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黄昏交差点(第2話)修羅場

 結婚はしてからの方が大変だと言うけど、人並みに明るくて暖かい家庭を期待してた。嫁だってそうだったはずだけど、勤務医ライフが容赦なく襲い掛かってきた。嫁は仕事を続けたかったみたいだけど、上の娘の出産とともに退職せざるを得なくなったぐらい。

 夫婦で家事分担とか、育児分担ってレベルじゃないのが思い知らされたで良さそう。あの頃は月に十回ぐらい当直があり、とにかくボクが家にいない日が多かった。帰って来てもクタクタだし、そこにポケベルが鳴り響く生活だったものな。

 あれじゃ、家事分担とか育児分担は嫁だって言い出せなかったで良いと思う。もちろん結婚前にそういう生活だとは話してはおいたのだけど、

「覚悟はしてたけど、ここまでとは・・・・・・」

 医者になって六年目に異動があって病院を変わり、今度はスタッフとして勤務になり給料もあがった。あの時は嫁も喜んでた。ただ忙しさは前の病院以上だった。その病院では時間外手当が珍しくキッチリ出る方だったけど、その頃には嫁の感覚もおかしくなっていて、

「今月の給料が少ない気がする」

 この原因は残業手当にあって、月に百時間を切ると体は少しラクなんだけど、手取りが目に見えて減るぐらいかな。逆に二百時間を超えると結構な額になっていた。この頃に下の娘も生まれたんだけど、夫婦の夜の生活は殆どなくなっていた。

 これは嫁を初めて抱いた時からだけど、どうにも嫁はあんまり好きではなさそうな感じだったんだよな。一人目が出来るころまでは、それなりに頑張ってたけど、上の娘が出来てからはガクンと回数が減り、下の娘の時は数発でヒットしたぐらいの感じ。

 ヒットしてからはほぼレス。下の娘が生まれたからは完全にレス。ボクも経験年数を重ねて自分の受け持ち患者だけでなく研修医の指導もやらされてた。あれは結局のところ、研修医の患者も受け持つのと同じだから、忙しいのに輪がかかっていた。

 嫁と寝るより、ただ眠りたかった。だから夜の夫婦生活がなくなっても、違和感が無いと言うか、余計な体力を使う仕事がなくなってラクになったぐらいしか感じてなかったぐらい。

 二つ目の病院は三年で移動になり、三つ目の病院に勤務した頃に、こんな生活をこの先、十年も二十年も続けるのが嫌になって来始めたんだ。医者の指向も様々だけど、とりあえず研究はやりたくない、やるなら臨床。

 ただ入院患者を持ち続ける限り今の生活はエンドレスに続くのは間違いない。医者になってしばらくは先端の医療に興味があったけど、異動の度に先端から遠くなっていて、だったら開業しようと思い立ったぐらい。

 嫁は収入の安定している勤務医を辞めるのに反対したけど、最後は同意してくれた。そこから開業までの準備も大変だったけどそこは省略する。完全な落下傘開業で最初の一年目はヒヤヒヤしたけど、なんとか軌道に乗ってくれた。

 勤務医と開業医の違いは様々にあるけど、オンとオフが最大の違いとボクは考えてる。勤務医はとにかく三百六十五日までいかなくとも、実態的には夏休み以外は常にオンって感じなんだ。

 開業医は経営の責任が付いてくるけど、診察時間が終われば、その瞬間からオフ。日曜も休日も普通にあるってこと。これは幸せと感じたもの。ここから嫁とハッピー・ライフを作り上げられたらイイ話なんだが、世の中そうは問屋は卸してくれないのが悲しいぐらいシビアだった。

 あの日は急病診療所の出務だった。昼から夕方までが担当だったのだけど、行ってみると出務表の差し替えがあったようで、その連絡がボクに回るのが手違いでされなかったようなんだ。いや正確にはファックスをチェックしていた診療所の職員が見せ忘れてた。

 それでも出務がなくなってホッとして家に帰ることにした。マンションのドアを開けると玄関に男物の見知らぬ靴があり、さらに寝室の方でなにやらうめき声のようなものが。

「そこ、そこ、もっと、もっと・・・・・・」

 轟くような嫁の絶叫だった。昨日から娘は嫁の実家にお泊りで遊びに行ってるから、嫁は買い物に出かけると言ってたよな。その時に友達と会ってランチして帰るとかだったけど、買い物には出かけなかったで良さそうだ。さらに轟く嫁の声。

「イク、イク、イク~」

 こういう時は踏み込んで現場を押さえるものはずだろうけど、なぜか妙に醒めた感情になりそのままリビングに。なにか邪魔したら悪い気がしてしまったのは、自分でも情けない感じ。

 リビングに嫁の携帯が置いてあった。開くにはパスワードが必要だけど、たしか下の娘の誕生日だったはず。そしたら開いた。LINEを見ると逢引きの連絡、感想、うわぁ、モロやってる写真から動画まで。

