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浦島夜想曲(第3話)追憶のシオリ

 香坂さんから連絡があって、旅行の件の打ち合わせをしたいからクレイエール・ビルに来てくれないかって。それにしても、打ち合わせに会社を使わなくても良さそうな。それに呼ばれた時刻も妙で、
 
「夕方六時に受付においで下さい。わかるように手配しておきます」
 
 時刻からすると夕食を一緒しながらと思うけど、それなら店で待ち合わせでもイイじゃない。どうせ三宮だろうから、わざわざ会社にまで来させるのは妙と言えば妙。もちろんクレイエール・ビルのイタリアンなりを利用するのかもしれないけど、それでも店で待ち合わせで良い気がする。

 でも、とにかく行って見ることにした。気は重いけど、香坂さんに『うん』と言っちゃったし、やっぱり『やめとく』とするのはどこか躊躇われる。あの時の香坂さん必死だったものね。あの好意を無にするのはさすがに悪いと思うもの。

 
 ここも久しぶり。そうそう最後に来たのは四年前で、龍すし支店だったわ。あの時は香坂さんとシノブちゃんがわざわざ、わたしとカズ君の喜寿の祝いをやってくれたんだ。さらにあの時は龍すし本店から水橋先輩とリンドウ先輩をサプライズで呼んでくれてて嬉しかったもの。

 翌年の正月にカズ君の癌が再発がわかって、早かったな、半年もたなかったよ。それからは来てないものね。さすがにおひとり様で来るのはチョットだし。そう言えば外食自体が減っちゃった。事務所もカズ君の癌がわかった時点で閉めちゃったからね。

 引退して事務所閉めたのも色々言われたけど、あの時点で見た目はともかく七十四歳よ。プロのフォトグラファーに定年はないけど、別に引退したっておかしくないじゃない。それとあの時ぐらいはカズ君のためだけに時間を使いたかったの。

 
 カズ君はコトリちゃんじゃなく、わたしを選んでくれた。本当に嬉しかった。半分以上あきらめてたものね。だからイイ奥様になろうと思ったんだ。でもね仕事も好きだったんだよ。わたしが仕事を好きなのはカズ君もよく知ってたから、
 
『シオは仕事をしていてこそシオや』
 
 こう言って、わたしの仕事をいつも最優先してくれた。こんな仕事じゃない、とにかく家を空けることが多くてさ、多い時には一年の半分以上は取材旅行に出ていたこともあるのよ。

 それでも嫌な顔なんか一度たりとも見せたことがなくていつもニコニコして見送って出迎えてくれた。もっともカズ君も勤務医してたから、すれ違いが多かったんだけど、
 
『その方が新鮮さが保たれるやんか』
 
 でもね、さすがにすれ違いが多すぎたと思ったのよ。だから、カズ君には開業するように頼んだのよ。カズ君は、
 
『シオの言う通りや』
 
 こう言ってくれたし、開業準備に熱中してたから、わたしは自分の思いつきに鼻が高くなってるぐらいだった。でもね、開業してからカズ君の勤務医時代の同僚が遊びに来たんだよ。カズ君が御手洗に席を外している時に、
 
『山本が開業するなんてビックリしたわ。あんだけ開業だけは絶対せえへんって言うとったのに・・・』
 
 そうなのよ、カズ君は本当は開業なんかしたくなかったのよ。勤務医を続けたかったのに、わたしが無理やり開業させたようなものだったのよ。でもわたしの前では絶対に口どころか、素振りも見せなかったの。口にするのはいつも、
 
『これやったら、もっと早くに開業しておけばシオと過ごせる時間が増えてたのに』
 
 もうウソばっかり、カズ君はいつもそうだった。一から十までいつもわたし優先。だからカズ君の癌が見つかった時に、カズ君優先の時間を絶対に作るんだと心に決めたの。でもカズ君は、
 
『シオが写真をやめるのは世界の損失』
 
 こう言ってた。だから退路を断つために引退と事務所の閉鎖までやったの。でもね、正直なところ手術が成功してカズ君が元気になった時には早まったかなと思ったぐらいだった。でもあれで正解だった。たった四年後に再発。これも今から思い起こせば再発はもっと早かった気がする。

