黄昏交差点(第1話)プロローグ
ボクの人生は他人から見れば順調だった事になるのかな。とりあえず実家は開業医、だから世間的には裕福なボンボンで良いだろう。ただね、開業医の息子ってのは余計なプレッシャーがあるのは誰も気にしてくれないよな。
故郷は神戸から一時間ぐらいの中途半端な田舎町。都会でもそれなりにあるだろうけど、田舎で開業医の息子となると、
『必ず医者になるはず』
こう頭から思いこまれて暮らすことになる。オマケで言えば、
『医者の息子なのに』
これも始終ついて回るぐらい。結果としてボクも医者になったから、周囲の期待に応えた格好になってるけど、それで終わりじゃないのが世間の辛いところで、
『医者のボンボンばかりが医者になるのは問題』
もっともあまりに言われ続けて、そんなに気にもならないけどね。ただどこかで気にしている部分は確実にあるのは白状しておく。そこまで言われるなら、東大とか、京大にでも合格して見返しでもしたら少しは格好が良さそうなものだけど、なんとか三流私立だったのは密かな負い目かな。
三流私立はたしかにボンボンとお嬢さんの集合体だった。あの学費を普通のサラリーマンが払えるとは思えないものな。なんだかんだと医者の息子の負い目は棺桶までお付き合いしないといけないようだ。
ただ医者になると学閥はあったけど、かなりの実力主義の面はあるところだった。原因はトンデモなく忙しいこと。そういうところでは猫の手でも借りたいから、少しでも動けるのが評価されるというか、動けない医者は東大出であろうとスポイルされるところだってこと。
今はちょっとはマシになってると信じたいけど、ボクの勤務医時代は世にいうブラック企業並みと考えてもらえれば良い気がする。病院だから当直というのがあるのだけど、これが実質的に夜勤で、朝まで急患対応に追われて眠れないことはザラ。
それでもって当直の翌日はごく普通に勤務がある。合計すると三十二時間連続勤務になるのだけど、これが定刻に終われるのはロシアン・ルーレットに当たるぐらいの幸運が必要なんだよ。
まあ四時間ぐらいはセットで残業はついてくるから三十六時間連続勤務かな。それでやっと家に帰れても、受け持ち患者の容態次第で容赦なく呼び出される。だいぶ後に労基法では週の労働時間の上限が四十時間と知った時に笑ったぐらい。それぐらいは二日で突破するのも珍しくないのが勤務医の生活だった。
研修医の頃はポケベルだったけど、呼び出し音は生活のすべてを支配した感じ。なにをしていてもポケベルが鳴ればすべてが終わるって言えば良いのかな。外食していようが、風呂に入っていようが、デートしていようがポケベルが鳴った瞬間に仕事になるってこと。当時の健康ドリンクのCMに、
『二十四時間戦えますか』
こうあったけど、勤務医ってマジでそうだった。こんなムチャクチャな仕事になりたがるってマゾかと思ったのは本音ぐらいだよ。よく医者が看護婦に手を出すって設定が医療ドラマとかによくあるけど、あれは看護師ぐらいしか手が出しようがないのも実情としてあると思ってるぐらいだもの。
そりゃ、あれだけなんやかんやと病院に縛り付けられたら、他に出会いを求めようがなくなるんだよな。それと医療職以外では情け容赦なく鳴るポケベルを理解してもらうのは容易じゃないと思う。たとえば恋人同士ならありふれた、
『その日は空けといてね。絶対よ』
これさえ守りようがないってこと。幸運が重なってその日にデートに出かけられてもポケベルは容赦してくれないんだもの。下手すりゃ、ベッドまで行ってても、引っこ抜いて中断して、病院に泣く泣く急行したことぐらいはボクにもある。
そんな事をしたら普通の恋人なら怒ると思う。それだけでサヨナラされても不思議とは思わないけど、看護師なら自分が呼び出す側だから理解があるって感じかな。だから実際に医者と看護婦が付き合うのはいくらでも見てるし、結婚したのも少なからず知ってるぐらい。
高校入試ぐらいから『ロープ際の魔術師』と呼ばれながら奇跡のように試験をクリアしてきたけど、医学部は六年だから医者になるのは二十五歳。医者ってそこから一人前までがとにかく長くて、研修医二年が済んでもヒヨッコで、五年したら一通りは出来るようになるものの、まだまだ若造って感覚かな。
だいたい十年が一人前の目安になるけど、これも理由がはっきりしている。医者は病気を診断し治療するのが商売だけど、診断し治療するには机上で医学書を読んでも無理なところが多いんだよな。
実際に患者を受け持って診療に当たらないと診断も治療も出来ないと思ってもらっても良い。病気も毎月のようにあるもの、一年に一人程度あるもの、五年に一人程度あるものとあるけど、十年に一人程度を経験してようやく一人前と思ってもらえるのが医者の世界ってこと。
