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慰安婦訴訟における国家免除制限の妥当性について

ソウル中央地裁にて慰安婦訴訟の国家免除を否定する判決が出た。国家の行為に対して人権を重視する判決が出た事は当然のように思えるが、この判決は先進的な判決として注目されている。この様な判決が出るに至った経緯と理由を、素人ながら調べた結果を以下に記す。

目次
1. ソウル中央地裁判決の概要
 1.1. 判決
 1.2. 国家免除が否定される理由
2. 国家免除に関する国際的な流れ
 2.1. イタリア国内裁判所
 2.2. イタリア-ドイツのICJ判決
 2.3. イタリア憲法裁判所
3. ソウル中央地裁判決の位置付け
 3.1. 国際的なコンセンサス
 3.2. 法秩序と人権のバランス
 3.3. 国際法の秩序維持
4. 結論



1. ソウル中央地裁判決の概要
1.1. 判決

判決の構造は、原告は裁判を受ける権利を有する。なぜならば、本件は韓国の裁判所が扱う事ができ、また日本の損害賠償責任は有り、そして日韓請求権協定や慰安婦に関する日韓合意には含まれないからであるというものである[1]。

■ 裁判権の有無(国家免除の適用可否)の判断:裁判権有り
国家免除理論は日本帝国による反人道的犯罪行為の賠償と補償を回避する為のものではなく、原告の救済としての裁判権を受ける権利は保障されなくてはいけない。

■ 国際裁判管轄権の有無についての判断:管轄権有り
以下の点から大韓民国は本件の当事者ら及び紛争となった事案と実質的関連性がある。
・ 不法行為の一部が韓半島内で行われた点
・ 原告らが大韓民国国民として現在大韓民国に居住している点、等

■ 損害賠償責任の発生
・ 当時の日本帝国が批准した条約及び国際法規に違反し、「人道に反する犯罪」に該当
・ 被告はこれにより原告らが被った精神的苦痛に対して賠償する義務がある。

■ 損害賠償請求権消滅についての判断:消滅しない
原告らの損害賠償請求権は、1965 年の請求権協定や 2015 年の日本軍慰安婦被害者問題関連合意の対象に含まれていないので、請求権が消滅したとは言えない。


1.2. 国家免除が否定される理由
では、一番のポイントである国家免除が否定される理由は何か、以下に判決の該当する部分を整理する。

1) 権利救済の実効性が保障されなければ、憲法27条の裁判請求権を空虚にするものであるから、裁判を受ける権利は十分に保護され保障されるべき

2) 国家免除の慣習法が手続法として不十分な事により、実体法上の権利や秩序が形骸化されたり歪曲されてはならない

3) 国家免除理論は恒久的で固定的な価値ではない

4) 当時の韓半島は戦場ではなかった為、日本帝国の行為は国家免除が適用される「武力紛争(戦争)遂行過程中」に発生したとは言い難い

5) 下位規範は絶対規範(拷問禁止等)を逸脱してはいけない

6) 法解釈の際に下記の様な結果が想定されるなら、これを排除する方策を検討すべき
① ある国家が反人道犯罪を防止する国際諸条約に違反しても制裁が出来ない
② 個人に過ぎない原告が本件訴訟の他に損害賠償を受ける方法は見出しがたい

7) 国家免除理論は、絶対規範に違反し他国の個人に大きな損害を与えた国家が、賠償と補償を回避できる機会を与えるために形成されたものではない


即ち、人権侵害を伴う国家犯罪に対して国際慣習法である国家免除を形式的に適用し、被害者が救済を受ける権利を得られない事は、本来の国家免除が形成された意図とは異なるという事である。戦争とは別に、日本国内である国が国家的な人道犯罪を犯した時、その相手国での裁判は期待できず、日本国内で裁判を起こし賠償が認められたのに国家免除でその賠償が認められない事の不合理さは誰しもが理解できるのではないか。

しかしながら、この判決は先進的と言われ、この考えがこれまでは一般的ではなかったということであり、その理由を探ってみた。

2. 国家免除に関する国際的な流れ
2.1. イタリア国内裁判所

国際法においては,主権国家の平等と独立に対する相互の尊重という理念を背景に, 国家の行為に関する外国国家の裁判権からの免除の原則が, 19 世紀以来慣習国際法として存在することが認識されてきたとの事である[2][3]。

しかし近年、国家免除を否定する判決が出てきており、代表的な事例がイタリアにおいて第二次世界大戦時のドイツ軍による強制労働の賠償を求めた裁判である。ドイツは裁判への参加は行わなかったが、2004年に以下のような考えの元、国家免除が否定された[2]。

