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ミサトの旅(第5話)伊吹君

 伊吹君は二浪でミサトの一歳上になる。
 
「国際写真フェスティバルの時が最後でしたっけ」
「そうなりますね」
 
 伊吹君は和歌山県立神藤高校出身。どうしてそこまで知っているかといえば、写真甲子園の時の近畿ブロック代表で、決勝大会で準優勝だったから。その神藤のキャプテン。

 大会の成績の詳細は公表されてないけど、最終日に審査委員長だった池本先生から概略だけ教えてもらったのよね。もっとも麻吹先生からの又聞きだけど。

 その話によると摩耶学園はファースト・ステージからトップで最後はブッチギリ、特別賞も実は独占みたいな話だった。あの時はそんなものだと思ったけど、どうも怪しい気がする。

 当時は他校の作品を冷静に評価する余裕がなかったけど、今から思えば神藤との差はそんなになかった気がする。摩耶が優勝したのはそうだけど、ブッチギリになったのは最終結果だけ。

 そうファイナルの摩耶のシンフォニーがあまりにも出来過ぎてた。大会当時から大絶賛だったし、今では不滅とまで呼ばれる作品。あれはすべての作品を圧倒して遥か彼方に押し流してしまう大傑作。たとえあの時点で最下位でも逆転してしまうぐらいの破壊力だった。
 
「あれには参りました。こっちはガタガタでしたから」
 
 三人が八時間かけて撮った写真を、たった二時間で八枚の組み写真にするのは無謀すぎる条件だったものね。どこもセレクト会議は大混乱だったもの。どこも、なんとか出来の良さそうな写真を八枚かき集めるのが精いっぱいで時間切れって感じ。

 伊吹君は『ガタガタ』っていうけど、神藤高の作品も良く出来てた。たぶんだけど摩耶学園がいなければ一番だった気がする。それぐらい審査員からの評価も高かったし、ミサトが見てもそう思ったもの。

 あの大会は摩耶学園と神藤高校の一騎打ちになり、摩耶学園が勝てたのは、ファイナルのエミ先輩の天才的な組み写真技術。それが無ければ、あの大会は神藤高校のものだった。
 
「そう言えば神藤高校の監督さんは麻吹先生の知り合いだったのですか」
「知り合いと言うより・・・」
 
 なんとオフィス加納の元お弟子さん。里村輝先生って言うらしいけど星野先生の元弟子でアシスタント段階をクリアしたって言うから驚いた。話はやがて伊吹君の写真とのなれそめの話に、
 
「祖父も、父も好きでしたから・・・」
 
 手解きだけはしてもらったみたいだけど、それ以後の伊吹君は、カメラ小僧じゃなくて野球小僧だったのよね。小学校は少年野球団で中学でも野球部で、
 
「田舎チームのエースで四番でキャプテンです」
 
 シンプルに目指せ甲子園を考えていたそうだけど、
 
「変化球を投げ過ぎて肘を痛めちゃいまして」
 
 そんなに重傷じゃなかったそうだけど、そこまでしても野球ではその程度なのがわかったから、高校では野球はやらなかったで良さそう。ただ中学まで野球に情熱を傾けてたから、高校に入ってなにをしようか目的を見失ってた感じかな。
 
「教室から野球の練習が見えるのですよ。放課後にボゥと見てたら一年の担任の里村先生が声を掛けてくれたのです」
 
 伊吹君は問われるがままに、野球への夢、甲子園の夢とそれへの挫折を話したんだって。
 
「そしたら写真の甲子園を目指さないかって誘ってくれたのです」
 
 神藤高校もかつては写真甲子園三連覇を果たした強豪だけど、県立校だから顧問の先生が代わったりして当時は低迷どころか消滅の危機さえあったみたい。なにか摩耶学園写真部に似ててちょっと笑ったよ。

 里村先生もオフィス加納を辞めた後に、きっぱりと写真の道をあきらめて教育学部に進学したんだって。写真部の顧問になったのも、前任の顧問が異動したので穴埋めのような形で押し付けられたらしい。でも久しぶりにカメラを持つと、かつてプロを目指した情熱が甦ってきたぐらいかな。
 
「伊吹君、その里村先生って、こんな指導しなかった」
「よくわかりますね」
 
 さすがはオフィスの元弟子。麻吹先生たちのやり方とよく似てる。
 
「そして一番伸びたのが伊吹君じゃない」
「ええ、まあ、でもどうして」
 
 写真甲子園の出場校の監督さんも殆どが西川流だったで良いと思う。里村先生だって西川流の師範資格を持っているらしいけど、部員に教えたのは西川流でなく麻吹流だったことになる。そうなるとあの大会で優勝を争ったのは麻吹流で、それも師弟対決だったとは笑っちゃう。

 麻吹先生は大会中に細かいアドバイスをしなかったけど、常に油断や慢心は戒められていた。あれはロイド先生のチームや、ミュラー先生のチームを念頭に置いてると思ったけど、実はそうじゃなくて神藤高校だった気がしてきた。
 
「里村先生も、
 
『ツバサ先生には及ばなかった』
 
こうされていました」
 
 どうなんだろ。お互いが逆のチームを率いていても結果は同じだったのだろうか。両校の最大の差は組み写真の天才のエミ先輩の存在だけの気もする。それぐらい里村先生が育て上げられた神藤高校は優れたチームだったもの。
 
「でも国際フェスティバルの日は羨ましかったですよ。尾崎さんはロイド先生のところの・・・」
「その話はダメだって・・・」
 
 そこから加茂先輩たちのツッコミの嵐、当然のようにケイコ先輩やヒサヨ先輩も加わって根掘り葉掘り。
 
「だから、遠距離過ぎて終わっちゃったのです」
 
 やっとこさケリつけて、
 
「伊吹君のスタイルはイイよね」
 
 野球をやってたと言っても中学までだし、離れてから五年も経ってるのに、いわゆる細マッチョの感じ。
 
「ああ、これですか。浪人中って退屈なんですよ。ストレス解消と気分転換にジム通ってました」
 
 なるほどなんだけど、それにしてものボディ。
 
「あははは、夢の学生生活で、ちょっとでも楽しい目に遭うように、歯を食いしばって頑張りました」
 
 筋肉モリモリは必ずしも、もてないと聞かされたみたいで、頑張って細マッチョを目指した苦労話は受けてた。そこに平田先輩から、
 
「その熱意を勉強に向けてたら、港都大どころか、京大や東大も狙えたんちゃうか」
「狙うのと合格するのは話が違います」
 
 まあうちの大学に入ってくれたからこそ、うちのサークルに入ってくれたようなもの。それを感謝しないとね。そうそう肝心の写真だけど、これが悪くない。写真の評価の仕方も麻吹先生たちに叩きこまれたけど、写真が硬くないのよね。こういう写真はきっと伸びるはず。そんなことを考えてたら、
 
「ああそれと、伊吹君って呼んでもらって嬉しかったです。これからも、それでお願いします」
 
 しまった、一歳上だった。でも、それでイイならそうしとこう。

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