さてだけど医学部卒業の年に親父はガンになったんだ。なんとか手術は成功したのだが、四年後に再発。ボクが見ても手術は無理なのはわかったし、当時の化学療法では死期を早めるだけなのもわかってしまったのは、なんとも言えない心境だった。そんな親父の願いが孫は無理でも嫁さんの顔を見たいだった。
『いれば連れてこい』
いなかった。学生時代には付き合っていた彼女もいたけど、勤務医になってから忙しすぎて疎遠になりサヨナラしちゃったし、新しいのを作る余裕さえなかったってこと。
『では見合いをしろ』
今どき見合いなんてとしか思わなかったけど、こんな状況で断り切れずにさせられた。まったく、そんな日に限ってポケベルが鳴らないのを恨んだぐらい。もっともこの日は部長に見合いがバレてしまい、絶対に呼び出さないと大見栄切られてたからな。さて、仲人さんに引き合わされて、
『あとは若いもの同士で・・・・・・』
二人きりにされて困った、困った。初対面で共通の話題なんてあるはずもなく、なるほどドラマで『趣味は?』とか聞く理由が初めてわかったぐらい。しかたがないからドライブに連れ出した。
チラチラと値踏みしてたのだけど、顔は十人並に足りないぐらいだがスタイルは悪くない。受け答えは思いのほかにしっかりしていて、頭の良さを感じてた。ここでちょっとした事件が起こるのだけど、相手も緊張してたんだろうけど、途中から尿意を我慢していたらしい。
神戸に向かって走っていたんだけど、間が悪いことに、その辺に適当なトイレがないのも良く知ってたんだよな。とくに女性のトイレは注意しておくのはエチケットとして良く知ってたから必死で頭を巡らせた。ボクも焦った部分があって、思いついたのが自分の下宿。道を少し変えれば最短と言えば最短になる。
下宿と言っても親父が気まぐれで買っていたマンションだった。そこに住む理由は長くなるから端折るけど、三か月ほど前に官舎から引っ越ししたばかり。可能な限りとばして、部屋のトイレに案内した。
お見合いからの初ドライブでいきなりトイレ騒動があったもんだから、かえって二人はリラックスしたのかもしれない。どうも相手もお見合いに強制連行されたようだし、ボクも実はそうだと言ったら笑ってた。
当初の予定は神戸でランチでも食べて帰ってもらう腹積もりだったけど、予定変更で本格デートに切り替えてみた。海遊館まで足を延ばし、夜は寿司屋でご馳走ってコース。顔が十人並みに足りないのが気に入らなかったけど、話してみると楽しかった。本音ではお断りしようと思ってたんだけど、一回で断ったら悪い気がして、
『こういうものは、せめて二、三回会ってから断るのが礼儀じゃないか』
疲れてたのかもしれないけど、久しぶりに病院関係者以外と話をする機会を終わらせてしまうのが惜しい気がしたぐらいかな。
これはボクの悪い癖で、デートとなるとマジに計画を立ててしまうところがある。まあ、学生時代の彼女とドライブしまくって、ほぼ近畿の日帰り名所を制覇していて、どこに行けば喜んでもらえそうぐらいも知ってるのもあったんだ。
誘うと相手も乗ってきた。当時はまだ正職員でなく研修医だったけど、おカネを使うところがあんまりなくて、軍資金はあったからリッチなデートを演出したつもりだし、相手も素直に楽しんでくれていたみたい。
でも結婚まではとボクも思ってたから、四回目ぐらいの後にお断りを伝えたんだよな。ボクとしてはお見合いに来てくれてご苦労さん料ぐらいのつもりだったし、相手もきっとそのはずだと思い込んでた。そしたら手紙が来た、
『考え直して頂けませんか』
あの時は驚いた。嫌々で来てたはずなのに、実は真剣になってたとは。悩んだ末にもう一度会ってみた。相手は本当に真剣だった。どうも本格的なデートをやりすぎて、向こうはボクが本気になってる信じ込んでたみたいなんだ。
それは勘違いだから良いとしても、相手がボクを好きになってしまったんだよな。それも本気でだよ。そうじゃなければ、ボクが断った時点で終わる話だもの。悪いことをしたものだと反省したけど、これを断ると泣かれそうだったし、よく言うじゃないですか、
『遠くのバラより近くのタンポポ』
こんなので結婚相手を決めて良いかどうかは疑問を感じたけど、さすがに見合いだから、いわゆる釣り合いは悪くない。デートしても楽しかったのはウソじゃないし、見合いなんて後になるほど質が下がるって言うし。
見合いだから、ここで交際継続をOKしたら、後は外堀も内堀も埋められて婚約から結納、そして結婚式になりゴール・イン。親父は結婚式には間に合わなかったけど嫁の顔が見れただけで喜んでくれた。せめてもの親孝行ができた気がしたぐらいかな。
誤解はして欲しくないけど、あれこれ内心の葛藤はあったけど愛してた。愛してたからこそ結婚した。そこについての後悔はなかったよ。