ツーリング日和2(第26話)龍泉院のロケット
仁摩から江津まで来て、
「次の交差点、左や」
「浜田は行かないの」
浜田には浜田城があるけどパスや。余裕があったら見ても良かってんけど、ここは念のために国道九号を避けとこ。マイを追っかけてる連中もアホばっかりやないから、勘づいて引き返して来るかもしれんからな。
「コトリはどう読んでるの」
「理想的には浜田自動車道から広島目指してくれたら嬉しいんやけど」
マイが高速経由で逃げる線や。
「でもあの連中、あれだけじゃないはずよ」
そうやろな。マイが大阪を逃げ出したんが昨日で、今朝には石見銀山まで追いかけて来たからな。どんだけのお嬢様やねんよ。石見銀山でマイを見つけたものの、見失ったとなれば集まってくるやろな。浜田自動車道から広島に集まって来るのもおるやろけど、
「九州に逃げる線も考えるのじゃない」
ちょっとでも知恵があったら考えるやろな。それを言えば、しまなみ海道から四国も考え出すやろ。そうやってマイの逃げるルートを広く考えさすのがポイントやけど、
「そやけど警察やあらへんからな」
「だから予定通りね」
ポイントは今日の宿泊地や。マイかって一晩中走って逃げるわけにもいかへん。そやから、どこかで宿を取ると考えるはずや。こういう時に誰でも考えるんは、人知れぬ宿に泊まろうや。そやな、昨日の小屋原温泉みたいなとこや。
そやけど必ずしも正解とは言えん。人知れず言うても人はおるし、とにかくマイは目立つ。若いし美人やし、さらにあのトライアンフや。田舎に行くほど覚えられやすいだけやのうて、噂のタネにされやすい。現実に石見銀山で見つかってもてるぐらいや。
「木を隠すなら森ね」
「森ちゅうほどの森やないけど・・・」
石見銀山から西に向かい観光と考えれば萩か津和野が浮かんで来る。距離と目的を考えればそうなるし、コトリたちもそういう予定を組んどる。そやから、マイを追いかける方からしたら、メジャーな萩や津和野をマイは避けると考えるはずやねん。
「相手がどこまで大掛かりかどうかだけどね」
「出くわしてもたら、そん時は、そん時やろ」
そんな話をユッキーとしながら喫茶店で一服や。
「マイ、そろそろ話してくれない」
「あんな連中も出て来たし」
マイは迷っているようやったが意を決したみたいに、
「ここでお別れにするわ。ホンマにお世話になったんは感謝してる。そやけど、これ以上は迷惑かけられへん」
健気やな。そやけど一人で逃げるんはムチャや。
「マイがそうしたいんやったら反対はせんけど、逃げ回るにはゼニがいるで。カードは止められてるんやろ」
「だから原付で下道ツーリングのわたしたちに声をかけたんでしょ」
マイが逃げた時は焦ったみたいで手持ちの現金は乏しそうやねん。宿を一緒にしたいとしたんも、マイナーつうか、マイなら聞いたことがないような小屋原温泉なら身を隠せそうなのもあったはずや。
それだけやない宿代を踏み倒そう・・・これは言い過ぎか。コトリたちに頼ろうとしたのもあるわ。そんだけ困っとるんやろ。ここで見放してもエエ様なもんやけど情が湧いてもた。これはユッキーも同じやし。
「マイ、旅は道連れって昔から言うし、袖すり合うも多少の縁とも言うやんか」
「一宿一飯の恩義とも言うでしょ」
ユッキー、それはずれとるで。意味はわからんでもあらへんが。ここでノンビリ井戸端会議やってる時間もあらへんな。ブラフかけたるか。たぶんそうのはずやねん。
「龍泉院さんとこの娘さんやろ」
「えっ、なんでそれを」
マイの乗っ取るトライアンフのロケットは遠の昔に生産中止になっとるわい。そやから爺さんのバイクやったんはホンマやろ。それに日本でトライアンフなんて買う物好きは限られとる。
海外の大型バイクやったら、ハーレーとかBMW、ドカッティとかや。これも販売網の問題もあって、ドカッティかって買おかと思ても売ってる店なんかそうはあらへん。そやからまだしも販売店があるハーレーとかBMWが多いんや。
