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黄昏交差点(第20話)動き出した時間

 二か月ぶりにあいつとメシ。こんなに空いたのは初めてだよ。恵梨香の代わりに泥棒猫と食ってるんだろうな。だが、まだやってない。それぐらいはわかるよ。ま、やってたら恵梨香は誘われないはず。

「いらっしゃいませ」

 二か月も空いたから、あいつも奮発して龍田川にしてくれた。これは素直に嬉しいし、楽しみ。御飯はもちろんだけど、そこに気を使ってくれるのがもっと嬉しい。ただちょっと恵梨香の調子がね。どうにも風邪っぽい。

「かなり引き締まったんじゃない。会った時に一瞬誰かわからなかったもの」
「またぁ、二か月も会ってなかったからよ」

 あいつは鈍そうだけど、恵梨香の変化はよく見てるんだよな。服だって、靴だって、髪型だって、恵梨香が褒めて欲しいところを不思議に見つけ出すんだよな。正直、嬉しいよ。そこを見てもらおうと頑張ってるんだし。とくに今日は言って欲しかったから心がホッとする気持ち。

 そうそう恵梨香が乗ってこないから、泥棒猫の話題は避けようとしてくれてる。ここは恵梨香も微妙なところで、聞きたくないけど、確認しておきたいぐらい。まあ、やってなさそうだから今日は良しとしとく。

 いつもの通りに他愛無い会話と美味しい食事とお酒。やっぱり龍田川は別格ね。味半も悪くないけど、龍田川は値段だけのことはあるもの。ふとあいつの視線を感じて、

「なに見てるのよ」
「いつもながら、美味しそうに食べるよなって」

 昔から恵梨香が食べるときの表情は幸せそうだって言われてた。まあホントに食べるのが好きで、漬物以外に嫌いなものがないぐらい。漬物だって昔は嫌いじゃなかったんだよ。嫌いになったのは結婚時代。

 恵梨香の作ったご飯をさんざん貶しまくった後に、クソ姑の作った漬物を家族全員で絶賛するのがパターンだったんだよ。お陰で漬物を見るだけでトラウマがフラッシュバックするってこと。

「ところで女って初恋に執着しないものなのかな」
「人それぞれだと思うよ。初恋の名言集もあるけど、あれって男が作ったものが殆どじゃない。だから男は初恋に執着するのは合ってると思うけど」
「女は複雑ってことかな」

 女だって初恋には燃えるよ。でも男もそうだけど、初恋が実ることは少ないんだよね。もし男と女の差があるとしたら、男は初恋の女の魅力が最高のものとして忘れられないのに対して、女はさらなる最高の男を探そうとするぐらいかもしれない。

「そんなに捻って考えなくとも、人は最高の恋が実らなかった時に、その恋の面影を死ぬまで追い続けるのじゃないのかな」
「それが男の場合は初恋の比率が高くて、女は低いぐらいかもね」

 もっとも最高の恋が実って結婚しても、上手く行かない時があるのも夫婦だよね。男も女も恋の終着駅の一つに結婚は若い時ほど頭に置くけど、あれって終着駅じゃなくて夫婦生活の始発駅だものね。

「恋人にしたい相手と、夫婦生活が上手く行く相手は違うのかな」
「重なる部分もあるけど、違う部分もあるぐらいしか言えないよ」

 そう考えると人生はミステリーに満ち溢れているのかもしれないね。恋愛なんてとくにそう。未知の扉を次々に開いていく感じもあるものね。この歳になっても若い時に負けないぐらいワクワク・ドキドキ出来るんだもの。

「再婚は考えてるの」
「おっ、恵梨香が立候補してくれる」
「バ~カ、恵梨香は色気より食い気だって」

 この手の会話は何度もしてるけど、ホントは手を挙げたい。でもまだ無理、

「前に小学校の同窓会の幹事やっただろ・・・・・・」

 連絡はLINEを利用してたらしけど、今でもやりとりがあるみたい。どうも男はこの手のコミュニケーションは熱心じゃないみたいだけど、女は熱心みたいで、女子会まで開いてるんだって。

