アカネ奮戦記(第34話)女神の仕事
フォト・コンテストの審査の舞台裏は奇々怪々だったけど、そこまでやる必要があったのかな。とくにコトリさんが市長に脅しをかけたところ。
「あ、それ。市長がユッキーを怒らせてもたんよ」
「はぁ」
コトリさんたちは赤壁市に入る前に谷奥温泉に泊まってるんだ。エレギオンHDの社長と副社長がよくまあ、そんなところに泊まったと思ったけど、
「あそこに村営の公衆浴場があるんやけど、市営じゃなくて村営なんよ」
これはタケシに聞いた。十年ほど前に赤壁市に合併されてるんだ。つまりって程じゃないけど、自治体としての谷奥村は存在しないんだよね。
でも珍妙と思うんだけど、谷奥村の住所は赤壁市谷奥村って言うのよね。だから地名として谷奥村は正しいんだけど、実態は本町とか、つつじ台とかの単なる地名。村営ってなってるけど、実態は町内会がやってるようなものなんだ。
歓迎会の話の中でユッキーさんは公衆浴場があまりにも傷んでいたから、自分が入ったことを伏せながら、
『谷奥温泉って良いところだと聞いています』
かなり遠回しだけど改修を頼んだらしい。そしたら市長は即答で、
『赤壁市にそんな温泉は存在しません。なにか勘違いされてるのではありませんか』
赤壁市と谷奥村の合併だけど、原因は谷奥村の人口が減り過ぎたことなんだ。そこで総務省が仲介して、なかば強引に合併させたらしい。当時も今の市長だけど、この合併には相当な不満だったらしい。
そんな谷奥村の始まりは源平合戦の平家の落ち武者伝説まで遡るらしいけど、大昔は温泉のある谷奥村の方が栄えてたらしい。赤壁市は秀吉の家臣の一人が所領をもらって城を作ったのが始まりだそうなんだ。
江戸期に入って赤壁川の治水に成功して栄えたらしいけど、谷奥村は天領で別だったんだって。それが途中で赤壁藩の所領になった時期があったらしいんだ。当時の赤壁藩は御多分に漏れず貧乏で、ものすごい年貢を取り立てたらしい。この辺はコトリさんが詳しいのだけど、
「年貢って税金みたいなものやけど天領の方が、かなり安かったんよ」
赤壁藩は八公二民みたいな年貢を取ってたらしいけど、天領の谷奥村は三割弱ぐらいだったらしい。それがいきなり三倍近い年貢を取り立てられたから大変なことになったらしい。そりゃ、そうなるよね。
最後に百姓一揆を起すところまで行ったんだけど、赤壁藩は大弾圧をかけたんだって。村民の五分の一ぐらいは殺されたってお話。そうやって鎮圧されたんだけど、鎮圧した赤壁藩もタダでは済まなかったみたい。
「赤壁藩って外様なのよ。江戸幕府はなにか口実があると藩を取り潰したり、小さくするのに熱心だっだのよね。百姓一揆も起ったことが知られると領内取締不行届で叱責されるぐらい。それが大弾圧なんてやった日には・・・」
お取り潰しこそ逃れたもの、所領の三分の一ぐらい削られちゃったらしいの。この時に谷奥村も天領に戻るのだけど、
・山奥村には大弾圧による虐殺の怨みが残る
・赤壁藩には所領が削減され、より生活が苦しくなった恨みが残る
でもさ、でもさ、大昔の話じゃない。だって谷奥温泉には赤壁市の人間もたくさん来るし、タケシだって谷奥村から赤壁市に来たようなもので、それをとくにとやかく言うのもいないし。
「そうなんよ。でも執念深いのもおるんや」
市長の家は赤壁藩の筆頭家老だったんだってさ。谷奥村の大弾圧の時も指揮を執ったんだけど、結果として所領削減になっちゃったじゃない。責任はすべて筆頭家老が被らされて、詰め腹を切らされてお家は断絶ってやつ。
だけどね、筆頭家老だけあって領主家や他の有力家臣の血縁がたんまりあったんだ。お家の復活の嘆願が繰り返されたんだって。ただ、余りにも事が重大過ぎて、殿様も他の家臣もなかなかウンといわなかったらしい。
それでもやっと息子にお家復活が許されたらしいけど、ついに士分としての復活は認められなかったらしい。士分ってなんだとコトリさんに聞いたんだけど、
「武士も階級があるんやけど、大雑把には正規の武士が士分で上士とも言うんや。戦国時代やったら馬に乗ってた連中ぐらいや」
ほんじゃ、その下は、
「徒士とも呼んどったけど、要するに中間とか、足軽階級や」
上士と徒士の差はいろいろあるらしいけど、単純には上士からは徒士は見下されていたぐらいでも良さそう。とにかく上士に挨拶する時に徒士は土下座っていうからね。上士の中でも最上席だったのが徒士に落とされた屈辱は相当だったみたい。
さらに所領削減を恨みに思う藩士も多いから、相当なイジメにあったとしてもイイみたい。それが何代も何代も続いたんだってさ。幕末のドサクサの頃に士分に復帰はしたらしいけど。
「家系伝承で谷奥村一揆と徒士での冷遇がリンクして怨念として語り継がれているぐらいで良さそうや」
