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黄昏交差点(第8話)龍田川

 龍田川は北野坂を西に一本入ったところにある和食屋さん。グルメの恵梨香のお気に入りの店の中でも、一番ってぐらいで良いと思う。カウンターが十席ぐらいで、行ったことはないけど、奥に個室もあるらしい。

 店内の特徴はとにかくカウンターの後ろが狭くて、通るのも一苦労みたいなところがある。店自体は一度移転していて、前の店もカウンターの後ろが狭くて往生したけど、移転後もそうだから女将の趣味かもしれない。

 基本は大将と女将が取り仕切ってるんだけど、料理を作るのは女将さんで、大将は配膳とか下ごしらえをしてる感じかな。かなりの姉さん女房らしいけど、大将が惚れまくって口説き落としたとか。

 料理は素材重視なんだけど、神戸でよくある明石の昼網レベルを超えてるとして良いと思う。明石の昼網も十分すぎるほど新鮮で美味しいけど、それさえ凌いでいるのが人気の原因だと思ってる。

 どうしてこれほどの素材が集められるか聞いたことがあるのだけど、秘密はご夫婦の趣味にあるで良さそう。趣味は旅行だそうだけど、ただの観光旅行じゃなくて、各地に名産品を訪ねて回っているらしい。

 そこで生産者とか、現地の問屋さんとか、漁師さんと仲良くなって、それこその産地直送で送ってもらってるとかの話だった。女将さんは、

「料理は素人ですから、素材でカバーさせて頂いてます」

 そんなことはなくて、味付けも一流。あれだけの素材だから、あれこれ手を加える必要がないだけのことで、椀物なんか、相当な工夫がされてるのはボクでもわかるぐらい。素材重視はメニューにも表れていて、毎日手書きで書き換えているらしい。

 家庭料理と銘打ってあるからリーズナブルな店と思うと痛い目に遭うかもしれないな。恵梨香はどこかからこの店の情報を聞いたようだけど、あの恵梨香でさえ、

「龍田川に行くのが夢なんだ」

 そこまで言うならと連れて行ったんだよな。メニューは手書きだけど値段は書いてなくて、なおかつセットとかコースもなし。さすがにあの頃の恵梨香は遠慮もあったから、二人でオーダーを決めるのが面倒になり、

「お任せで出来ますか」

 出来るっていうから、そうしたけど恵梨香の不安そうな顔を覚えているぐらい。その時のお勘定はちょっと高いぐらいだったけど、何度も通ううちに覚えてもらったようで、あははは、今までの最高支払い記録保持店になってるよ。とにかく恵梨香は飲むからな。

 遠慮のない恵梨香でも龍田川だけは自分で行きたいとは普段は口にしないぐらいで、行くときはボクがいつも決めてたぐらい。食べに行くときはボクが予約の手配をすることが多いけど、

「龍田川と聞いただけでテンション上がる」

 むこうも常連さんと覚えてくれてるようで、今では名前を名乗るだけで電話番号も聞かれないぐらい。席もカウンターの中央付近のほぼ同じにしてくれてる。まあ、そういうお店。今日も、

「いつもの通り、お任せでよろしいですか」

 これでスタート。恵梨香は日本酒が好きだけど、最初は必ずビールで、

「カンパ~イ」

 ここで食べるときの恵梨香は本当に美味しそうな顔をするし、その顔が本当に幸せそうで見てるだけで、こっちも美味しくなるぐらい。恵梨香と食べに行くようになってわかったことだけど、料理は食べる相手によって味が変わること。

 まあ、気づまりな相手と食べれば誰でも美味しく感じないと思うし、たとえば愛しい恋人との食事ならそれだけで美味しく感じるはずだよ。あの元嫁だって婚約中や新婚時代は一緒に食事を取るのが楽しかったもの。

 恵梨香の場合はさらなるプラス・アルファが確実にあって、恵梨香が本当に美味しいものに巡り合った時の表情は味を二段か三段ぐらいアップさせる。龍田川の時はそれが全開って感じになるかな。