 あいつも女子会まで参加してないけど、そこで出た話題を聞くこともあるで良さそう。まあ、女子会と言っても既婚者ばかりだから、下手に顔を出すとかえってややこしいとも言ってたっけ。あいつの故郷も田舎だし。

「美由紀がね・・・」

 美由紀はリーダー格ぐらいかな。ボス的な存在じゃなく、どっちかと言えばお世話好きみたいなイメージで思ってる。ああいうところの女子会って往々にして噂話の交換会みたいになるのだけど、

「ビックリしたよ。智子の旦那が急死したらしくて、帰って来てるんだって」
「お子様は」
「いないんだってさ」

 げげげ、堪忍してよね。旦那と死別して子ども無しなら完全にフリーじゃない。泥棒猫だけでも手に負えないぐらい厄介なのに、あいつのガチの初恋の相手が独身状態に戻ってるってなんなのよ。

「もうおばちゃんになってるんじゃない」
「そうかもな。ボクもおっちゃんになってるものね」

 恵梨香も入っちゃうけど、この年代の女の差はかなりあるのよね。まだまだ魅力的なのもいれば、すっかりオバハンになってるのもいる。とくにオバハン化しやすいのが既婚者、専業で子育てやってたらとくにかな。その辺は男がオッサン化するのもニア・イコールだけど。

 智子がどうなっているかは、あいつも見てないからわからないだろうけど。気になりすぎる情報だよ。とにかくあいつの初恋の美化は壮絶すぎるから、もし智子がそれなりに当時の面影を残しいたりしたら、すぐに点火してしまうよ。

 恋に苦難は付き物だけど、なんであいつがフリーになると、こう次から次に湧いてくるんだよ。それもすこぶるの因縁付きばっかり。アホたれが、どうして離婚なんてするんだよ。そこは恵梨香も他人の事は言えないにしろ、タイミングが悪すぎるじゃない。

 何かが動き出してる気がする。この歳になっての初恋話は完全に青春を懐かしむだけの話のはずじゃないか。あいつも含めてだけど、本来は現在の結婚相手がもし初恋の人だったらどうだろうかぐらいが関の山程度のはずなんだよ。

 それがあいつの離婚で初恋で止まっていた時間が、二十年の歳月を越えて動き始めているように感じてならないじゃない。まるでタイミングを合わせるように、泥棒猫だけじゃなく智子まで未亡人になるってなんなのよ。

 でも、そうなると智子が絶対有利になっちゃうよ。泥棒猫だって智子に勝てるかと言われれば敵わない気がする。悔しいけど恵梨香なんてレースにすら参加できない枠外にしか思えないじゃないか。

「そうだ恵梨香、これ」
「えっ、プレゼント!」
「恵梨香にはお世話になってるからね。ちょっと早いけどバースデー・プレゼント。何にしようかと思ったけど、日本酒を飲むときのお気に入りのグラスを割ったって前に言ってただろ」

 割ったのはクリスタルだけど国産の売れ残りの特売品。それでも恵梨香はお気に入りだったんだけど、手が滑って落として欠けちゃったんだよね。だいぶ前の話なのによく覚えてたな。それにしてもこれはレッドボックスだ。開けてみると・・・ローハンじゃない。

「それはローハンじゃなくてパルメだってさ。ほら、エッチングが花鳥模様になってるだろ。恵梨香はこっち系が好みのはずだから、気に入ってくれたら嬉しいな」

 気に入る、気に入る。だってだよ憧れのバカラのショット・グラスだもの。これで飲んだら絶対に美味しいはず。これは恵梨香の宝物、

「ありがとう。大事に使う」

 あいつのわからないところで、普通に見れば恵梨香だって口説かれてるんだよ。ベッドだって誘われてるし、ご飯だってデートじゃない。最近泥棒猫も多くなってるみたいだけど、一番逢ってるのは恵梨香だもの。

