強い言葉で決めつける表現が嫌い(という強い言葉による決めつけ)
2024年がまもなく終わる。
振り返ると今年は異動したり立場が変わったり、あと身の回りにも色々あった。
そして仕事が忙しくなるとともに生活習慣を見直すようになった。
パフォーマンスを維持するためには心身ともに健康を保つ必要がある。
身体の面では定期的に長距離を歩くようにした。
1日に合計1時間以上は歩くようにしている。
メンタル面では目に留まる情報の取捨選択をするようになった。
例えば最近ではTwitter(現X)のアカウントを削除した。
というのも、最近はLINEもブラウザもTwitterもニュースや記事を目に留まる場所に表示するからだ。
しかもその情報は私にとっては興味がないものばかり。
ただ、このようなSNSなどに表示される記事を見ると気持ちがげんなりする。
大きな理由はこういった記事や投稿は「〇〇する人はバカ」とか「二流は※※をする、一流は□□をする」といった強い言葉や過激な表現ばかり見せるからだ。
世の中はそんな決めつけられるほど単純じゃない。
それなのに単純化された強い表現ばかり見せられると私は疲れてしまうのだ。
言葉に敏感な自分にとって世界はうるさすぎる
私は子供の頃から周りの人に言われたこと、ふと目にした記事や文章がずっと頭に残りがちだ。
とりわけ人を罵倒する言葉や過激かつネガティブな表現は頭に残る。
それはおそらく自分の気質の一つ。
自分はおそらくHSP(Highly Sensitive Person)であって、HSPの特徴の一つは言葉に敏感なこと。
もちろん大人になり、キャリアアップしていくとともに過激な言葉への対処法はわかってきた。
だけどそれでもやっぱり強い言葉は頭に残るし、気持ちがげんなりする。
昔は「こんな言葉にいちいち傷ついていたらだめだ」と思っていた。
そして「気にしない」と頑張ったけどやっぱりだめだった。
しかも「気にしないことすらできない自分はだめだ」と更に自信をなくす。
でも変えるのが難しい理由は単純で、自分の根本の感受性から変えようとしてるから。
というかそもそも価値観や感受性を根本から世の中に合わせる必要はないはず。
それよりも「過激な言葉が飛び交う時代」であることを認識したうえで対策をしたほうがいい。
つまり、自分が言葉に敏感であることと世界がうるさすぎることを受け入れたうえでどう動くかが大事なんだ。
過激な情報に触れない工夫が心身を守る
では過激な情報に触れないようにするにはどうするか。
まずはそういった情報が出る理由を考えてみる。
例えば本当に様変わりしてしまったTwitter。
どうやらTwitterはインプレッション(閲覧数)が多いなど目に留まるものが「おすすめ」に上がりやすいらしい。
そして過激な表現で単純化された投稿であったり、炎上するような投稿は閲覧数や反応が多いのでおすすめに表示される。
あと、ブラウザの上位に表示されるネットニュースもおそらく閲覧数が関係している。
それだったら対策としては以下のものが考えられる。
特定キーワードをミュートにする
ブラウザのフィードでは表現が気になる媒体を片っ端からブロック、中立的なメディアだけフォローする
最終手段としてアプリを消す
例えば有名人が亡くなったあとはSNSがその人の話題で埋まる。
さユりのときとか結構辛かった。
だったらその期間はSNSを開かなかったり、想起させる表現はすべてミュートにしてしまう。
ニュースサイトも一緒。
偏向的な媒体とかすぐに「一流」とかの分かりやすい表現をする媒体とかは片っ端からブロックする。
飲み会に行くだけで一流の社員になれるわけじゃないし、顧客の話を聞くだけで一流の営業パーソンになれるわけじゃない。
そもそもそんなに仕事は甘くない。
とは言ってもニュースを追う仕組みは作りたいのでできるだけ客観的な表現をするメディアをフォローする。
そうなると私のフォローはBBCとかロイターとかの海外メディアになった。
(もちろんそれらの媒体にも主義主張はあるけれど)
それでも解決しない場合、最終的にはアプリを消す。
というわけでTwitterはさようならだ、バイバイ、イーロン。
何もしないと大量の情報が、しかも自分が望んでいない情報ばかりが入ってくる社会。
それが望ましい状態なのか、というと疑問は残る。
だけど社会を変えることは難しい。
だったら自衛して心身の健康を守ったほうがよっぽどよい。
そうは言いつつ、これだけ過激な表現ばかりが目に留まるのは個人的にはしんどい。
だからこそ最後に言いたい。
私は過激な表現や決めつける表現が大嫌いだ。