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シノブの恋(第22話)大障害

「・・・そういうことで貸与馬での大障害A勝負になった」
「冗談やろ、大障害Aいうたら最高難度やんか」
 
 コトリたちが馬に乗った後に社長室に呼ばれたんや。社長室言うても四畳半ほどの部屋で、どこから拾ってきたかわからへん、くたびれきった応接セットがあるぐらいやねん。ちなみに大障害Aとは、
 
 ・高さ一六〇センチ以内
 ・幅一八〇センチ以内
 ・平均分速で三七五~四〇〇メートル
 ・障害個数は十三個まで
 ・ダブル障害とトリプル障害が一個ずつ
 ・最大級のオクサー障害が一個以上、同じく垂直障害が二個以上
 
 
 垂直障害とは横木が並んでる幅のないやつと思えばエエねん、オクサー障害とは横木が二列あって幅のあるやつのこと。そやから最大で高さ一六〇センチで幅が一八〇センチの障害まである。競技の採点は、
 
 ・バーとかブロックを崩したら四点減点
 ・障害物を飛び越えるのに躊躇したら四点減点、これは不従順とか反抗って言うんやけど二回やったら失権
 ・反抗時間が四十五秒以上になったら失権
 ・タイム制限もあって、規定時間を四秒越える越えるごとに一点減点
 
 だいたいはこんなもん。とにかく障害が高くて幅も広いから危険で怪我もしやすいから、馬術協会も参加できる資格のハードルを上げてて、公認大会ならA認定が必要だったはず。
 
「このクラブでA認定なんておったっけ」
「おらん。でも公認の競技会やないからOKや」
「そういう問題じゃなくて、A認定ぐらいの技量がないと危ないやんか」
 
 だいたいやで、中障害でも完走するのがやっとレベルやのに、大障害なんて無理に決まってるやんか。
 
「社長は大障害飛べるん?」
「やったことないから自信がない」
 
 こら、だったら誰が出る言うんよ。とりあえず試してみると社長が言いだして、一六〇センチの垂直障害を廃材使って作っとった。
 
「コトリ、ありゃ壁だね」
「ガチで人飛び越さなアカンからな」
 
 出来上った垂直障害に社長は挑んだけど、馬が回避してもた。そりゃ、そうするやろ。あんなもん飛び越えようとは馬でも普通は思わへんやろ。
 
「やっぱりアカンで」
「アカンですまへんのや」
「そんなもん、社長が勝手に変な勝負もうてくるからや」
 
 小林社長の腕も問題やけど、あの馬じゃな。何回か挑戦しとったけど、馬は単なる壁と思い込んで横を走り抜けるだけ。
 
「コトリ、あれじゃ勝負どころじゃないわね」
「ホンマに」
 
 インストラクターの面々も挑戦したけど馬は飛ぶなんて念頭にもなく回避。
 
「障害を飛ばずに回避しちゃったら、どうなるんだっけ」
「一回目は減点四で、二回目は失権や」
 
 貸与馬やから、ここより馬は良くなるやろけど、勝負するだけ無意味な気がするで。それもやで、今回の勝負は何を考えたかしらんけど団体戦。団体戦のやり方は二つあって、
 
 ・勝ち点法
 ・総減点法
 
 勝ち点法は一組ずつの勝負で二勝あげた方が勝つ方式で、総減点法は団体の総減点数の少ない方が勝つ方式。ほいでもって今回は何故か総減点法。
 
「失権者が一人出ただけで最低でも四十点やから、それでアウトや」
 
 失権の減点規定も色々あるんやが、四十点の上にそれまでの減点と、残ってる障害一つに付き二十点なんや。コンビネーションも障害の個数としては一個と数えるけど、減点の時はダブルで四十点、トリプルで六十点加算や。

 だいたいやで、団体戦言うても三人どころか、一人もおらへんやんか。どないするつもりやろ。ユッキーとクラブのレストランでメシ食べとってんけど、
 
「これでクソ駄馬クラブになるのは確実ね」
「ならへん可能性が思いつかへんぐらいや」
 
 勝負の話は常連さんにも伝わってて、
 
「看板やったら、うちの倉庫に隠しといたらどうやろ」
「あんなボロ看板、新調したらしまいやんか」
「ほんでも、クソ駄馬クラブに名前が変わってまうで」
「あんまり嬉しないな」
 
 誰も勝つ予想してへんわ。そしたら、いつもニコニコ愛想の良い奥さんが突然怒りだし。
 
「うちの人は勝つ。必ず勝ってくれる」
 
 娘さんまで、
 
「お父ちゃんが負けるもんか」
 
 顔見たらガチで怖いぐらいやった。
 
「でも相手は甲陵やで」
「お父ちゃんが負ける言う客に出すもんはあらへん。帰ってか」
 
 あまりの剣幕に、レストランの営業どころじゃなくなってもたんや。その時に二人はワンワン泣き始めて大変。騒ぎを聞きつけた小林社長が来て宥めてまわっとった。なんとなく帰りそびれたコトリとユッキーやってんけど、気を取り直した奥さんが、
 