 二時間ぐらい頑張ってたかな。寝室のドアが開く気配がして間男と浴室の方に。そしてシャワーを浴びて二人はリビングに入ってきた。嫁の目が点になってた。間男も一瞬何が起こったかわからなかったようだが、間男の方の反応の方が早かった。寝室に戻り服を抱えて逃走。とりあえず、そうするわな。嫁は、

「これは違うのよ」

 そりゃ、違うだろう。買い物に行くはずだものな。

「誤解よ、誤解」

 エッチが嫌いなのは誤解だとよくわかった。

「服着たら」
「だから誤解だって」

 なにをどう誤解するのか意味不明だ。

「いつからいたの」
「二時間前からライブで聞かせてもらった」

 バスタオル一枚の嫁は立ち尽くしたままだったけど、ボクはしょうもないことを思い出してた。不倫がバレて修羅場になる小説があるんだけど、そういう時の女の反応に似てるってこと。あれは小説の作り話だと思ってたけど、実際も似たようなものだって。

 まず誤解とか、これは違うとか訳のわからない言い訳をするけど、現場は見られてるようなものだから、

「これが初めてだったの。信じてお願い」

 自分の不貞行為を最小限にしようとするぐらい。その通りで笑いそうになった。そうなると次は反撃だな、

「寂しかったのよ」

 ここまで小説と同じになるものだと逆に感心してた。

「どうしたいんだ」
「えっ」
「寂しいから今後も公認しろって言うのかい」

 嫁が呆然としてた。さすがにこの状況でハイとは言わんだろうな。

「離婚は嫌よ」
「じゃあ、離婚せずに今後も間男とお盛んに頑張りたいか」
「そうじゃなくて」

 言葉に詰まったら次に来るのは、

「あなた、許してお願い」
「携帯も見させてもらった。まさに現実は小説よりってのがよくわかった」
「それは・・・」

 嫁はボクの掌にある自分の携帯を絶望的な目で睨んでた。

「さてどうしたいんだ。離婚してあの男と一緒になりたいのか」
「離婚はダメ、絶対ダメ」
「公認火遊びの要求か」
「もうしません、信じてお願い」

 携帯を握られたのに観念したのか、嫁はある程度話してくれた。聞くと開業前からの関係で良さそう。

「娘は誰の子か」
「あなたです」

 嫁が言うには間男とやる時には、避妊してたと言うから、ボクは寝室に行ってゴミ箱を確認したらゴムはなかった。そしたらピルを使ってると言うから見せろと言うと、ちょうど飲み切ってしまって無いとか言い出した。しかしPPTシートも薬袋もない。

 嫁は間男とナマでやってるのは間違いない。ピルの話も怪しすぎる。今の間男とは下の娘が生まれてからの記録しか確認できないが、娘が自分の子かどうかにさえ疑問が湧かざるを得なくなった。

「おまえは寂しかったからと言い訳をした。それは間男に満たしてもらう必要があるって意味になる。相性が良いのは確認させてもらった。好きにさせてやる。その代わり、ボクも好きにさせてもらう」
「それって」
「好きな人生を歩めばよい。ただしボクとは違う道を進んでくれ」

 後はそりゃ、ゴタゴタしたけど、もうなにもかも面倒臭かった。マンションごと嫁にくれてやった。あんな部屋にはいたくもない。娘の親権も譲った。誰の娘かわかったもんじゃないしな。その代わりに養育費はなし、慰藉料もなし。

 半年ほどかかったけど、こんな修羅場が突然訪れるのも人生なんだと痛感したよ。あの日のあの時まで平凡な家庭だったんだよ。人並みに娘は可愛かったし、とくに開業してからは、旅行にも連れて行ってたし、遊びにもよく連れて行っていた。

 そりゃ、満点パパには程遠かったと言われればそれまでだけど、ボクなりに家庭には愛情を注いでいたつもりだったし、それもわかってくれていると無邪気に信じ込んでたもの。それが見る見るうちにバラバラになって行くとは人生厳しいものだ。

 まあ、この離婚はボクにも責任はある。結婚はしたものの夫婦の愛情を深める時間がなかったものな。嫁が寂しかったのは本音でもあったとも言えるし。家にいない旦那を専業主婦で待ち続けるのは辛かったろうし、寂しかったろう。

 あの不倫も現場でライブさえ聞いてなければ許していた気さえする。せめて見るのを控えたけど、二時間も聞かされたら心が冷えるわ。あれを笑って許せるほど心は広くなかった。気が付けば間抜けな寝とられ男になってたわけだ。

 そうだな、あれほどエッチが大好きなのは元嫁の最後の新発見だったが、その点の相性がイマイチどころでなかったのが結婚として失敗だったかな。しっかし嫁の方が三歳ばかり若いとは言え、もう三十代半ばだぞ・・・歳は関係ないか。還暦ぐらいでも不倫はあるらしいからな。

 貝原益軒先生曰く女は灰になるまでとしてたけど、まさにその通りだった。これも医学の勉強と経験かもしれないが、元嫁の女をボクでは満足させれないよ。せいぜい相性の良い相手を見つけて頑張ってくれ、あばよ。そっちはそっちでお幸せに。

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