「やっぱり恵梨香とご飯食べてる時が一番美味しいし、楽しい時間だからせめてもの感謝の印」

 もしだよ、恵梨香が素直にOKしていたら、ベッド・インから再婚まですんなり行ってたんじゃないかと思うぐらい。そうだよ、恵梨香だって枠外じゃない、ちゃんとレースに参加してるはず。

「恵梨香にこんなもの贈ってくれてイイの」
「もちろんだよ。喜ぶ恵梨香の顔を見るのが楽しみだったもの」

 ひょっとしてあいつは天性の女たらしとか。今夜は聞いてやれ、

「FBの子にも贈ってるの」

 そしたらさも意外そうな顔になり、

「リサリサにどうして贈らなければならないの?」
「それは、えっと、お友達でしょ」
「友だちだからと言って贈って回っていたら破産する」

 こんなもの、どう聞いたって口説き文句じゃない。泥棒猫は強敵だけど、いざとなれば暴露玉砕戦術はあるのよ。リスクも高いし、向こう傷を受ける危険性もあるから、今は使いたくないけど対抗策はある。

 智子も気になるけど、わかっているのは旦那と死別したことだけ。智子の夫婦仲はわからないけど、仲睦まじければ旦那の死はショックのはずだから、このまま二度と結婚なんて考えないのも普通にあること。だから参戦してこない可能性も十分にあるじゃない。

 自分に都合の良いように考えれば恵梨香にチャンスは十分あるはずだけど、なんか嫌な予感がする。あいつの離婚が何かを呼び寄せてるとしか、もう思えないんだよ。

 それに恵梨香も反応してるんだけど、泥棒猫が現れて、智子まで参戦してくる可能性があるってなんなのよ。頼むから由佳ぐらいは幸せな結婚、幸せじゃなくても良いから離婚せずにいて欲しい。離婚していてもイイから、オバハン化が進んでいて欲しい、とにかく参戦はして欲しくない。でも出てきそうな気がしてならないよ。

 やはりベッドに行くべきか。これだって本当に行ってくれるかどうかは未知数だけど、誘ったからには行ってくれるよね。今日だってあんな素敵なプレゼントをもらってるじゃない。あのグラスは安い物じゃない。それも間違いなくデパートで買った正規品。

 それぐらいは恵梨香にもわかる。つまりは本気のプレゼントってこと。そんなプレゼントのお礼がベッドだって変じゃないよ。いや、好きなら、愛しているのなら、そうする方が自然のはず。

 えっとえっと、今日なら安全日のはず。ちょっと微妙かな。でもゴムはいやだ。あいつと初めて結ばれるんだよ。ナマでしっかり迎え入れないと意味ないじゃない。そうよ出来たってウェルカムじゃない。

 もっとも、あいつだって出来婚は嫌なはず。え~い、最悪堕ろせばイイじゃない。もう二人墜ろしてるんだから一人ぐらい増えたって構わない。なんだっけ、アフター・ピルだってあったはず。どこ行けばもらえるんだろ。

「どうしたの。えらい真剣に考えこんでるけど」
「あれ、そうかな」

 でもだよ、でもだよ、まだ手もロクロク握ってもらったことないし、言うまでもなくキスもまだ。そりゃ、高校生の恋愛じゃないから、いきなりだって構わないようなものだけど、それでも恋愛の礼儀としてのステップがあるじゃない。

 そりゃ、恵梨香の本性はビッチだけど、これは不倫じゃないし、本気の恋よ。いや、それだけじゃない、恵梨香の本当の意味の初恋みたいなものじゃない。元クソ夫なんかに恋なんてしてないし、不倫上司だって愛してなんかいなかった。どっちも言い切っちゃったら計算づくのエッチをしただけ。

