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女神の再生(第27話)エレギオン研究センター

 ボクは港都大大学院考古学部エレギオン学科修士二年の柴川裕太です。このエレギオン学科ですが、もちろんエレギオンの歴史を研究する学科なのですが、

『エレギオン学そのものが謎である』

 ここまで呼ばれます。これはエレギオン学を学べば学ぶほどボクもそう感じています。エレギオン学は発掘調査により得られた大量の美術工芸品、さらに文字が記された石板・粘土板が基礎になっているのですが、この膨大な出土品を年度順、分野別に分類刺されているのが相本准教授による相本分類です。

 この相本分類なのですが、発掘調査が終わってまもなくに発表されているのですが、その時点ではエレギオンの歴史・文化については全くと言って良いほど不明状態でした。それを分類整理したと発表しても冷笑しか出て来なかったそうです。ところが研究が進めば進むほど、相本分類の呆れるほどの正確さが次々に証明され、今や絶対基準と見なされています。

 ではでは、相本分類がいつ行われたかですが、発掘直後にほぼ終了しているのです。つまり相本准教授は出土した瞬間にすべての出土品の分類を行った事になります。こんなことがあり得るはずがないので当初は冷笑どころか嘲笑もされたのですが、いくら研究しても相本分類を覆すどころか、裏付ける結果しか出て来ないのです。

 ではでは、相本准教授がエレギオンのすべてを知っていたかといえば、そんなことはありません。たしかに相本准教授は天城教授と並んでエレギオン学の最高権威なのですが、それでもわからないことが多数あります。相本准教授にも聞いたことがあるのですが、

「とにかくこの分類は疑ってはならないの。これ以上の分類は絶対できないから」

 これしか話してくれません。そのためにエレギオン研究は相本分類で為された分野別、年代別の出土品を研究する事になります。なにが変かって、分類された相本准教授でさえ分類した分野は絶対正しいのは疑ってはいけないと言いながら、内容については平然と、

「なにが書いてあるかは私も知らない。それはあなた方がこれから調べること」

 道理で相本分類が発表された時にあれだけ酷評されたのが良くわかります。では相本分類が役に立たないかと言うと違います。だって、未知の記録であっても予め何をテーマに記録したものであるかわかっていれば、研究の速度が違います。とにかく相本分類は信じる者が確実に救われる摩訶不思議なものです。

 ボクが研究テーマに選んだのは音楽です。ボクもピアノをやっていましたし、アマチュア・バンドを組んでいたぐらい好きです。それとこれまで手付かずの分野になっています。音楽を研究分野に選びたいと天城教授、相本准教授に相談したら、

「それは素晴らしい。期待しているよ」

 天城教授も相本准教授もエレギオン学が日の当たらない時代に苦労されており、学生の指導は懇切丁寧にされます。とくに相本准教授はこちらが恐縮するほど親切で、あれこれ気を使ってお世話してくれます。それと考古学とは無関係とはいえとにかくお綺麗で魅力的な女性です。冗談抜きで一緒にいるだけでドギマギさせられます。相本准教授に付けられた、

『エレギオン学の女神』

 これは掛け値なしのものです。相本准教授についてもわからない点があり、これだけの世界的権威なのにまだ准教授です。これは港都大では席の問題もありますし、天城教授を押しのけて教授になるのは難しいにしろ、他大学からの招聘の話は国内外を問わず今でもいくらでもあります。これについて相本准教授は、

「ここにいないと研究できないじゃないの」

 そりゃ、そうかもしれませんが、ケンブリッジやハーバードからの招聘を断ってまでは不思議と言えば不思議です。招聘条件を噂で聞いた事がありますが、港都大以上の研究センターを作り、エレギオンの定期的発掘もあったって聞いて腰を抜かしたものです。

 もう一つ不思議な点は未だに独身の点です。別に独身であっても構わないようなものですが、誰に聞いても彼氏の一人もおられた話すらないのです。そうなると天城教授との仲を勘繰るのは下衆の常ですが、これさえも助教クラスに聞いても、

「ないない、絶対ない。准教授は開かずの金庫処女だから」

 たしかに相本准教授は生真面目過ぎるぐらいの学究ではありますが、ホントに素敵としか言いようの女性なのです。愛想も良いし、誰にでもニコヤカに応対されます。そのうえさっきも言ったように世話好きです。ファッションだって、華美に飾るなんてことはしませんが、その美貌と相俟って女神の呼び名に相応しいものです。

 何が言いたいかですが、男を寄せ付けない雰囲気などどこにもなくて、むしろあれで言い寄る男がいない方が不思議です。そんな相本准教授を事もあろうに『開かずの金庫処女』と呼ぶのがどうしても理解できません。これもエレギオン学の謎の部分です。

