ミサトの不思議な冒険(第2話)ユッキーさん
怪鳥騒動が拡大するにつれユッキーさんが家庭教師に来てくれる日は少なくなってた。でも、しかたないよね。経済は大混乱だし、ユッキーさんの本業だって大変だと思うもの。ユッキーさんは、
「ゴメンね。しばらく来れないの」
もともとボランティアだし、あくまでも好意でやってくれたんだから納得してた。でも、オーストラリアでついにリー将軍に怪鳥は倒されたから、もう少し落ち着いたらまた来てくれると思ってたんだ。
怪鳥が倒されてからしばらくしてから、若い女の人がうちを訪ねて来たんだ。ミサトに用があるって話で親父と応対に出たのだけど、渡された名刺を見て親父の腰が抜けそうになってたんだよ。そこには、
『エレギオンHD常務 霜鳥梢』
ミサトもビックリしたもの。あのエレギオンHDだし、それも常務と言えば押しも押されぬおエライさんじゃない。霜鳥常務はそれだけじゃなく、あのエラン船事件の時にECO副代表も務めた有名人で、世界のVIPと渡り合った人なんだ。どう考えたってうちに来るような人じゃないもの。
そんな人がどうしてミサキに用があるって言うんだろ。どう考えても無関係もイイところじゃない。親父は慌てまくって家に上がってもらおうとしてたけど、霜鳥常務はこれを丁重に断って。
「小山が尾崎美里さんの家庭教師を引き受けておられましたが、大変申し訳ありませんが、その業務を打ち切りにさせて頂きたいと存じます」
「えっ、ミサトの家庭教師は木村さんですか」
「それもお詫び申し上げます。あれは偽名で、本名は小山恵です。小山の家庭教師は打ち切りにさせて頂きますが、弊社の責任で引き続き家庭教師は派遣させて頂きます。どうかそれで御了承頂きたく存じます」
うちの親父もだけどミサトも仰天するしかなかったもの。小山恵と言えばエレギオンHDの社長さんだよ。霜鳥常務も有名人だけど、小山社長となれば世界のVIPいやスーパーVIPじゃない。あのユッキーさんがエレギオンHDの小山社長だったなんて信じろと言う方に無理がある。親父がなんとか気を取り直して、
「もともとボランティアの家庭教師でしたから、打切りに異存など滅相も御座いません。それに後任の家庭教師まで手配してもらうなんて、それは行き過ぎた御配慮です」
そうしたら霜鳥常務は、
「ありがたいお言葉ですが、これは小山の遺言になります。どうか御受取り頂きたいと存じます」
遺言ってなによ。それって、それって、それって、思わず、
「ユッキーさんが死んだって言うの、そんなのウソに決まってる!」
あれだけの著名人が亡くなってマスコミ報道にならないわけがないじゃない。
「詳細はここでは申せませんが、小山の死はまだ公表されておりません。いずれ発表されますが、どこで亡くなり、なにが原因であったかも伏せさせて頂く事になっています」
「本当にユッキーさんは亡くなったのですか!」
信じられないミサトは霜鳥常務に詰め寄るぐらいの勢いだったけど、ふと見ると霜鳥常務の目が赤い。
「小山は私が見ている前で間違いなく亡くなっております。小山はミサトさんの家庭教師が中断してしまうのを大変気にされていて、この遺言を私に託しております。どうかお受け頂くようにお願いします」
ミサトはヘナヘナと崩れ落ちちゃった。霜鳥常務がウソをつくような人には見えないし、これだけ重大な事にウソをつく必要すらないもの。もう涙が、涙が・・・ミサトへの伝言も預かっていて、
『あなたなら必ず合格するから自信をもちなさい』
もう号泣するしかないじゃない。ユッキーさんが、あのユッキーさんが死んじゃったなんて。あっ、ユッキーさんが小山社長なら、もしかして、もしかして、
「これもお詫び申し上げます。お察しの通り、立花は月夜野うさぎであり、結崎は夢前遥です」
親父はもう絶句を通り越した状態で、酸欠の金魚のように口をパクパク。
「これは私からのお願いですが、小山、月夜野、夢前の肩書と本名を伏せて頂ければ幸いに存じます。亡き小山も北六甲乗馬クラブで過ごす時間を大切にされていました。月夜野も、夢前もです」
オープニング写真の課題の時に、エミ先輩が大障害の練習をしてた頃を思い出してた。あの時には日が暮れるのが早いからと言って、照明車まで持ちこんでたけど、あんなことがアッサリ出来たのはエレギオンHDの社長や副社長だったからだ。
