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不思議の国のマドカ(第25話)マドカの懊悩

 マドカには誰にも言えない秘密があります。円城寺家の執事の新田の姪がいるのですが、母親が重い病で入院中とのことで新田が引き取って育てていたのです。新田は屋敷に住んでおり、姪とは同い年どころか誕生日も一日違いだったもので、双子のように育てられています。

 これは円城寺家側の事情ですが父母の仲は冷め切っており、食事さえ一緒に取る事は稀でした。そのためマドカの育児は執事の新田夫妻に任せきりでしたので、自然に親しくなりました。執事の新田はある日にこんな要求を父母にしたそうです。
 
『マドカお嬢様の御教育のために、姪のマドカを付き添わせるのが最良かと存じます』
 
 育児に無関心の父母は、さして深く考えるでもなく、あっさり了承したそうです。ですから礼儀作法から、茶道、華道、書道、合気道、さらにはフルートから写真教室まで常に一緒でした。学校も大学まですべて同じです。そうそう家事一般も執事の新田夫妻から教わっています。

 それと名前が同じであるだけではなく、他人の空似とは思えないほど、そうまるで一卵性双生児のように良く似ています。そしてお互いの呼び名は『円マド』、『新マド』としていました。

 どれぐらい似ているかですが、おそらく当人同士以外なら執事の新田夫妻しか無理として良いかと思います。父母では到底無理と言うところです。実際に入れ替わる悪戯を何度かしましたが、一度も気づかれたことはありません。

 一つだけ違うのは恋愛です。新マドは歳相応に異性に興味を示しましたが、マドカの方はさっぱりです。そんな時に知り合う事になったのが二つ上の小野寺先輩です。合気道は試合ではなく演武を競うのですが、そんな大会で素晴らしい演武を行っていたのです。

 マドカは合気道の目標ぐらいかしか興味はありませんでしたが、新マドの方は熱中していました。ある演武会の懇親会でたまたま席が隣り合わせになったのですが、それだけで噂が立ってしまったのです。

 小野寺先輩は小野寺グループの御曹司です。小野寺グループは小野寺フィルムから始まり、梅花カラーのブランドで有名です。一方で写真のデジタル化の流れを読み切り、日本最初のデジカメであるゼノンを発売したのもまた有名です。以後はデジカメ、さらにはカメラ技術を応用した内視鏡などの医療機器、さらにフィルム技術を活かしたバイオ製品、医薬品にと発展し、社名もゼノンと変えています。

 小野寺グループの御曹司と、円城寺の娘ですから、格好の取り合わせと見られたのだと思います。それだけでなく、小野寺先輩はマドカに興味を持ってしまったのです。マドカはお付き合いなど考えもしませんでしたが、小野寺先輩にお熱の新マドは、
 
「円マド、もったいないよ」
「だったら新マドが行って来てよ」
 
 まだ高校生ですし、学校も違うので深い付き合いまで進まなかったようですが、二人交際は断続的に続いたようです。それはそれで良かったのですが、これが大きな問題になってしまったのです。

 新マドはあくまでも円城寺まどかとして小野寺先輩に会っていたのです。最初がそうだったので、言いだせなくなったそうです。新マドと小野寺先輩の関係は聞くところによると友達以上、恋人未満的な状態だったようですが、ここに大人の事情が絡まってしまったのです。

 南武グループと小野寺グループの提携問題です。この話が進む中で父母も小野寺家も二人の交際関係を知ってしまっただけではなく、これ幸いと婚姻関係にする話がまとまってしまったのです。もちろん小野寺先輩と円城寺まどかの婚姻です。

 二十歳になった時に父母に急に呼び出され、レストランの個室で食事をしたのがお見合いで、それだけで婚約成立です。あまりに強引な話の進め方に反発はしましたが父母は冷たく、
 
「円城寺の娘に自由な結婚は許されない。これでも最大限の配慮はしてやった。文句は言わせない」
 
 写真は大学に入ってからも熱中していましたが、父母も良い顔はしていませんでした。そこで新田まどかの名前でコンクールに応募し、授賞式も新マドに行ってもらっていました。ただ新マドも写真は好きだったので、大学卒業後は赤坂迎賓館スタジオ勤務としていたのです。

 マドカは必死になって父母に食い下がり、写真の勉強のために新マドと一緒に赤坂迎賓館スタジオ勤務を認めさせました。執事の新田も口添えしてくれましたし、小野寺先輩も海外留学に行くことになったので渋々父母も認めてくれました。

