恵梨香の幸せ(第10話)派遣の女
恵梨香のやってる業務は窓口業務。ATMになってから預金や引き出し、振り込み業務は減ったけど、金融自由化になってるから保険や投資信託、公共債などの提案や販売もやってるぐらいのイメージで良いと思う。
恵梨香はこれでも主任だから、事務チーフとして窓口や営業担当者が受け付けた案件の進捗状況の確認や事務処理が適切にされてるかを見たり、後輩職員の指導・育成も担当になってる。
銀行って九時から始まるイメージが強いけど、当たり前だけどその前から窓口準備が始まる。外勤ならメイルとかチェックして、訪問会社の始業時刻に合わせて出動する。それと三時で終わるからラクそうに見えるかもしれないけど、その後にその日の精算があるのよね。例の一円まで合わせるってやつ。
早く終わってくれる日もあるけど、トラブルが重なると康太より帰る時間が遅くなることがあるのよね。この辺は仕方がないと思ってる。
恵梨香の結婚は上司に報告したけど、夫が医者であることは伏せてもらってた。上司は不思議そうな顔をしたけど何か事情があるぐらいで納得してくれた。ただ結婚自体は伏せるのは無理だという事で自営業ぐらいにしてもらってる。同僚や後輩になんの自営業かも聞かれたけど、
『察して』
このサインで納得させた。恵梨香の歳で結婚したのは話題にはなったけど、恵梨香を妻にするような夫だから、ま、大したことのない相手ぐらいでそのうち終わった感じかな。
銀行と信用金庫ってどう違うかって康太にも聞かれたけど、まず理念が違うんだ。銀行は会社として営利企業だけど、信用金庫は地域の繁栄のための共同組織で利益第一主義ではないとなってる。
理念は外からわかりにくいけど、とりあえず営業範囲が違うのよね。銀行は誰でも利用できるけど、信用金庫は営業地域が指定されてて、企業融資も中小企業が対象なんだよ。ここも重なる部分があるにせよ、銀行が大企業中心に融資しているのに対し、信用金庫は銀行が相手にしないような個人事業主や中小企業相手の地域密着型で融資しているぐらい。
だから金融機関と言っても銀行よりずっと小さいし、恵梨香が勤めてるのは支店の上に恵梨香の信用金庫の中でも一番小さいところで、窓口担当が全部で四人なんだよ。
そこに産休育休に入るのが出て一人お休み。後の二人は一年目と、少々どころじゃないぐらい回らない二年目。さすがの恵梨香もアップアップになっちゃったんだ。だから派遣社員が入って来た。
この派遣の女だけど仕事はまあまあだけど、理由はわからないけど恵梨香に張り合おうとするんだよ。それも仕事じゃなく、仕事以外のこと。歳も近いからマウントを取りたいぐらいかもしれないけど、恵梨香は正社員で主任で、相手は派遣だから意味がわかんない。
まず絡まれたのが服とか、アクセサリー。と言っても仕事中は制服だし、そんな派手なアクセサリーをつけれるものじゃない。通勤の時の服だって、飲みに行くとかなら気を遣うけど、そうじゃなければそれなりだものね。なのに、
「浜崎主任は質素ですね」
「生活が苦しいのですか」
こんなのを言うんだよね。恵梨香だって女だから綺麗な服やアクセサリーに憧れるよ。それと今ならかなりそろえるのも出来る。康太は恵梨香が必要なものなら、なんでも買って良いと言ってくれてるもの。
そもそもだけど独身時代とは小遣いの額が違う。給料の半分ぐらいは自由に使える小遣いになってるもの。それ以外だって余裕綽々ぐらいある。でもね、つまらない見栄にカネ使うのはもったいないじゃない。
康太が恵梨香を信用してるから家計を任されてるの。そう恵梨香なら無駄遣いはするはずもないって。もちろん恵梨香は康太の考え方も知ってるし、どこにカネを使いたいかも知ってるつもり。だから、
「そうなのよ、結婚しても生活に余裕が無くて。でも、貧しいながらも楽しい我が家してます」