・ 国家免除からの離脱は、政治的理由による虐殺や婦女暴行のような犯罪行為によって生じた国際的損害の事案にも拡大される
・特に重大な犯罪行為 に関する国際実行において、基本的な人権の保護が管轄権免除を通じた国益の保護に勝るという地位を確認することが可能である


2.2. イタリア-ドイツのICJ判決
この判決に対してドイツは国際司法裁判所(ICJ)に提訴し、2012年に国家免除を尊重する義務にイタリアが違反したという認定を行った。その理由は以下である[3][4]。

・慣習国際法の現状に照らして,ある国家が国際人権法 または国際武力紛争法に対する重大な違反を理由として告発されているという事実のみを もってしては,主権的行為に関する他国の民事裁判権からの免除は当該国家から剥奪されない
・国家免除に関する慣習国際法規範は手続的性格を有する規範であり,ある国家行為が実体レベルにおいて正当かどうかとは別次元で、その結果原告の裁判権が失われても、国家免除が強行規範に対し譲歩しなければならないと主張することはできない
・ある国家が裁判権免除を享有する資格を有するか否かということが,当該国家行為の被害者を救済するための実効的代替手段が存在するか 否かということに依存しているという国際法についての解釈を採用すべき根拠は存在しない

この判決理由から分かるように、ICJは人権に関する考慮をせず、形式に国家免除の適用判断を行っているということである。

2.3. イタリア憲法裁判所
イタリアはICJの判決を受けてドイツの国家免除を認める措置を取ったが、これが自国の憲法に違反しないかを審査し2014年に判決がでた。結果としては、重大な人道犯罪として認識される行為により裁判を起こす権利が犠牲にされることを正当化する程度に優越的な公共の利益は認められないと憲法裁判所は断言した[2][5]。
その理由は以下である。

1) 国家免除に関する国際法規範と裁判を受ける権利、及び基本権保護のための原則という諸規範との適合性の審査を判決対象として設定した


即ち、これまで国家免除は手続き法として、その結果人権が侵害されようが裁判が受ける権利が消滅しようが関知しないという立場であり、国家免除と人権は全く別の次元であるということであったが、これを国家免除と人権を同じレベルで比較し得るとしたのである。

そして、人権は公共の利益とを比較して結論を出すべきとの意見が出ている。

2) 人権は「潜在的に優越するものと認めら れうる公共の利益」によって正当化されなければならないということを憲法裁判所は直ちに付言している。さらに、そのような限界を設定する規範は,「具体的事案における諸要求を規準とした,当該公共の利益に関わる厳格な衡量を保障するものでなければならない」とされる。

そして、両者を比較した憲法裁判所の結論は以下の通り、人権は公共の利益に優位すると言うものである。

3) 「至高の諸原則」によって支配される憲法秩序の中で,そのような事態を前にして、重大な犯罪として認識される行為により侵害された基本権の裁判権による保護を受ける権利が犠牲にされることを正当化する程度に優越的な公共の利益は認められないと憲法裁判所は断言する。
国家の統治権の正当な行使とは無関係な戦争犯罪及 び人道に対する犯罪が有った際に、その被害者の裁判権が保証されないという事情は,国家による統治権の行使に影響を及ぼさないという目的と比較して、共和国憲法により保障が託された2つの基本原則に対する犠牲を不均衡と言える程度に過大なもの にするという帰結が導き出される。


3. ソウル中央地裁判決の位置付け
3.1. 国際的なコンセンサス

国家免除制限はまだ先進的な判決とされるが、この考えの国際的なコンセンサスの状況を概観してみる。まず2010年の論文によれば、この時点で国家免除が否定されるとの認識は無かったようである[6]。

・人権侵害行 為に対して免除が否定される実行は1980年代以降わずか数国に散見されるにとどまり、このような行為が免除の否定を惹起するほどに国家間関係を毀損するとの理解それ自体、ここ20数年の間に登場した認識であるように思われる.
・したがって,国際法違反行為または人権侵害行為に対して慣習国際法上の国家免除がそもそも及ぶか否かはともかくとして,そのような行為に対して免除が否定されるという慣習国際法は存在していないと評価するのが妥当であろう。