 さてボクの研究テーマの音楽ですが、相本分類をこの目で見せつけられることになりました。音楽分野に関しては本当に手つかずで、発掘当時に分類されたままになっていました。だってまだビニール袋に入ったままだったからです。

 ただですが、ビニール袋に入っている断片は一つの石板なり粘土板ごとに既に分類されているだけでなく、すでに歌詞別、楽譜別、記録別、さらに年代別の分類が終り、歌の題名まで書かれています。普通はここまで終わっていれば分析は終了したも同然なのですが、エレギオン学の摩訶不思議な点は、そこに何が書かれているかは完全に未知なのです。

 エレギオン学で難しい点はとにかく解読になります。エレギオン文字と呼ばれていますが、源流はシュメール文字と一般的には見なされています。ただシュメール文字と同じかといえばそうでもなく、相本准教授は、

「おそらくエラム語がシュメール語の源流で、当時のウルクを中心としたシュメールの共通語になり、これが逆流してエレギオンの故地であるアラッタに影響している部分があると考えてるわ。さらにアラッタからエレギオンに移った後に独自の発達をした部分があって、そこの変遷を追いかけないと読めないの」

 相本准教授はエレギオン文字の解読でも第一人者ですが、相本准教授を以てしても全体の三割が読めるかどうかになります。とくにエレギオン文字が完成したと見られる最盛期から晩期の物の解読は難航を極めています。というか読めない文字なのに、ここまで完璧すぎる分類が何故できたのかは謎すぎるところです。

 ボクの音楽分野の研究も手強いものになっています。書いてある文字を読むのも難解であるのに、そこから楽譜の記載法を見つけ出さなければならないからです。なんとか音階の記載法らしきものの手がかりを見つけ出しましたが、これだって書かれているものが楽譜と最初からわかっていたからわかったようなものだからです。音階のヒントを見つけた事を天城教授に報告すると、

「君は優秀だ。これだけでも十分すぎる大発見だから発表したまえ」

 ボクにしたら『えっ』でしたが、教授が勧められたので日本エレギオン学会に発表する事になりました。発表までに少しでも音階記載法の研究を進めて学会の抄録を見たのですが、そこに気になる演題が、

「教授、特別講演として『女神賛歌について』とありますが、ボク以外に音楽分野を研究していた人がいるのですか」
「いや、君の見たとおりだ。まだ手つかずの分野で、研究センターでも君が初めて手に触れたものだ」
「それとこの立花小鳥って何者なのですが、どうみても一般人なのですが」
「そうだよ。大学ではイタリア文学専攻で、卒業されてからは社会人になられている。エレギオン学会には最近になって参加されている」
「でもエレギオン学会の入会資格は・・・」
「それ? ボクと相本君が連名で推薦したら審査は問題なかったよ」

 はぁ? そりゃ、天城教授と相本准教授が連名で推薦したらこれを拒否する者はいるはずもありませんが、どうみたって素人も良いところです。そんな素人が石板も粘土板の解読どころか、見もしないで発表できるとはあり得ない事です。それもですよ、いきなり特別講演です。

「立花小鳥って在野の長年の研究者なんですか」
「いや、まだ二十五歳ぐらいだったと思うけど」

 ボクとほとんど変わらないじゃありませんか。

「まともな発表なんか出来るのですか」
「うん? 今回の目玉講演だ。あの立花さんが講演してくれるのがどれだけ有難いことか。君の研究にも大いに役立つと思うよ」

 これ以上は『聞いてのお楽しみ』で教えてくれませんでした。あまりにも謎すぎる事なので前回の発掘調査にも参加した助教の方にも聞いてみたのですが、

「ボクも興奮している。あの立花さんが講演してくれるなんて夢みたいだ」
「そんなに凄い方なんですか」
「凄いなんてレベルじゃないよ。そうだな、天城教授が富士山だったら、立花さんはエベレストでも足りない、宇宙ステーションでも足りないぐらいかな」
「そんなぁ・・・何者なのですか」
「懇親会も出て下さるそうだから、君も話を聞いてみると良い」

 ボクは一般演題として発表しましたが、音楽分野の発表は初めてだったのでエレギオン音楽の謎の解明に期待しているぐらいの評価になっています。注目は特別講演です。立花氏が講演される女神賛歌とは一つの歌ではありません。現代で喩えるとキリスト教の讃美歌のようなもので、センターの石板や粘土板も殆どが女神賛歌らしいぐらいはわかっています。

 長さもどうやら長短様々にあるらしいのと、複数の女神賛歌をつないで歌うこともあるらしいぐらいまでつかんでいますが、とにかく解読が大変すぎて、どういう時にどれがどういう風に歌われたのかは全く不明です。漠然と祭祀の時に歌われたぐらいしかボクも発表では言えませんでした。