でもね、そんな素振りは全然見せなかったんだよ。エミ先輩を一生懸命応援してくれたし、アキコのフラッシュモブの告白の時にもノリノリで協力してくれたもの。ミサトの家庭教師だってそう。本業は多忙なんてレベルじゃないはずなのに、怪鳥事件が起こるまでちゃんと来てくれてた。
これはエミ先輩から聞いた話だけど、甲陵倶楽部との団体戦には三人とも出場して勝っちゃってるのよ。会長杯の時なんて、わざわざ馬まで買って出場して優勝してるんだよ。ミサトも見たことあるけど、デッカイ金杯もらってたもの。
さらにだよ、地震でクラブハウスが倒壊しときにも助けてくれたそうだし、温泉が出た時に権利獲得に走り回ってくれたのもユッキーさんだって話だもの。ユッキーさんの、
『これぐらいでお代は要らないよ』
そりゃエレギオンHD社長だから家庭教師代なんて小銭みたいなものだろうけど、そのためにミサトに使ってくれた時間は、いくらするかわからないほど貴重な時間だったんだ。ミサトはなんて人に教えてもらっていたかと思うと震えが来てた。
「もちろん誰にも言いません。あれだけお世話になったユッキーさんのためです」
「それは感謝いたします。その代わりと言えば失礼かもしれませんが、なにかミサトさんにお困りの事があれば、私なり、月夜野なり、夢前にご相談ください。出来る範囲の事であれば御協力させて頂きます」
霜鳥常務が帰られた後もミサトは茫然としてた。あんなに可愛らしくて、優しいユッキーさんが死んじゃったなんて信じられなかった。数日後にユッキーさんの死は発表されたけど、そりゃ、もう、日本中がひっくり返るような騒ぎになったもの。
ミサトも良く知らなかったけど、ユッキーさんは二十八歳でクレイエールの社長に就任し、一代で世界一とも呼ばれるエレギオン・グループを作り上げ、エレギオンHD社長として五十年近くも君臨してたんだよね。
それだけでも凄すぎる業績だけど、エラン宇宙船騒ぎでは、エラン人代表との間で外交交渉をまとめ上げてるんだよ。これって相手は異星人だよ、文化も、文明も、言語も違う異星人相手にどうやって交渉したって話なんだよ。
もう目眩がするほど凄い人だってわかるけど、ミサトが一番ビックリしたのはその年齢。何度も見直したけど七十九歳ってなってるんだよ。親父にも聞いてみたんだけど、
「ああそれか。エレギオンHDにはトップ・フォーと呼ばれる女性重役がおられて、エレギオンの女神とも言われているが、誰もが異常に若く見えることでも有名なのだよ」
「異常って、あんなもの異常じゃすまないよ。どう見たって二十歳過ぎだよ」
でもユッキーさんたちが女神なのはわかる気がする。エミ先輩も摩耶学園のリボンのシンデレラと呼ばれるぐらい素敵な人だったけど、霜鳥常務も含めて、女の私から見ても息が止まりそうになるぐらい綺麗な人。あれこそ女神の美しさだ。
親父は町工場ぐらいの社長だけど、クラシック・カーのレストアやってる関係で、いわゆる金持ち連中との付き合いもあるのよね。そりゃ、クラシック・カーを買って、それの修理費用を出すぐらいだからね。
もちろんクラシック・カーが好きだからある意味同好の士だし、レストアしたって、また修理が必要になるから、自然と親しくなるぐらいでイイと思う。ユッキーさんというか、小山社長の話のソースはそこだと思うけど、
「ミサトは小山社長のことをユッキーさんと呼んでるな」
「そうだよ。月夜野副社長はコトリさんだし、夢前専務はシノブさんだし」
親父はウンウン唸りだしちゃったんだ。
「これは伝説みたいなものだが・・・」
ミサトには信じられないけど小山社長は氷の女帝と呼ばれるぐらい、それはそれは怖い人だって言うのよね。要するに気軽に声なんて掛けられない人ぐらいだったで良さそう。だけど、特別に認められた人だけが『ユッキー』と呼べるんだって。
「特別って誰なの?」
「それもよくわからなくて・・・」
とにかくプライベートも謎に包まれた人らしくて、交友関係は愚か、住所さえ不明だって言うのよね。
「でも北六甲乗馬クラブの人も、お客さんもみんな『ユッキーさん』って呼んでたよ」
「だから驚いてる」
その時にわかった気がした。ユッキーさんがどれほど北六甲乗馬クラブを愛して大事にしていたか。どれだけあそこで過ごす時間を大切にしていたかを。そこから親父は噛みしめるように、
