こんな返信があった。
==============
時々ヨットで世界一周とか、マラソンや自転車で世界一周とか、メディアで取り上げられたりしていますが、そんな普通でないこと(ツール・ド・ヨーロッパ)を考える人が身近に現れるとは、思ってもいませんでした。
ちなみにうちの会社でのキーワードのひとつに「普通はダメ」というのがあって、貴殿の「ツール・ド・ヨーロッパ」に興味を持った次第です。
とはいえ、今回おそらく機材サポートという形になると思いますが、それは商売ベースの損得勘定ではなく、普通でないことをやろうとする人を応援したいという個人的な想いからですので、気楽に構えてくださいね。
うちはイタリアの「BASSO」という自転車ブランドの輸入元です。ホームページから、好きな自転車をお選びください。
==============
損得勘定ではなく、純粋な応援。ぼくは感動してしまった。BASSOの自転車でヨーロッパを走りたいと強く思った。そして、赤と白という「日の丸カラー」にひと目惚れし、「Laguna」という車種を選んだ。
「自転車は梱包して、横須賀まで送りますね」
と言ってくださったのだが、それは申し訳ないので、7月のはじめ、ご挨拶も兼ねて夜行バスで大阪へ行った。会社を訪ねると、高橋社長と、整備されたばかりのピカピカのロードバイクが、ぼくを待ってくれていた。かっこいい。
深々とお礼をして、ぼくは自転車にまたがった。
「横須賀までどうやって帰るんですか?」
「早速宣伝をしたいので、自転車で帰ります」
5日間かけて、大阪から横須賀まで、約550kmの道のりを走った。軽くて、速い。凄まじい自転車だと思った。
旅の途中では、ブログを読んでくれていた浜松のカレー店「mana」のオーナーがご馳走してくださったり、横浜市金沢区のケーキ店「オ・プティ・マタン」のオーナーが協賛してくださったりと、忘れられない道中になった。
しかし、このロードバイクをめぐるエピソードには、まだ続きがある。
念願のヨーロッパ自転車旅が始まって約40日が経った頃、ベネチアにいたぼくは、ふと高橋社長とのこんな会話を思い出した。
「このBASSOという自転車会社は、イタリアのどこにあるんですか?」
「本社はヴィチェンツァという北イタリアの町だよ」
調べてみると、ベネチアからそう遠くなかった。ぼくは高橋社長に連絡をし、「BASSOの本社を訪ねたいです」と伝えると、「ここにかけてみてください」と電話番号が送られてきた。
言葉に不安があり緊張したが、ぼくは勢いに任せて電話をかけてみた。
「・・・・(ガチャ)Hi, I'm Basso」
(I'm Basso?)
会社の代表番号だと思っていたら、バッソ社長の携帯電話だった。「いきなりご本人!?」と思いながら、ぼくは拙い英語で、必死に伝えた。
「My name is Yota Nakamura, from Japan. ・・・あなたに会いたいんです」
「残念ながら、今日は会社にいないんだ。明日も予定がある。明後日から、パドヴァで自転車の展示会があってね」
パドヴァは、ベネチアとヴィチェンツァの間にある地方都市。自転車の展示会というのは、例えるなら「東京モーターショー」の自転車版のようなものだった。
「じゃあ、明後日パドヴァへ行けば会えますか?」
「多分ね」
その言葉を信じ、ぼくはパドヴァの自転車展示会場を訪れた。広い会場には、国内外の自転車メーカーがブースを出していて、BASSO社のブースを探すのはひと苦労だった。それでもなんとかブースを見つけ出し、スタッフのひとりに、「Mr.Bassoはいますか?」と尋ねた。
しばらくして、ブースの奥からおじさんが出てきた。
「ハイ、ヨータだね」
紛れもなく、バッソ社長だった。
「はじめまして。ぼくはこのBASSOの自転車で、ヨーロッパ12カ国を一周しています。走り心地は最高です。あなたにお会いできて嬉しいです。感謝しています」
これがぼくに言えた精一杯の英語だった。すると、バッソ社長はブースにいた同僚たちに向かって大声で、そして誇らしげに言った。
「みんな、このジャポネーゼは、BASSOのバイクで日本からやってきてくれたんだ。すごいだろう!」
実はこのバッソ社長は、自身がデザイナーでもあり、ぼくが乗っていた自転車を生み出した張本人だったのだ。
「この人がいなかったら、ぼくが乗っている自転車も存在しなかった。そんな人が、今目の前にいる」
人生は不思議なことだらけだと思った。そして奥から記念品のTシャツと帽子を持ってきてくれた。
「これを君にプレゼントしよう。旅の成功を祈っているよ」
この話をしたら、高橋社長も喜んでくださった。誰ひとりが欠けてもこの場所には到達しなかった。たくさんの方の支えがあって、実現した出会いだったのだ。
当時、旅を支援してくださった方には旗に赤ペンでお名前を書いていただき、最終的に300名のお名前で「日の丸」が完成しました。これが旅行中の大きな力になりました。
田中ウルヴェ京さんからは、「自己の限界の挑戦は楽しい‼︎」と応援コメントをいただきました。京さん、ありがとうございました!
この記事が参加している募集
お読みいただきありがとうございます! 記事のシェアやサポートをしていただけたら嬉しいです! 執筆時のスタバ代に使わせていただきます。