 特別講演が始まり立花氏が姿を現した時にはまさにビックリしました。二十五歳ぐらいと聞いていましたが、もっともっと若く見えます。それに文字通り『素敵』を絵に描いたような方だったのです。白状しますが、立花氏を見て一目惚れしない男がこの世にいるかどうかレベルです。

 立花氏の講演は圧巻というか、ボクですら理解をはるかに超えるものでした。というか余りにも断言されるのです。特別講演で採り上げられた女神賛歌はボクの調べた範囲では目にしていないものでしたが、

「この女神賛歌は重要な儀式の始まりに使われています」

 後は歌詞の完璧な対訳、現代音符に直したものが示されて目が点状態です。さらに儀式で使われた女神賛歌の変遷、その理由、伴奏楽器の種類・・・質疑応答の時にボクは、

「センターにある女神賛歌には御発表された歌詞は現在のところ見つかっていませんが」
「女神賛歌はコーラス部分と女神合唱、女神ソロの部分があり、女神が歌う部分は記録するのは禁じられています。国民が覚えるのは合唱部分のみで、図書館の記録にもそれしか残されていません」

 天城教授や相本准教授の対応も妙と言えば妙で、こういうものは根拠が必要なはずですが、それについてはまったく言及せずに、立花氏の発言自体が揺るぎなき根拠としているように感じてなりません。発掘にも参加された助教の方が隣にいたので聞いてみたのですが、

「どうして誰も立花氏の主張の根拠を掘り下げないのですか」

 そうしたら、さも不思議そうな顔をして、

「そんな必要がどこにあるんだ。あの講演の内容がエレギオンの音楽分野のすべての根拠であることを疑う余地などどこにもない。これを聞かせてもらえる幸せがどれほどのもか」

 さも当然と話される助教の方を見ながらボクの頭の中はひたすら『???』が渦巻くだけです。こうなれば懇親会で食い下がるしかありません。懇親会でも立花氏は常に中心におられます。天城教授、相本准教授が下にも置かない扱いをされているのが嫌でもわかりますし、前回の発掘調査に参加された隊員も取り囲まれて近づくのも大変ってところです。どうしようかと思っていたら教授が、

「柴川君も音楽分野の研究をしているのだから、話を聞きたいだろう」

 そうやって紹介してくれました。名刺を頂いたのですが、それこそのビックリ仰天。この若さでクレイエールの代表取締役専務なんて信じろと言う方が無理があります。そこから楽譜についての質問を少しさせて頂いたら、それこその立て板に水で説明してくれました。音階の記載法、音符や拍子の解釈、それが正しいかどうかの判断さえボクには見当さえつきませんが、不思議な説得力があります。

「音楽分野の研究は価値ある物です。ぜひ、その謎を解き明かされるように期待しています」
「柴川君、そういうことだ。この謎を解き明かすのが君の仕事だ」

 ちょっと待ってください。立花氏の話を信じれば、既にすべて解き明かされているじゃないですか。ボクのする仕事なんてどこにも残っていないと言ったら、天城教授はそれこそ何を言っているか理解が難しいって顔をされて、

「立花専務が知っておられるのは当然のことだが、我々はまだ解明の端緒に付いたばかりだ。エレギオン音楽については何もわかっていないのに等しいのだ。君が今日発表した音階も誤りが多かっただろう」

 そりゃ、そうなんですが、知っている人が既にいて、どうして自分で今から自分で調べなければならないのか意味不明です。

「柴川さんの御研究の参考に女神賛歌の一節をお聞かせしますわ」

 こう立花専務が言われただけで天城教授も、相本准教授も興奮状態です。

「立花専務、本当に良いのですか」
「こんな夢のような起るなんて」

 そこから立花専務はまさに朗々と歌われました。部屋の中に響き渡り、心を震わせます。そうなんです、聴いてるだけで自然に女神への崇拝の念が湧き上がって来るのを止め様がなくなるのです。その時にふと特別講演の話が頭に甦りました。この部分は女神ソロのはずです。

「まさに女神だ・・・」
「柴川君、わかったかね。これがエレギオン学なんだ」

 論理的にはなんの説明も出来ませんが、ボクにははっきりと分かった気がします。立花専務が、天城教授や相本准教授、さらには元発掘隊員にこれほど尊敬されている理由が。天城教授は、

「柴川君、是非次回の発掘プロジェクトに参加してくれ。そうすれば、君が疑問に思っていることがすべてわかるよ」

 立花専務は特別講演の内容を論文にされ発表されました。その論文一本の功績だけで博士号だけではなく名誉教授の称号を授けられています。それを疑問に思うエレギオン学の研究者は殆どいないと思っています。いや、疑問を抱かない事自体が相本准教授に言わせると、

「かなり進歩したわ。ここまで来るのが大変だからね」

 ボクもあの、

『エレギオン学そのものが謎である』

 この言葉の真の意味にかなり近づいたと思っています。

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