販売網の問題はバイクの整備にも連動するねん。車検もそうやけど、故障の修理一つでも普通のバイク屋で出来るとは限らん。日本製やったらどこのメーカーでもOKでも海外製となるとそうはいかん。パーツ一つ取り寄せるんも大仕事になる。
海外製でもマイナーつうより販売台数が少ないほど整備の問題は大きくなるぐらいや。その点でトライアンフは厄介や。そりゃ、見る事さえ珍しいからな。そんなトライアンフでもロケットになるとさらに別格やねん。あんな化物バイクを買う奴が限られてまうやんか。
それとやけどマイのロケットはピカピカや。なんも知らんかったら新品のバイクにしか見えへんぐらいやねん。エンジンかってそうや。コトリも乗ったからわかるけど元気いっぱいや。そやけどな、ロケットは半世紀前の骨董品なんや。ありゃ、どっかでエンジン積み替えとるかオーバーホールぐらいしてるはずやねん。
そんな状態にロケットを保てる人間は当たり前やけど限られる。どんだけゼニがいるかってことや。それも半端な金額やあらへん。それにゼニだけやあらへん。バイクが好きで、ロケットにカチカチに入れ込んでのうたら出来へんことや。
マイは大阪から来とる。大阪やからロケットが何台かあっても不思議あらへんけど、あの状態で残ってるとしたら龍泉院のロケット以外に考えられへん。バイク好きの間やったら、それぐらい有名なロケットやねん。
龍泉院家は大阪の関白園のオーナーや。あのドデカイ豪勢な庭園と、第二次大戦の空襲でも生き残った、こんでもかの大邸宅を料亭にしてるとこで、店の格も高いで。そりゃ、大阪でサミットやった時に晩餐会をやったほどの超が付く一流料亭や。その関白園の前のオーナーが、バイクきちがいのトライアンフきちがいのロケットきちがいなんよ。
「そんなことをなんで知っとるんや」
「たまたまや」
龍泉院は名家や。これもややこしいな。名家やのうて半家やねん。公家さんの家格は昇殿出来る堂上家と出来へん地下家に分かれるんよ、堂上家の序列は、
摂家 → 清華家 → 大臣家 → 羽林家 → 名家 →半家
堂上家の家格に名家があるから龍泉院家は名家やのうて半家や。この半家やけど、技能で有名やねん。たとえば陰陽道の土御門家とか有職故実の高倉家とか、医道の錦小路家とかや、錦小路家は医心方で有名な丹波氏の嫡流や。
「コトリは公家の世界に詳しいね」
「これでも円城寺家の娘に化けとったからな」
龍泉院家は料理の技能の家やってんよ。江戸時代の宮廷料理は衰微しとったけど、御一新の後に代々腕を磨いて関白園のオーナーにまでなったぐらいや。
「なんでそこまで知ってるんや」
「知っとるもんはしゃ~ないやろ」
この龍泉院家やけど第二次大戦後に華族が廃止になった後に原則として女系相続になってるねん。料理人も天才の道やから世襲やったら限界があったからやと思てる。そやから料理人の世界で龍泉院家の婿になるつうのは、非常な名誉であるだけやのうて、地位と龍泉院家の富が手に入るぐらいや。
「そこまでは言い過ぎやで」
まあな。料理人は唯我独尊の面も強いさかい、誰しも好き好んで婿養子になりたいわけやない。つうかこれも昔から同じやけど、
「そうよね。小糠三合あるなら入り婿するなってね」
それ言うたら嫁はどうなんるんやと言いたいけんど、昔の方が家がはるかに重かったから、嫁にしろ入り婿にしろ婚家から見たら他人やってん。そやから嫁やったら姑の嫁イビリは定番や。婿養子も扱いは似たようなもんで、
「家の財産を盗む泥棒みたいに扱われたのも多かったらしいのよね」
この辺の話は数えきれんぐらい転がっとる。ようあるんやったら、婿養子で一旦は跡取りにしたけど、それから妾に実子が出来て追い払われたり、大名クラスやったらお家騒動になったりもある。
「上杉鷹山の話も有名だものね」
あれな。鷹山は借金でニッチもサッチも行かんようになった米沢藩を立て直した名君やけど、養子やったから最初は家臣からもバカにされとるからな。それでもや龍泉院の婿になりたいやつが多いのは間違いとも言えんやろ。