ツーリング日和2(第24話)石見銀山
朝も温泉入って朝飯食べたとこで、
「あのコトリはん・・・」
「立て替えとくから後でエエで。そやそや、今日の払いも別々やったら嫌がられるから後で精算にしとくわ。ガソリン代もな」
荷物を積み込んでまずは三瓶山高原道路や、
「これ広々して気持ちイイじゃない」
この辺が西の原言うんか。マイも、
「こないな高原が日本にもあるんやな」
「そやな。観光地化が過剰やないのがエエな」
西の次は東の原やけどワイナリーもあるんやな。
「あるよ石見ワイナリーじゃない」
「ああ、あそこか。頑張って欲しいな」
北の原は別荘地もあるんやな。しっかし気持ちのエエ道やな。
「コトリ、三瓶バーガーってあるよ」
朝飯食ったばかりやけど、このバーガーはバイク乗りやったら外せんらしい。メニューは色々あるな。そやけど頼むんやったら、
「三瓶バーガー」
これ一択やろ。マイは呆れてパスしよった。
「あんたらブタなるで」
だいじょうぶや。いくら食っても体形変らへんからな。味はそこそこやな。こういうもんは食べたちゅうのがポイントやねん。よっしゃ三瓶山を一周まわったで。次は石見銀山世界遺産センターや。この道も楽しいな。三十分も走ったらあった、あった。バイクはここでエエやろ。ついに来たで石見銀山。
「ここからバス乗るで」
「歩いて雰囲気味合わないの」
「バイク乗りはすぐにラクしようとするわ」
ここから結構遠いねん。石見銀山の観光は銀山資料館のある代官所跡ぐらいから始まるけど、三キロぐらいあるんよ。バイクで三キロなんか、あっちゅう間やけど、歩いたら三十分ぐらいかかってまうねん。
「絶対バスよ」
「これを使わんアホはおらん」
調子のエエやっちゃで。大森代官所跡バス停で下りて、えっと川の向こうやな。橋はあっちか。まず見ときたいのは城上神社やねん。見どころは拝殿の天井の鳴き竜や。
「日光みたいだね」
「石見にもあるのが凄いで」
それと神社やから、しめ縄があるんやけど、
「出雲大社みたいだね」
「ここも縁結びの神様らしいぞ」
「お賽銭はずまなきゃ」
代官所跡の長屋門は立派やな。中の銀山資料館を見て、熊谷家住宅や。大森の豪商の家や。よう残っとるわ。観世音寺から写真を撮って、この辺から武家屋敷が多いとこやな。
「ここまで残ってるってさすがは世界遺産だね」
「整備もされとるし、観光地になってるから店も元気そうや」
旧川島家は地役人の家か、柳原家、山中家、三宅家、阿部家、宗岡家。凄いな。一軒ぐらい現代風の家が混じりそうなもんやけど、目に付かへんもんな。写真ではそうなっとったけど、ホンマにそうやったんや。
「金森家って宿屋さんだったのね」
羅漢橋を渡ったっら、あったあった、観光案内所や。この辺にレンタサイクル屋があるはずやねんけど・・・
「こういうところは歩いて行くべきじゃないの」
「こんなエエとこ歩かんでどうするねん」
コトリも歩きたいのはヤマヤマやねんけど、
「ここから片道四十五分や」
「レンタサイクルって最高」
「こういうところのサイクリングも楽しそうやんか」
お前らな・・・まあ、エエけど。目指すは一番奥の龍源寺間歩や。家も途切れ途切れになってきたな。おっ、これや、
「左の道行くで」
橋渡って、しっかし立派な寺が多いな。あれは安養寺って言うんか、時間があったら見ときたいけど今日はパスや。おっとここやな、
「左に入るで」
「結構登るのね」
「けっこう、ちゃうわい」
あったあった、
「コトリ、あの物凄い石垣は?」
「明治に作られた清水谷の精錬所の跡や」
道を戻って龍源寺間歩に到着。さらっと間歩の中を歩いて一休みや。間歩は間歩で一見の価値はあるけど、言うたら悪いがただのトンネルやからな。まあ、あんだけよう掘ったもんやと感心するぐらいでエエやろ。ついでやから、
「コトリはん、この階段登るんか」
佐毘売山神社は石見銀山の守り神やから参っとかなアカン。なかなか物寂びた感じがエエわ。後は戻って行くんやけど、石見銀山ちゅうより、コトリは大森銀山言う方がやっぱりしっくりくるな。ここでマイは不思議そうに、
「コトリはん、なんでこんだけの街が残ってんやろ」
銀山言うたら生野銀山も有名やけど、大森に較べたら殆ど残っとらへん。生野も大森も江戸時代に産出量が減ってたんやけど、生野は西洋の近代技術を導入して甦ってんよな。
「伊予の別子銅山もそうよね」
大森にも導入はしようとはしとった。それが清水谷の精錬所跡やねんけど、大森は新しい鉱脈が見つからんかってんよ。そやから大正時代には閉山になっとるねん。昭和まで続いた生野は当たり前やけど古い家とか壊したけど、
「大森は近代化の洗礼を受けへんかったんか」
それだけやない。閉山になればゴーストタウンになるもんやけど、大森の場合は元禄時代から採算割れやったみたいやねん。それでも代官所置いて粘っとって、町の機能は維持しとったぐらいや。
想像の部分は多いんやけど、鉱山が衰退する代わりに、鉱山以外の事業にも手を出しとったから、人口を減らしながらも町が生き残ったぐらいやろな。それだけやなく決定的な天災とか、大火のような人災にも遭わんかったのあると思う。そういう偶然が積み重なったぐらいしか言いようがあらへん。
「最盛期はどれぐらいやったん」
「百か所以上の寺があって、二十万人住んどったとも言われとる」
二十万人は大げさかもしれんが、山の中の大都市やってんやろ。とにかく銀が湧くように取れたさかい、家もあれだけ立派やったんも残った理由かもしれん。
「もうちょっとゆっくり見たかったんじゃないの」
「そんなんしよったら、泊りになってまうわ」
言いながら結構見させてもうたけど、早めにお昼にしとこか。
「コトリ、蕎麦はやめとこ」
「そやな、昨日の昼も夜も蕎麦やったし」
こういう時は適当。造りは純和風やねんけど中は、
「まさか石見銀山でハヤシライスとはね」
「こういうミスマッチも楽しいやん」
「そうね、竹の子とアンチョビのピザもお願いね」
「ドリンクも付けといて」
和食続きやったから洋食挟んでもなかなか乙な感じや。