 恵梨香の店の基準は辛いんだよね。料理の質はもちろんだけど、店の雰囲気、接客に気に入らないところがると二度と行かない感じ。もちろんコスパはちゃんと計算してるのだけど、高級店と呼ばれるところの基準は猛烈に辛い。

「当たり前でしょ、それだけ払っているのだから。料金には客をどれだけ満足させるかが含まれてるの。客に不満を抱かせる店なんて、こっちから願い下げだわ」

 これだけ聞けば、クレーマーみたいに思うかもしれないけど、店内での恵梨香はどんなに不満があっても静かに食べてるんだよね。恵梨香の批評が出るのは店を出てから。ある意味、一番恐ろしい客かもしれない。

 逆に恵梨香に気に入られたら行きつけの常連になるし、払いは良いというかボクが払ってるけど、細かい注文を出さずにパクパク食べて、ドカドカ飲んでくれるから上客になってくれる。恵梨香は話好きだし、愛想も良いから店の方もすぐ覚えてくれて、

「これはメニューにありませんが・・・・・・」

 なんてものがしばしば出てくるぐらい。龍田川でも以前に、

「これはお土産にそうぞ」

 こんな感じで酒の肴みたいなものをもらうこともあるぐらい。それと歳恰好から、どこでも夫婦扱いになってる。そうなるよな。この歳だから恋人同士に見るのは無理あるし、夫婦以外ならそれこそ不倫とか愛人関係だもの。

 ボクも恵梨香も好き嫌いの少ない方だけど、恵梨香が嫌いでどうしても食べられないのがなぜか漬物。これが入っていると、そっとボクに押し付ける感じ。それと嗜好も微妙にずれてて、恵梨香はカニ大好きで、イカも好き。ところがボクはカニもイカもどちらかというと積極的に食べたくない方。珍しくカニを食べに行ったら、

「どうしたの。気でも狂ったかと思った」

 恵梨香は遠慮ないと言いながら、ボクの嗜好に基本的に合わせてくれている。だからボクが嫌と一言でも漏らしたら、それはすべて回避しているのが良くわかるぐらい。そういう気づかいは自然に出来る人だとよくわかった。

 恵梨香は由佳や智子ほどではないけど、どちらかというと背の低い方。結構なグラマーだからもう少し背があると思い込んでた時期もあったけど、よくよく見ると低かったぐらい。

 それとグラマーはグラマーだと思うけど、少々肉が付きすぎかけてる部分もはっきり言うとある。ボクは別にそれでも恵梨香の魅力は変わらないと思ってるけど、恵梨香はかなり気にしていて、ジムに通いだしてるって言ってたな。

 顔は・・・ボクは嫌いじゃないよ。あの笑顔はお気に入りだけど、世間的な評価からすると低いだろうな。でもさ、でもさ、この歳になると美醜よりハートが重視かな。たぶんだけど恵梨香もコンプレックスはあったと思うんだ。

 独身なのも、それが理由の一つだと思ってるけど、恵梨香は自分の内面を磨き続けていたんだと思ってる。マナー、心遣い、気配り、思いやりをずっとね。恵梨香も職場ではお局様の地位だろうけど、ボクが聞く限り後輩にも慕われてるで良さそう。だってだよ、何度か後輩も連れてくる提案をしてるんだよね。

『いい子だよ、可愛いし、素直だし』

 写真まで見せて勧める姿は、それこそ気分は仲人にしか見えなかった。全部断ったけどね。さすがに若い子と話を合わせるのは大変だし、ボクが会いたいのは恵梨香だし、恵梨香とご飯を食べる時間が楽しみだもの。

「いくらお世辞を言ってもなにも出ないよ。恵梨香は食い気に生きる女だから」
「はいはい、いくらでも召し上がって下さい」
「じゃあ、遠慮なく。〆にイクラ茶漬けくださ~い」

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