また、前述のイタリア国内裁判所もICJの判決が出た後に十分なコンセンサスが無い事を認めている[2]。

・国際社会における承認を少なくとも現状では受けるに至っていない孤立した立場にすぎず,その限りにおいてそれ以後も適用可能な方針ではないという認識を提示し

この様な状況はこれまで人権に関する事案が対象外であったのではないかとの考察も有り[6]、今後の積み重ねにより国家免除を正当化していけるのではないだろうか。そして、これがまさに今回の慰安婦訴訟判決にある「3) 国家免除理論は恒久的で固定的な価値ではない」との文言と合致していると思われる。また、被害者の裁判権を重視する考えは「1) 権利救済の実効性が保障されなければ、憲法27条の裁判請求権を空虚にするものであるから、裁判を受ける権利は十分に保護され保障されるべき」との判決文に通じる。

・慣習法上の例外アプローチが立証できなかったということ,つまり, 国際法違反を構成する人権侵害行為に対して免除が否定される事例がなかったということ は,そもそも,慣習法たる国家免除原則は重大な人権侵害行為に及ばないのではなかろう か.言い換えれば,国家免除原則の射程はそもそも一定の範囲に限定されているのではな かろうか.慣習法上の国家免除原則それ自体の射程を問い直すことにより,重大な人権侵害行為に対する国内裁判所の裁判権の行使を国際法上正当化しうるかもしれない


3.2. 法秩序と人権のバランス
これはイタリア憲法裁判所が提示した通りであり、国際慣習法を制限する事と裁判権の確保とを比較した結果として、後者が優位するという判断である。これは慰安婦訴訟判決の「5) 下位規範は絶対規範(拷問禁止等)を逸脱してはいけない」と通底するものであろう。

・国際司法裁判所によって明示された射程を伴った,裁判権からの外国国家の免除に関する慣習国際法規範は,人道に対する犯罪及び基本的人権に対する重大な侵害の被害者による損害賠償請 求を審理する裁判官の裁判権を排除する限りにおいて,かかる被害者の諸権利に対する裁判権に よる保護を受ける権利を全面的に犠牲にする事態を惹起する。 〔…〕憲法秩序の領域では,重大な犯罪として認識される行為により侵害された基本権の裁判権による保護を受ける権利(共和国憲 法第2条及び同第 24 条)が犠牲にされることを正当化する程度に優越することが判明するほどの公共の利益は認められない。


3.3. 国際法の秩序維持
国家免除の人権に対する制限が進まない理由は以下の様な法秩序の混乱に対する懸念ではないかと思うが、慰安婦訴訟判決にこれらの懸念に対する回答は含まれていない。

・国家は徐々にこのような繊細な問題について国際的な判断を受け入れるよう になってきたにもかかわらず,個別国家が他国の行為に対して管轄権を一方的に行使し始めれば,この過程は後退することになる可能性がある。
・かりに人権規範にもとづく免除の否定が認められれば,フォーラム・ショッピングが生じ,リベラルな管轄権規則をもつ先進国の国内裁判所での裁判が増大するおそれがある。
・外国国家に主権免除を付与することは,国家に対等なパートナーとして相互間の問題を規律することを可能とする必要条件をも構成するし、これを否定することは.…このような相互関係は,強行規範を甚だしく侵害した国家との間においてとりわけ重要である.なぜなら,さもなければ,国際共同体は一般にもは やその行動に影響を与えることができないであろうからである。


4. 結論
今回の慰安婦訴訟の判決は、人道犯罪被害を救済する裁判権を保証する憲法によって国家免除を制限するという意味でイタリアの国内裁判所や憲法裁判所の判決の延長線上にある。まだまだ判決が積み上がっていないが、今後の流れとなるものだろう。

また、イタリアの判決に無い点としては「国家免除理論は、絶対規範に違反し他国の個人に大きな損害を与えた国家が、賠償と補償を回避できる機会を与えるために形成されたものではない」と言う形式的な判断を利用する事の戒めが特徴であろう。

出典
[1]:法律事務所のアーカイブ / http://justice.skr.jp/index.html
[2]:イタリアにおける慣習国際法規範の遵守義務と合憲性審査:江原勝行
[3]:判例研究:ギリシア最高裁、イタリア破毀院判例研究:松浦隼生
[4]:主権免除(独対伊)国際司法裁判所(ICJ)判決 / http://justice.skr.jp/stateimmunity/stateimmunity_majority.html
[5]:イタリア憲法裁判所2014年10月22日判決 / http://justice.skr.jp/stateimmunity/italiacc.html
[6]:重大な人権侵害行為に対する 国家免除否定論の展開 : 坂巻静佳

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