 しかし少しでも写真の勉強を早く終わらせるために特別待遇だったのです。入社した時から竜ケ崎先生のマン・ツー・マンによる指導で二年も過ぎる頃に竜ケ崎先生から、
 
「もう教えられることはない」
 
 こう宣言され父からも、
 
「マドカ、遊びは終りだ」
 
 そこからは結納、挙式の日まで着々と進められる状況に陥ってしまったのです。そんな時に新田まどかが赤坂迎賓館スタジオを退職して帰って来たのです。聞くと竜ケ崎先生からセクハラを受けそうになり投げ飛ばして破門になったとのことです。ここで新田まどかに頼み込みました。
 
「円城寺まどかになって欲しい」
 
 さすがの新マドもあまりの話に驚くばかりでした。ここで執事の新田は、
 
「マドカお嬢様は小野寺様の事を好きになれませんか」
 
 悪い人ではありませんが、どうしても恋愛感情を抱けないのです。じっと考え込んだ執事の新田は、
 
「マドカ、お前はどうなんだ」
 
 新マドはやはり小野寺先輩が好きだったようです。
 
「マドカお嬢様。新田が黙っていれば誰にもバレるような事はありません。むしろ今からマドカお嬢様が小野寺様と御結婚される方が不具合を生じる可能性さえあります」
 
 この日に二人は入れ替わったのです。
 
「マドカお嬢様。新田まどかになられたからには、御自身で生活を切り開いていかねばなりません。お覚悟はよろしいですね」
 
 赤坂迎賓館スタジオでは特別待遇ではありましたが、その才能は竜ケ崎先生からも認められ、
 
「お嬢様芸として終わらせるには惜し過ぎる」
 
 これはお世辞かもしれませんが、新田まどかの名前で応募した写真大賞では新人奨励賞も頂いています。新田まどかになったマドカは写真で自分の道を切り開いていくと決めたのです。目指したのは写真を目指すものの聖地であるオフィス加納です。

 幸い弟子入りは許されたのですが、まさに聖地に相応しいスタジオでした。入ってまず驚かされたのが、マドカの写真が一番下手なのです。それもダントツです。さらにマドカの数段上であったサキ先輩も、カツオ先輩も挫折されてしまいました。

 一方でプロとなり専属契約を結んだアカネ先生は目も眩むような成長をされています。マドカが入った時には一段上ぐらいでしたが、見る見るうちに星野先生を抜き、今や麻吹先生と並び称されるようになっています。

 
 そんなオフィス加納でついに個展を開くところまで許されたのですが、マドカの心の問題が限界に達しています。マドカはどうしても異性を愛することが出来ないのです。それだけはなく、女性でいることに耐えられなくなっています。

 これは子どもの時からずっとそうでした。生理が来た時の恐怖、日々女性の体に変わる絶望感にさいなまされました。なんとか女性としてやって来れたのは、新マドがずっと一緒だったからだと思っています。

 マドカは新マドを手本に女になろうと努力を重ねていました。でも、どうしても男性に興味を持つのは無理です。興味が向かうのは女性です。ですから麻吹先生や、アカネ先生はマドカにとって眩いばかりの存在です。

 撮影旅行の時には同性ですから一緒にお風呂も入ったりしますが、もう胸の動悸がおさえようがありませんでした。そうなんです、お二人には素直に恋できるのです。ですから、麻吹先生が御結婚された時には一人で泣いていました。

 今のマドカの関心はひたすらアカネ先生に向っています。しかし麻吹先生と同様に実の結びようの無い関係です。これはおそらくレズビアンでさえありません。マドカの心は男としてアカネ先生と結ばれたいのです。

 どうしてマドカは女として生まれてしまったのでしょうか。ここまで懸命に女になろうと努力を重ねて来ました。どんな女より女らしく、どんな女より美しく、どんな女より上品にです。結果として見た目は完全な女として振舞えてはいます。考える時だって女言葉で考えるように無理やり習慣づけました。

 でもそんな努力になんの意味があったのでしょうか。心の芯はどうしたって男です。これは変わりようがないのが今となれば良くわかります。マドカが重ねて来た努力は、ノーマルな男が商売のために無理やりなるオカマに過ぎなかったのではないかと。

 女の体への増すばかりの違和感、アカネ先生への報われようのない恋心。マドカがこの世に存在する価値などあるのでしょうか。さらに誰にも相談のしようがないものです。そんなマドカの心理状態は写真にも出てしまっているようです。麻吹先生は、
 
「悩み事があるようだな。わたしで良ければ聞くが」
 
 思い切ってと思いましたが、言えるはずもなく。
 
「いえ、個人的な事なので」
 
 麻吹先生は少し考えてから、
 
「この状態では個展は無理だ。少し延期にする」
「そんな」
「焦るな。この麻吹つばさを信じろ。これぐらいで見捨てたりはしない」

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