シノブの恋(第4話)予習
なにから調べよっか。基本はウィキペディアかな。まずは、これぐらいは基礎知識として知っていないと話にすらならないものね。そしたらコトリ先輩が、
「シノブちゃん、また歴女の会でも作るつもり」
「作りたいですが、さすがにこの肩書じゃ」
「そやねんよね。へへぇ。富士川の合戦か。オモロイもの調べてるわ」
さすがはコトリ先輩、富士川の合戦もムックしたことがあるそうです。
「あん時は、頼朝どころか、義朝の足跡、さらにはその前の義家の後継者問題のゴタゴタまで遡って調べてたけど・・・」
山本先生を巡るラブバトルはシオリさんが勝ちましたが、そのシオリさんさえ、
『カズ君の歴史のお相手が出来なかったのは心残り。あれだけはコトリちゃんに絶対に勝てない』
コトリ先輩と山本先生の歴史ムックは、今でさえコトリ先輩の良い思い出のようです。
「コトリ先輩、富士川の合戦って、なにか謎があるのですか」
「あると言えばあるけど、ちょっと基礎知識がいるな」
「どれぐらいですか」
ここでコトリ先輩はニヤッと笑って、
「誰と歴史ムックやるの」
「えっ、その、あの・・・」
勘付いてる。
「まあ誰が相手でもエエけど、かなりのオタクが相手か」
「たぶん、それなり」
「それやったら楽しめるで。二人でやるなら、二人で知恵を絞って答えにたどり着くのが醍醐味やねん。もちろん、答えいうても正解とは違うで。二人の出した答えや」
コトリ先輩も伊集院さんと同じようなことを、
「基礎資料も自分で探し出すのも楽しみやけど、シノブちゃんがいきなりは難しいやろから、とりあえず平家物語と吾妻鏡、玉葉がエエと思う」
「あえて絞れば」
「そりゃ、吾妻鏡と玉葉。平家物語はチト落ちる」
どっちも漢文だって。手強そう。
「吾妻鏡は読み下し文がネットにあるから調べやすいよ。でも玉葉は原本しかないから頑張ってね」
コトリ先輩の言う通り吾妻鏡は読み下し文や現代語訳も見つかったけど、玉葉の漢文は手強い。該当場所を見つけ出すだけで四苦八苦だもの。
「そや平家物語も延慶本にしときや。あれがオリジナルに一番近い」
そう言われて延慶本も目を通してみたら、
『源氏のぐんびやう、弓のつるうちし、よろひづきし、どどめきののしりけるこゑに驚て、ふじのぬまにむれゐるみづとりども、はねうちかわし、たちゐする声をびたたしかりけり。これをききて、かたき既によせて、時をつくるかとおもひて、からめでまはらぬさきにと、とるものもとりあえず、平家のぐんびやう、われさきにとまどひおちにけり。』
有名な水鳥のシーンだけど、今度は旧かな遣いのひらがなの洪水で頭痛が・・・頑張って漢字を入れてみると、
『源氏の軍兵、弓の弦打ちし、鎧づきし、轟めき罵しりける声に驚て、富士の沼に群れゐる水鳥ども、羽根打ち交わし、立居する声夥しかりけり。これを聞きて、敵既に寄せて、鬨を作るかと思ひて、搦手回らぬ先にと、取るものもとりあえず、平家の軍兵、我先にとまどひ落ちにけり。』
たぶんこんな感じのはず。これだって十分読みにくいんだけど、原文のひらがなの大軍団はシノブも逃げたくなる。
「コトリ先輩。よくこんなのが読めましたね」
「読みにくいやろ。ほいでも、何遍も読んでると読めるようになるよ」
「玉葉の漢文は?」
「あれも意味ぐらいなら取れるようになる」
そう言えば、コトリ先輩が一の谷のムックをやった時は延慶本と玉葉がメインで、どちらかと言えば延慶本が主体だったって聞いたことがあるものね。
「他にポイントはありますか」
「これはカズ君が得意やったけど当時の地形の考察や」
「当時って・・・」
そっか、そっか、川の流れだって変わるし、海岸線も変わるんだよね。
「大輪田の泊やった時に、湊川が二回も流れ変えてるの知ってビックリしたもの」
そうだったんだ。でも富士川の合戦なら海岸線は関係が薄いだろうけど、
「富士川って変わってないですよね」
「自分で調べるからおもろいんよ」
教えてもらってばかりじゃ、つまらないのも確か。伊集院さんに会うまでに、吾妻鏡と玉葉の該当場所ぐらいは読んどかなきゃ。頭の軽いミーハー歴女と思われても癪だし。
ただだけど嫌なジンクスを一つ思い出しちゃった。あのバーで、ホワイト・レディを飲んでる時に歴史オタクの医者と出会ったのはイイけど。コトリ先輩と山本先生の恋は結局実らなかったんだよ。
一番先行してたのはシオリさん。同棲して新婚気分ルンルンまで行ってたのに、些細な事で別れてる。次に登場したのがコトリ先輩でプロポーズを受けて婚約指輪まで受け取ってるんだよね。見せてもらったこともあるけど、凄い指輪だった。
でもコトリ先輩でさえ、これまた些細な事で別れてしまい、再び登場したのがシオリさん。そいでもって二人の一騎打ちになるかと思ったら、山本先生が交通事故で瀕死の重傷負い、担ぎ込まれた病院で出会ったのがユッキー社長。
ユッキー社長に至っては、高校の時から一途に思い続けた相手で、なんとトンビに油揚げ状態でさらって行ったんだ。でも、ユッキー社長は三ヶ月ほどで亡くなり、その後はシオリさんとコトリ先輩のガチのラブバトル。
今のシノブはかつてのコトリ先輩のポジションにいることになる。でも、今回は女神の参戦はないよね。シオリさんも、ミサキちゃんも結婚してるし、ユッキー社長は喜寿越えちゃってるんだよ。あるとしたらコトリ先輩だけど、あの歳で噛んで来るかな。
もちろん女神以外も要注意。女神の方がなにかと有利な点は多いけど、必ずしも人に勝てるとは限らないよね。そう、とくにエレギオンHD専務の肩書は、この場合は不利な材料。どうしたって退かれちゃうのよね。学生時代がそうだった。
とにかく二十代の最後のチャンス。エレギオンHDの中で見つけるのは、ほぼ無理だから、シノブはこの恋に賭けるんだ。誰が売れ残りの会なんかに入るものか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?