 カズ君って他人には親切。お人よしと言って良いぐらい親切。親切なのは前から知ってたけど、他人にはホントに頼らないの。そうなの、わたしにすら頼るのは嫌ってた。そんなカズ君が手術して二年後ぐらいから妙にわたしを頼るようになってた。

 あれは再発がわかってたんじゃないかと思う。再発がはっきりしてからは、あのカズ君でさえ苦しみを隠しきれなかったけど、その前から苦しくて誰かを頼りたくなり、頼る相手にわたしを選んでたと思ってる。口では、
 
『こう毎日シオが家にいてくれると眩しすぎて目が潰れそうや』
 
 これね、老眼で小さな字が読みにくい時の冗句なんだけど、わたしの姿を見るとホッとするというか、どこか探し求めてる気がした。そうそう、あれも驚いた。あの頃は現役こそ引退したけど。コンクールの審査員とかはやってて、東京とかにも行くことがあったのだけど、
 
『いつ帰る』
 
 こう聞かれちゃったの。どこがおかしいかって? 普通なら当たり前の会話なんだけど、結婚してからこんな事は絶対に尋ねたことが無い人だったのよ。カズ君はわたしを縛る事は極力避けてたの。こういう仕事だから家を空けることが多かったんだけど、わたしが家を空けることが負い目にならないようにしてた。だから出かける時も、
 
『いってらっしゃい』
 
 これ以上は絶対に言わなかったのよ。それがわかったから、帰宅日時を言うようにしてたし、遅れそうなら連絡を入れるようにしてた。それでもカズ君はね、わたしが言い忘れても、連絡を入れずに遅くなっても何も言ったことがなかったの。

 忘れもしない大チョンボをやったことがあるのよ。あの頃はとにかく忙しかったし、その仕事だって義理をかさにきての無理やりねじ込まれた代物で、嫌でたまらなかったけど取るものもとりあえず出かけたんだ。行き先はモロッコだった。

 そんな気分で取り組んだのが悪かったのか、この仕事はトラブルの連続。その上にだよ、クライアントの意向がコロコロ変わりやがって、取材先でまさに右往左往。予定が大幅に伸びて延々三ヶ月もかかったんだ。わたしがやった仕事の中でも最悪のものの一つだった。

 やっと神戸に帰った時はクタクタだったんだけど、家に帰る前にハッと気づいたんだ。取材旅行に行くことは愚か、途中で連絡一つしてなかったことに。三ヶ月だよ、さすがに拙いと思ったよ。これで怒られないわけないじゃないの。おそるおそる家に帰ると、
 
「おかえり」
 
 これだけだった。いくら優しい旦那でも『長かったな』ぐらいは普通は言うものじゃない。それどころか、これだけで夫婦喧嘩になってもおかしくないし、その挙句に離婚騒動が巻き起こっても不思議ないぐらいじゃない。でもニコニコしながらそれだけ。

 東京の審査員の時は一泊二日だったんだけど、言い忘れてたんだ。忘れてたわたしが悪いんだけど、いつ帰るか聞かれてビックリした。あれはそれだけカズ君が苦しんでいた証拠だったと思うのよね。

 
 いや、あの時だけじゃなかったと思ってる。カズ君は子ども好きなんだ。子どもが出来たらどうするかを何度も何度も話してた。親子であれして、これしてとか、いっぱい話してた。そうやって親子で一緒に過ごす時間を持ちたかったはずなのよ。それをぶち壊したのはわたしの不妊症。

 子どもが出来なくても、夫婦で過ごす時間を、もっともっと持ちたかったはずよ。一度も口にすらしたことないけど、きっと、きっと専業主婦で家に入って欲しかったはずなのよ。だって、だって、朝夕で顔を合わせている時は話づめだったし、休日が一緒になろうものなら、それこそ張り切って遊びに行く計画練ってたもの。

 カズ君のおかげで思う存分仕事が出来たし、フォトグラファーとして大成功したけど、その代わりにカズ君はずっと自分を抑えて我慢してた気がしてる。そうやって我慢を重ねていたのが堪え切れなくなったのが、癌になってからだろうって。