「ミサトにはちょっと早いかもしれないが、この際だから知っておいても良いかもしれない」
親父はゆっくりと話し出したんだけど、
「エレギオンとの取引は、それは、それは、厳しいものだそうだ。ちょっとでも手落ちがあったり、まして手抜きなどしようものなら、必ず見つけ出すって言うぐらいだ。だからエレギオンの担当になった者は命を削るとまで言われているらしい」
そんなに厳しいところと無理に取引しなくとも、
「どこも必死になって取引関係を結ぼうとしてるよ」
どうもエレギオンと取引しているというだけで、どの業界でも飛躍的に信用が高くなるんだって。逆に切られようものなら、一遍に信用を落とすぐらいで良さそう。小山社長は外にも内にも氷のような信賞必罰で、その判断に義理人情の余地がゼロとまで呼ばれてたらしい。
「でもそこまで怖い人に付いて行けるの」
「エレギオン・グループの小山社長への求心力は想像を絶するほどで、鋼鉄の団結とまで呼ばれてるそうだ」
二重人格みたいな人だな。
「その点は誰もが不思議がっていたが、お父さんはやっとわかった気がする」
お父さんが言うには仕事では氷の女帝だけど、温かい血が確実に通っていたからだろうって。その温かい血とは、
「ミサトも知ってるユッキー先生だよ。あれこそが本当の小山社長の姿で、どんなに氷の女帝をやられても、自然に伝わったんじゃないかなぁ」
加えて、ユッキーさんが『ユッキー』と呼ばせている人も二種類いるんだろうって。一つは肩書も名前も伏せて付きあっている人々で、北六甲乗馬クラブがわかりやすいかな。もう一つは小山社長だと知って呼ばせていた人々。えっ、それって、それって、
「わかってくれたみたいだな。霜鳥常務は小山社長の正体を知らせた上で、ミサトに小山社長だけでなく、月夜野副社長や夢前専務の肩書を伏せてくれるように頼んでるだろ。あれはミサトをそれだけ信用したからだ」
そこまで信用されても・・・だったら、もしバラしたりしたら、
「女神は逆らう者を決して許さない。逆らった者の末路は悲惨だそうだ」
そんな脅迫みたいなものはイヤだよ。一方的に押し付けて、破ったら制裁なんて、聞かされたミサトが損なだけじゃない。そしたら親父はミサトを羨ましそうに見て、
「女神は信用した人間に対して確実に恵みを与えてくれる」
「それって困った時に助けてくれるって霜鳥常務のお話」
「そうだ。女神の言葉に裏表はない。口に出したことは必ず実行するそうだ。これはたとえアメリカ大統領相手でも同じと言われてる」
ここで親父は一息置いてから、
「ただ安易に頼るな。そういう種類の人間は一番嫌われるそうだ。だがミサトが本当に困り、他の助けではどうにもならない時は、エレギオン・グループの総力を挙げても助けてくれる」
親父の話を聞きながら、ユッキーさんがミサトに授けようとしたものが、わかった気がした。ユッキーさんはミサトの家庭教師が中途半端になったことを悔やまれていたんだ。だから埋め合わせをしたいと考えて、女神の恵みを与えようとしたに違いない。
それが困った時の助け。でも、それをするには自分の本名と肩書を明かすだけでなく、困った時に駆け込めるようにコトリさんや、シノブさんの正体まで明かし、霜鳥常務まで使者に立てたんだよ。
ミサトはタダの高校生だよ。家庭教師だって、エミ先輩のついでだし、ボランティアじゃない。なのに、なのに、そこまでユッキーさんはミサトのことを。
「うぇ~ん」
霜鳥常務の約束通りに家庭教師が手配された。エレギオン・グループが選び抜いたはずだから優秀なんだろうけど、ユッキーさんと較べたらプロとアマぐらいの差があった気がする。それでも頑張ったよ。勉強は自分でするものだってユッキーさんも言ってたもの。そしてついに、
「ミサト、合格だ」
「やったぁ」
心の中で何回も、何回もユッキーさんに頭を下げたの。だってユッキーさんのお墓がどこにあるかさえ教えてくれなかったもの。コトリさんや、シノブさんにも知らせたかったけど、怪鳥事件以来、北六甲乗馬クラブにも顔を出されていないみたいだから連絡のしようもなかったんだ。
よほどポートアイランドのエレギオンHD本社に行こうかと思ったけど、さすがに敷居が高すぎた。そう思った時に気が付いた。エレギオンの女神の助けを必要にする困った事のレベルを。その敷居を乗り越えてでも助けが欲しいぐらい困った時なんだよきっと。