恵梨香の幸せ(第3話)お袋さん
親戚付き合いは叔母さんだけなのだけど、これは康太が親父さんが亡くなる頃からそうだったみたい。
「お袋がな・・・」
お袋さんは神戸から嫁に来た人なんだけど、まず嫁姑戦争を起こしたで良さそう。戦線はすぐに拡大して嫁小姑戦争、つまりは叔母さんともやらかしたらしい。これはかなり壮絶だったそう。
嫁姑戦争というか嫁イビリは恵梨香も経験したし。ああいうものは姑に原因があることが多いと思うし、康太もお袋さんからクソ姑、クソ舅、クソ小姑を吹き込まれて、そう思ってたらしい。
でも真相はかなり違ったんじゃないかと今は考えてるみたい。まずだけど嫁姑戦争が起こる原因の一つに姑が大姑からイジメを受けたのはあるはず。つまり自分がイジメられたから、今度は嫁をイジメるみたいな順送りみたいなもの。
ところが大姑さんは姑が嫁ぐ二十年ぐらい前に亡くなってるんだって。さらに大舅との同居経験もなし。つまりは姑さんに嫁イビリの経験はないのよね。今と違ってお袋さんの頃の嫁姑戦争は台所の支配権争いみたいなもののはず。そう、誰が一家の主婦であるかみたいな感じかな。
お袋さんが嫁いだ頃は姑もまだ若いわけで、そうはホイホイと主導権を渡さないと思うのよね。お袋さんだって、いきなり一家の主婦が出来るかと言えば心もとなく思われても仕方がないと思うのよ。
そういう状態でお袋さんは、当時としてはあり得ない感覚で姑に喧嘩を売ったんじゃないかと康太は考えてるのよね。この考えが強くなったのは康太の結婚式の時だそう。結婚式って出席者のバランスが必要になるのだけど、康太の父方の親戚は叔母さんしかいないようなものだから、母方の叔母さんの家もアテにして集めたそうなんだ。
「ドタキャン喰らったよ」
叔母さんは四姉妹だけど、次女の家からだってさ。お袋さんと次女の叔母さんが大喧嘩して欠席、それもドタキャンはビックリしたそう。さらにお袋さんは残りの二人の妹とも不和になり、
「ボクも家を出てたから詳しくないけど、派手な姉妹戦争をやってたらしい」
これも昔から仲が悪かったわけじゃなく、康太も欠席した叔母さんや従姉妹を良く知っていて、一緒に旅行に行ったこともあるそうなんだ。だから康太も結婚式に呼んだし、まさかドタキャンされると思わなかったぐらい。
これも今から思えばらしいけど、康太と叔母さんたちの仲は悪くないんのだよね。別に喧嘩する原因もないし。だから一度は招待を受けたけど、そこにお袋さんが口を挟んでドタキャンになったんじゃないかって。
関係者の多くが亡くなっているか、口も利かない仲になってるから確かめようがないとしてたけど、どうもお袋さんは嫁いでから親戚一同に喧嘩を売りまくっていたんじゃないかとしてた。自分の妹にさえそうだものね。
姉妹だって不仲になることあるけど、四人もいるのに全員と喧嘩してるのはやりすぎぐらいの見方かな。そうなるとお袋さんが嫁イビリの象徴みたいなエピソードとして話していた事件も見方が変わって来るって。
お袋さんが結婚した頃の親父さんは大学院生で、給料どころか学費を納めている状態だったんだって。そこで嫁イビリとして姑さんは生活費を渡さなかったから、康太のパンツ代にも困って実家からの仕送りで凌いだらしい。
だけどだよ、康太のパンツ代にも困るのなら他の生活費はどうなんだになるのよね。だってさ、嫁姑戦争になっても、姑は嫁こそ憎いけど息子や孫は可愛がるものじゃない。ましてや康太は男で跡取りだし。
「医者になってから知ったようなものだけど・・・」
親父さんは大学院生で学費を払う立場だけど、医者としては無給じゃないと康太は言ってた。この辺も恵梨香にはわかりづらいところだけど、
「院生の扱いは昔もボクの知っている頃も、そんなに変わっていないはずだよ」
これもワケワカメの世界になるけど大学院生と言っても勉強とか研究ばかりしてるわけじゃなく、医者として大学病院で無給で働かされるそう。
「う~ん、ボクは院生をやらなかったから知らないけど、医者として働く傍らで研究するぐらいかな」
だったら無給だと思ったけどアルバイトをするんだって。このアルバイトがビックリするようなもので、時給が世間の常識を超え過ぎてて、まさしく桁が違うもの。康太でさえ時給一万円ならやりたくないってさ。どんだけと思ったもの。