「今日の恵梨香は変だよ」
「いつもと同じだよ」

 そしたらあの野郎はニコッと笑って、

「じゃあテストしてみる。食事がすんだらホテルはどう」
「だからいつも言ってるじゃない。恵梨香は色気より食い気だって」

 バカ、バカ、バカ、恵梨香のバカ。どうして誘いに乗らないのよ。今日乗らなくていつ乗るの。次にあいつが会うのは泥棒猫だよ。そこでやっちゃうかもしれないじゃない。やられたら恵梨香は、恵梨香は二度と会えないかもしれないのに。

 恵梨香をあいつ好みに改造する計画はまだ完全じゃない。と言うかいつになったら完成するかわからないもの。それにたとえ完成したって、この御面相と、スタイルが目を剥くようなものになるはずもなしなんだよ。あいつに愛してもらうには、この体を認めてもらわないと始まらないってこと。

 そのための関門がベッド。やるのにはなんの抵抗もないし、やりたくて仕方ないけど、恵梨香が喜んだって意味ないんだよ。あいつが喜んでくれなきゃ、そこでジ・エンドになってしまうってこと。

 だから怖い、恵梨香を見せるのが怖い。あいつはビッチが好きなんだろうか、それとも清純な相手。そりゃ、ビッチと清純派なら若い時は勝負にもならないけど、もうアラフォーだから変わるかも。

 でもでも、ビヤ樽狸のビッチなんて好きな男がそんなにいるのかが問題。だったらベッドではしおらしくするのが良いかもしれないけど、恵梨香がベッドでアピールできるのはビッチであること。そこで勝負しないと泥棒猫にも勝てないはず。

 恵梨香がベッドで勝つにはビヤ樽狸のビッチを気に入ってもうらうしかない。これがダメならあきらめる。うぇ~ん、あきらめたくないよ。恵梨香の一世一代の大切な恋なのよ。

「そろそろ行こうか」
「えっ、どこに」
「どこにって、いつものバーだけど。ホテルは断られたし。今日の恵梨香はやっぱり変だよ。恋人でも出来たの」

 恋人なんて生まれてこのかた、あんたしかいない。もう今夜は決めた。勝負のベッドに挑戦する。ビッチの恵梨香を思いっきりぶつけてやる。朝までよがり狂う恵梨香を見せて、最後の審判を待つ。

 あれっ、今日は飲みすぎてる。まさか、これぐらいで酔っぱらうなんてウソでしょ。ダメだフラフラする。

「熱があるじゃないか。どうして早く言ってくれないんだよ。さあ、帰ろう」

 あいつは恵梨香の腰に手を回し恵梨香を支えてくれた。それぐらいフラフラだったから、単に手を回したんじゃなくて抱きよせる格好になってる。こんなに密着したのは初めてだよ。

 いつもは電車なんだけど、あいつは北野坂に出た途端にタクシーに恵梨香を乗せてくれた。車内では肩に手を回してしっかり抱き寄せてくれた。そして恵梨香の体をひたすら心配してくれた。

 あいつの息遣いが目の前にある。後数センチで触れ合うところにある。欲しかった、いや触れようとして近づけたけど、タクシーが曲がった時に恵梨香はあいつの胸の中に飛び込む形になったんだ。そしたらあいつはギュッと抱き寄せてくれて頭を撫ぜ撫ぜしてくれた。

「恵梨香は可愛いね」

 熱のおかげで勝負のベッドは出来なくなったけど、あいつにグッと近づいた実感がしてる。マンションに着くのが恨めしかった。うつしたら申し訳ないと思ったけど、そのまま甘えちゃったよ。

 風邪はひどかった。結局三日も寝込むことになったもの。十年ぐらい風邪なんて引いたことがなかったから、そのツケが一遍に押し寄せた感じ。その間もLINEに毎日のようにあいつの心配するメッセージが入ってたのが嬉しかった。恵梨香も候補だよね、もうそうとしか思えない。

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