 これはカズ君が亡くなってからずっと思ってる。思ってるだけじゃなく後悔がドンドン強くなってる。カズ君はわたしを選んで本当に正解だったんだろうかって。わたしじゃなければ、もっと幸せな結婚生活を送れたんじゃなかろうかって。

 亡くなる少し前にユッキーの話が出てきたのもそうだったかもしれない。ユッキーの話は結婚当初こそ何回か出たけど、それからはずっとしなかった。あれは出せばわたしが悲しむからと思ったに違いないもの。

 それが出てしまったのはカズ君が弱っていたからだけど、どこかでわたしじゃなく、ユッキーだったらの思いがあったんだろうって。悔しかったかって、バカ言うんじゃないよ。カズ君はね、プロポーズする時にユッキーの影を引きずると断ってるし、それを了承して結婚してるのよ。

 わたしはね、ユッキーの代わりにカズ君を幸せにする義務を負ってたの。でもね、その義務を果たしたかといえば自信がない。幸せにしてもらったのはわたしばっかりで、カズ君には何もしてあげられなかったとしか思えなくなってる。

 どれだけカズ君がわたしに気を使っていたかだけど、二人で旅行に行っても旅先では写真も撮らせてくれないの。
 
「シオに撮らせたら、すぐに仕事モードになってまうやんか。それにやな、うっかりシオに撮らせたらオフィスからどれだけの請求書がくるか怖くて、怖くて」
 
 おかげで、わたしが撮ったカズ君の写真は一枚も残っていないのよ。今となっては悔しくて、悔しくて。この加納志織の夫の遺影が、セルフタイマーのツーショットの切り抜きなのよ。こんなの信じられないよ、何年夫婦やってたのよ。

 
 今さらながら思うのはカズ君にとってわたしは何だったんだろうって。やっぱり本当に愛していたのはユッキーだったんじゃないかって。いや、コトリちゃんだったかもしれない。

 ユッキーは別格だから置いとくとしても、コトリちゃんの勝負は、ちょっと卑怯だったと思ってる。わたしはあの時に、みいちゃんを陥れて蹴落としたけど、やった行為の後味の悪さに自己嫌悪の塊になってた時期があったんだ。

 あの時に勝負は本当は終ってた。わたしが退場してコトリちゃんと結ばれてオシマイ。それ以外になかったはずなのに、落ち込むわたしを心の底から励まし、立ち直らせてくれた。そう、あの同棲時代のように。

 これは結婚してからも、実は心の奥底にずっと燻ってるの。最後の最後の段階でもわたしとコトリちゃんに差がなかった。いや、正直にいうとコトリちゃんに勝てる要素はなかったとしてもイイぐらい。辛うじて勝負の土俵に残ってたぐらいだった。

 それでもわたしが勝てたのは、コトリちゃんを選べばわたしがどうなってしまうのか、カズ君は心配で仕方なかったからじゃないだろうかって。そう、ラブバトルは愛情を争うもののはずなのに、同情を使って勝っただけじゃないかって。

 
 ダメねぇ。カズ君が亡くなってから、こんなことばかり考えてる。早く天国に行って、今度こそ素敵な奥様をやるんだって。バッカじゃないのって思うけど、それが正解みたいな結論に納得しちゃってる。カズ君はホントはどう思い、どう感じていたんだろう。カズ君との最後の会話は
 
『シオは幸せだった?』
『もちろんよ』
『ボクはシオの百倍幸せやった。シオが家にいると思うだけで、飛び上るほど幸せだったもの。シオはボクの女神様・・・』
 
 この言葉の後は昏睡状態なり二度と意識は戻らなかった。七十八歳だったから早すぎたってわけじゃないけど、やっぱり寂しいな。そんなわたしも八十歳になる。いくら見た目が若いといっても、心はババアになってるわ。そんなことを思いながらクレーエール・ビルの玄関ホールに入ると受付に香坂さんがいるじゃないの。
 
「お待ちしておりました」
「常務さんがお出迎えってビックリした」
「加納さんは世界一の写真家ですし、わたし達にとっては主女神でもあります。これぐらいは当然です」
「今日はこれからどうするの」
「御案内させて頂きます」
 
 香坂さんが先に立って案内してくれるんだけど、エレベーター・ホールに。やっぱりクレイエールのレストランで良さそう。

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