「時給やバイト相場は昔より値下がりしてるけど・・・・」
他の病院の当直バイトみたいなのがあって、土日を泊れば十五万円とか病院によっては二十万円とか、それ以上もあるそう。これも医者の世界のわからないところで、他の病院の当直代はバカみたいに高いのに、
「自分の勤務する病院の当直代は安いよ」
康太も聞いただけの話だそうだけど、かつては当直代が出ないとか、一晩五百円なんてのもあったらしいんだ。さすがに今はそこまで酷くないそうだけど、だいたいで言えばバイトの当直代の十分の一ぐらいじゃないかって。
親父さんも院生をやりながらバイトをしてたはずで、リッチまでいかなくても、それなりに収入はあったはずと康太は言ってた。月に二回土日当直バイトすれば三十万から四十万円ぐらい収入があるはずだもの。そうなると康太のパンツ代のエピソードは、
「親父の収入は婆ちゃんに回ってお袋に行く経路だったと考えてる」
姑が絶ったのはお袋さんの小遣いだろうって。これも売り言葉に買い言葉の末のもので、なおかつ親父さんには言わなかったものに違いないって。だって親父さんが知っていたら仲裁に入るなり、バイト代の一部をお袋さんに回せば済む話だものね。だらら実家から小遣い支援を受けてまでお袋さんは徹底抗戦したエピソードだろうって。
「あの話もな」
これは親父さんの晩年に聞いた話だそうだけど、もうちょっとお袋さんが姑と上手に折り合いを付けて欲しかったとボヤイてたそう。お袋さんはマザコンと切って捨てたらしい。そういうケースでマザコンはままあるけど、ちょっと違う感触もありそう。
康太が言うには姑は良姑ではなかったかもしれないけどクソ姑ではなかったんじゃないかって。当時の感覚なら普通の姑で、嫁が適当にハイハイと立ててあげれば丸く収まってた可能性があるぐらいかな。
親父さんの話も聞いたけど、とにかく医者だから田舎の名士だったとして良いと思う。かなりの社交家で人望も厚かったみたいで、葬式は自宅でやったけど参列者は五百人を超えたって言うから結構なもの。
親戚付き合いも親父さんが元気な頃は盛んだったみたいで、康太が母方の叔母さんたちや従兄妹を良く知っているのもそのせい。今でも康太が故郷で自己紹介する時に親父さんの名前を出せば一発で通るぐらいっていうものね。
どうもだけど親父さんと付き合うのは親戚にしても、近所の人にしても楽しかったで良さそう。だけどこれは康太もお袋さんが死んでから聞いたそうだけど、お袋さんの近所での評判も良くなかったらしい。
田舎的には名士である親父さんの顔を立てるのが優先されて、お袋さんの悪評はあえて耳に入れなかったんだと思う。じゃあ夫婦仲はって聞いたら、
「離婚しないのが不思議だった」
中学から高校時代には頻繁に夫婦喧嘩が勃発したんだって。これも罵声が出たり物が飛び交うような陽性なものじゃなくて、ひたすら陰々滅々とした口論が何時間も続いたそう。これもコースがあって、始まりは最近の出来事から始まるけど、最後は決まって新婚時代の嫁イビリの恨み節に雪崩れ込んでたそう。
夫婦喧嘩が始まると家の空気は悪くなるし、康太は一人っ子だから逃げ場がないのよね。だいたい夕食時から始めることが多かったそうで、とにかく早くメシを終わって自分の部屋に逃げ込んでたらしい。
「家から早く出たかったよ」
「もし離婚になったら、どちらについて行く気だったの?」
「新しいお母さんが来ると思ってた」
こりゃ、醒めてるよ。お袋さんは最後は親父さんにまで喧嘩を売ってたぐらいに見えそう。親父さんも離婚を考えていたかもしれないけど、時代だし田舎だから世間体を考えて踏み切れなかったのかもしれないね。
「恵梨香なら親父と上手く行ってたよ」
それはわからないけど、康太が見合いで元嫁を選んだ理由もそうだっかもしれない。見合いだったら親も認めてる相手だから嫁姑戦争を防げるぐらいかな。もっとも、あっという間に勃発したみたいで意味なかったって言ってた。
「まあお袋がいなくて良かったよ」
それは恵梨香もそう思う。いくら康太を愛していても、康太の母親はしょせんは他人だから、そんな人に折り合いを付けれる自信はないものね。
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