「少し聞いて欲しいことが・・・」
 
 小林社長夫婦が知り合ったのは甲陵倶楽部時代。社長は厩務員で、奥さんがレストランのウェイトレスやってんて。今じゃ想像しにくいけど、奥さんはけっこうな別嬪さんで、もててたらしい。だから娘さんは可愛いのかも。
 
「黒田と私は付き合ってました。少なくともそのつもりでした」
 
 自然に関係を持つところまで進んで、
 
「真剣に結婚まで考えていたのですが・・・」
 
 妊娠までしたところで、黒田の態度が豹変、
 
「遊びだと言われて、冷たく捨てられたのです」
 
 そんな傷心の奥さんを慰め、励まし、勇気づけたのが小林社長。
 
「うちの人はキズモノを嫁にしてくれたんです」
「そんなこと、思たこともあらへん。世界一の恋女房や」
 
 小林社長が馬より愛してるのが奥さんなのは有名。コチコチの愛妻家。
 
「うちの人は、いつの日か黒田を見返してやると約束してくれたのです」
 
 当時の小林社長は騎手を目指していて、爪に火を灯すように倹約しまくって馬の購入費を貯めてたんやて。その馬に乗って競技会で黒田会長に勝つためにや。やっとこさ馬を手に入れて、これからと言う時に、
 
「娘が大きな病気になってしまって・・・」
 
 小学校ぐらいまで入退院を繰り返してたで良さそう。治療費も必要だったんだけど、奥さんが看病のために働けなくなってしまい。
 
「馬を売らざるを得なくなったのです」
「当たり前やろ。馬より娘の方が百倍も、千倍も、万倍も大事に決まってるやんか」
 
 そしたら、娘さん。エミさんていうんだけど、
 
「うちは知ってるんや。うちはお父ちゃんの子どもやない、本当は黒田の娘だって」
 
 これは絶叫やった。戸籍上は小林社長の娘やそうやが、あの時の子どもを産んでたんや。
 
「憎い黒田の娘のために自分の夢を売ってもたんや」
「なに言うんや、世界中の誰がなんと言おうとエミは一〇〇%オレの可愛い娘や」
 
 小林社長がどれだけエミさんを可愛がってるかはみんな知ってるけど、実の娘じゃないだけでなく、黒田会長の娘だったとは。
 
「うちの人はお腹の中にいた娘も合わせて引き取って結婚までしてくれたのです」
「ちゃうで、オレが惚れまくったからや」
「それだけじゃないのです。エミを産んだ時に子宮を取らざるを得なくなって。うちの人の子どもは・・・」
「なに言うんや、子ども作るために結婚したんちゃうわい。お前に惚れて結婚したんや。子どもかってエミがちゃんとおるやんか。二人はオレの宝物や」
 
 ここまで言い切れるなんて小林社長も立派な漢やないか。
 
「あの馬だって・・・」
「そうや、あの馬はお母ちゃんの無念を晴らすために買ったものやったのに、うちの病気のために・・・」
「あの馬がいても、勝てんかったから同じや」
「そんなことはありません。あの馬は格安で手に入れましたが、あれこそ掘り出し物。うちの人の馬を見る目はさすがでした。だって、だって、あの馬は・・・」
 
 驚いたんやけど、転売された馬はアジア大会まで行ったらしい。
 
「うちの人にはどんなに感謝しても足りんほど感謝してます」
「日本一、世界一のお父ちゃんや」
 
 小林社長は騎手になる夢をあきらめて、それこそ身を粉にして働いてこの乗馬クラブを開いたそうやねん。騎手としては勝負の土俵さえ上がれんかったけど、いつか黒田会長が率いる甲陵倶楽部に勝つためにやそうや。
 
「黒田は自分の血を引く娘を駄馬と罵っています。それは私が駄馬であるとの侮辱であり、そんな駄馬と結婚したうちの人への侮辱です。だから名誉まで懸けたんです。役員会議の夜にどれほど怒りまくったことか」
「あんだけ怒ってくれたお父ちゃんを尊敬してる。だから、だから、この勝負、なにがあっても勝つんや。負けたらアカンのや」
 
 気持ちはわかるけど、無理なもんは無理やんか。そしたらお母さんと娘さんが突然土下座したんや、
 
「お願いです。どうか代表として出てくれませんか」
「ちょっと待ちいな」
「このクラブで大障害を飛べる可能性があるのは、コトリさん、シノブさん、ユッキーさんの三人しかいません」
「買いかぶり過ぎや」
「いいえ、あなた方の技量はうちの人も仰天してます」
 
 参ったな。断りにくいやんか。そこに追い討ちが、
 
「コトリ、やろうよ」
「なに言うてるんや、大障害やで」
「飛べばいいだけじゃない。矢も飛んで来ないし、槍で刺されたり、剣持って追いかけて来る奴もいないんだし」
 
 エライ喩えや、あちゃ、小林社長まで土下座してる。
 
「でもシノブちゃんはあの調子やで」
「なんとしても引っ張り出す」
 
 大障害はやる気だけで飛べるもんやないんやけど。

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