そこまでやられれば、そうなるかもしれない。もちろんそれからも歳月はたんまり経ってるんだけど、
「そうやねん。市長もさすがに『そんな話がある』ぐらい状態やってんよ。その証拠に市長に当選してるやんか」
そうだった、そうだった。
「ところがね二回目の市長選の時に、そんな古い因縁を蒸し返されたんよ」
選挙にはネガティブ・キャンペインは良く使われるけど、相当エゲツナイものだったらしい。これで市長の怨念の血が燃え上がってしまったぐらいで良さそう。
「だからあれだけ地元業者の排除に熱心だったんだ」
「谷奥村のあつかいもひどいもんや」
だから合併話もあれだけ嫌がったで良さそうだけど、合併後もすごかったみたい。温泉の公衆浴場も合併の時の約束では市営に移管する約束だったのだけどあっさり反故にしてる。また下水道や都市ガスの整備も合併時の約束だったけど、十年経っても長期計画の端っこにも載らないそうなんだよ。
その代わりにやったのが、生徒数減少を理由にした幼稚園・小学校・中学校の廃校と解体。それだけじゃなく、老朽化を理由にした旧村役場、集会場の解体。これらは合併して一年のうちに、あっと言う間に行われたらしい。集会場についても再建の約束だけはあったそうだけど、未だに計画すらなし。
さらにだよ。あれだけ観光に力を入れてるのに、谷奥温泉の宣伝は一切してないんだ。市の観光案内にも、市内の名所とかのパンフレットやガイドマップにも一切書かれてないぐらい。アカネもそこまでやるかと思ったもの。これを知ったユッキーさんが憤慨したぐらいかな。
「その辺はユッキーの温泉好きもあるけどな」
「だってあんなに良い温泉なのよ。それの存在さえ認めないって許せないじゃない」
ユッキーさんは仕事では氷の女帝って呼ばれるぐらい、冷徹過ぎるほどの計算尽くで仕事をするので有名で、決して情で動いたりしない人なのはアカネでも知ってる。ユッキーさんが情で動く時は、女神の仕事ぐらいの気がする。
「まあ、そうとも言えんことないわ。今回はエレギオンHDの仕事と言うより、女神の仕事に近いかもしれん」
でもさぁ、でもさぁ、フォト・コンテスト一つ取ったからと言ってなんにも変らない気がするけど、
「市長に対する市民の不満は大きくなってるんよ。観光客は増えたけど市民にはあんまりカネ回らんからな」
コトリさんによると観光客が増えれば増えるほど、観光客から地元住民が遠ざけられ、市長が引き込んだ市外の業者ばかりが潤うのが誰の目かも明らかになったんだって。そりゃ、観光写真まで取り上げてるぐらいだし。
「ちょっと火を着けるぐらいで十分やと思てる。だってやで、あれで市長が審査員を買収してたんはチョンバレやんか」
な~るほど。辰巳は審査の無効を主張した上に審査員を破門にまでしてるから疑われないし、逆に市長は審査結果にあれだけこだわる姿勢を見せちゃったし。でもさぁ、立木さんが言ってたけど市議会は市長派が占めてるって言うから、
「市長派いうても、これぐらいも規模の市やで。市長の旗色悪なったら、すぐに掌返しよるわ。誰も市長と一蓮托生なんて思わへんよ」
「冷たいですね」
「市議は地元の人間しかなれへんし、市議を選ぶのも地元の人間。あれだけ地元の人間を冷遇したら、落ち始めたらあっという間や」
その後だけどコトリさんの予想通り、市議会は大荒れになったみたい。市の提出した予算案が否決されちゃって、その後もスッタモンダの大騒ぎ。マスコミも赤壁市の騒動として取り上げてたし、ワイドショーまで解説付きで喧々諤々やってた。
ああなったら市長の国政進出は難しくなるだろうな。つうか市長の座もどうなるかわかんないな。それとシンエー・スタジオも赤壁市から撤退しちゃったのよ。なんでだろうと思ってツバサ先生に聞いたんだけど。
「辰巳にだって見えるよ。市長と組んでも、傷口を深くするだけと判断したのだろう」
「じゃあ築田は」
「シンエー・スタジオから離れて独立したそうだ。独立とは言うものの、事実上の追放で良いと思う」
辰巳も赤壁市を見切ったんだろうな。それにしてもコトリさんもユッキーさんも、どこまで計算してたんだろう。女神がその気になって動くと、これぐらいの事は簡単に出来てしまうんだよね。やっぱり関わるとロクなことはなさそう。
だってさ、市議会で市議が出して来る資料がまさに衝撃物というか爆弾物、あんなもの普通は出て来ないよ。あれはシノブさんが調べ出してものに違いない。世間でエレギオン・グループだけは絶対に敵に回したくないとするのが良くわかったもの。
でもさぁ、でもさぁ、女神が動いた最後の引き金が温泉だったなんて誰も気づかないだろうな。そんなところに女神の古傷があるなんて想像できないものね。
「アカネ、それを言うなら逆鱗だ」
似たようなもんやんか。どっちも触ると怒るんだし。