服とかアクセサリーを貶されても気にもならないってこと。やりたいなら、どうぞで我関せずぐらい。そこをいくら突いても恵梨香が堪えないのがわかったら今度は。
「浜崎主任は短大卒なんですね」
派遣の女はそれなりに名の通った四大卒。恵梨香は短大だし、恵梨香の母校は今では吸収されてなくなってるぐらいの学校。でもね学歴は就職する時に有利だし、初期の出世でも有利に働くかもしれないけど、社会人は実力主義なんだよね。
まあ財務省みたいなところは学閥まであるそうだから、学歴が最後まで出世に関係するかもしれないけど、恵梨香の信用金庫じゃ関係ないものね。まあ、それでもがあって、恵梨香の信用金庫でも幹部に出世できるのはやはり四大卒かな。
そっちの出世を目指すなら学歴は重要かもしれないけど、恵梨香は幹部への出世は興味がないよ。金融機関に限らずだけど、出世レースは上に行くほどシビアで、椅子取り合戦に負ければ肩叩きや、左遷が待ってるのよね。逆に恵梨香ぐらいの地位なら、現場の必要戦力だから定年まで居座れるもの。
「ええ名もない短大卒ですから、主任止まりです。でも主人は短大卒で主任なのに感心してくれています」
短大卒で主任止まりで満足していると言われたら、恵梨香の学歴でからむのは限界があると見て、
「旦那さんは?」
「主人がやってる商売に学歴はあんまり関係ないもので。似た者夫婦です」
康太の学歴自慢をしてもアホらしいからこれでオシマイ。そうなると次は、
「それにしてもご立派なスタイルで」
イヤミって本人が気にしているところをネチネチ言う物だけど、これが効果があるのは言われた方が言って欲しくない時なんだ。恵梨香だってダテにビヤ樽狸やってた訳じゃないから、言われたって、まあそうだろうなぐらいしか感じないもの。
それに今の恵梨香にはスタイルのコンプレックスは無い・・・・・・まで言わないけど、恵梨香は康太に選ばれてるんだ。恵梨香の関心は康太にどう思われてるかだけで、それ以外の人にどう思われようが、どう言われようが関心がない。
康太は心の底から恵梨香を愛してくれてるし、大事にしてくれる。それを言葉にも出すし、態度にも出してくれる。康太は今よりもっと酷いビヤ樽狸の時から恵梨香を愛してくれてるんだよ。派遣の女に言われたぐらいじゃ、蚊に刺された程のショックもないってこと。
「もって生まれたものですからね。それでも主人には気に入ってもらって幸せです」
するとスタイルがらみでさらに絡んで来やがった。
「ひょっとして処女で今の旦那様と」
あのねぇ、恵梨香は間違っても男が群がる女じゃないけど、これでもバツイチ。アレだって不倫でビッチを極めるぐらい鍛え上げられてるの。これだけは少々の女でも負けない自信がある。
それに康太とのアレの相性も抜群。抜群過ぎてこのビッチの恵梨香がまるで小娘のように喜ばされ蕩けさせられてるの。悪いけど、普通に夫婦やってる派遣の女が感じてるのとはレベルが違うよ。
「主人には満足してもらってますし、私も満足させてもらってます。処女じゃなかったのが心残りです」
何を言われても暖簾にノロケ、糠にノロケで流しといた。康太の女の趣味が歪んでると受け取られるかもしれないけど、ビヤ樽狸好きの男ってデブ好きにニア・イコールだよ。それぐらいは知ってるだろうし、康太に関係ない事だし。
それと聞き様によっては、派遣の女のイヤミをすべて肯定しているようなもので、貧乏だし、短大卒だし、ビヤ樽狸だものね。これぐらいイヤミは言いたい人が少なくないから、これで満足して、勝手にマウントした気分になってくれて、仕事をしてくれたら現場主任的にはOKかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?