
シノブの恋(第32話)決勝
「コトリ、どう見る」
「エエ勝負やで。シノブちゃんも神崎愛梨もまだ余裕残しとるから、三十秒台の勝負は確実やな」
コトリも神崎愛梨とメイウインドには驚いてる。ユッキーと無理してテンペート買っといて良かったわ。あん時はルナを馬の話に引きずり込んで、
『馬術に使うんやったら、やっぱりハノーバが一番やな』
『なにを仰いますか。セルフランセこそ世界一』
こうやってフランス至上主義者のルナを挑発してテンペートを紹介させ、ユッキーと二人がかりで口説き落としたんや。ルナがどんだけ渋ったか。これは内緒やけど、最後にフランス大統領まで動かしたんや。
「シノブちゃんに良く合ってるね」
「そりゃ、リル・ガルやで」
リル・ガルとは大きな風、嵐の意味もあるけど、四座の女神の愛馬の一頭。あの馬はホンマに気性が荒くて、コトリでさえ乗りこなすのに往生したぐらいや。それが四座の女神が乗るとピタッと納まるんよね。ありゃ、相性としか言いようがあらへん。
あの頃のエレギオン騎馬隊は悍馬を珍重しとってん。馬が小さいから気性の荒さで補おうぐらいかな。そやけど悍馬を乗りこなすのは大変やってんよ。振り落とされて大怪我した奴は仰山おったわ。そんな中で四座の女神の乗りこなし術は卓越しとった。リル・ガルでさえ四座の女神にかかると猫みたいに大人しくなったぐらいやねん。
テンペートはリル・ガルに較べたら遥かに大人しいけど、馬術用にしたらチト荒い方や。その点を突きまくってルナにウンと言わせたようなもんやけど。もっともあれぐらいの荒さなんてシノブちゃんには感じもせんやろけどな。
「でもシノブちゃんは全開の感じになってないね」
「そこら辺が勝負の鍵になるやろけど、このコースじゃ難しいやろ」
エレギオン馬術の訓練は馬場での障害飛越より、今ならクロスカントリー。それもホンマのクロスカントリーで、道なき道を突破する感じや。それが実戦で求められる馬術やからな。
四座の女神の馬術の真骨頂は豪快さ。荒馬を自由自在に操り、どんな悪路でも平地を行くように駆け抜ける姿はエレギオン馬術の神髄とまで言われたんや。あれが甦ってくれたら誰にも負けへんはず。
そうやねん。本気の四座の女神のスピードはあんなもんやないんよ。あの上の加速があってこそのものやねん。まだ上品に乗り過ぎてる。とは言うものの、あんな狭いとこじゃ、あれ以上の加速は難しいやろな。
先攻は神崎愛梨か。これが現代馬術のワールド・クラスやと思う。上手いもんや。華麗さと力強さを併せ持っとるわ。ジャンプは高いし、中間疾走もスピードを殺さんようにしとる。メイウインドも噂に上がるぐらいの馬なんもようわかる。
『三五・六六秒』
会場も大歓声や。三十秒台は予想しとったけど、後半やなく半ばで来るとは、さすがは今度のオリンピックのメダル候補の実力やろな。
「シノブちゃんならだいじょうぶよね」
「五分の勝負やな」
シノブちゃんも気合入っとるわ。このコースも四回目やから、スピードの乗りがちゃうわ。シノブちゃんの飛越は軽やかやとは言えんけど、豪快そのもの。だんだん昔の感覚が戻って来てるんや。もうちょっと、もうちょっとやねんけど。
『三五・六六秒』
えっ、なんやて同タイムやないか。
「コトリ、こんなことって」
「珍しいな」
百分の一秒まで計測して同タイムなんか滅多にあらへんで。会場も興奮の坩堝や。
えっ、同タイムだって。勝ったと思ったけど、足りなかったみたい。次は負けない。審判長が出てきて、
「同点、同タイムにより十分後にジャンプ・オフを行う」
休憩時間はここの慣例により対戦相手と同席。
「さすがは夢前さんとテンペートね」
「神崎さんとメイウインドこそ」
ここで意外な提案が。決勝の前に二人の恋をデュエロの条件にしてたんだけど、
「ジャンプ・オフですが、本来のコースでやりませんか」
「本来とは森のコースも含めるってことですね。でもジャンプ・オフは同じ条件でやるはず」
「原則はね。ただしデュエロとなれば対戦者の意志で変えられます」
あれだけフェアにこだわった神崎愛梨がなぜ、
「夢前さん、同じ条件なら私が有利だからです。あなたの走りは障害飛越のものじゃない。クロスカントリーのものです。その代り、このコースは私もメイウインドも良く知っている。これで五分です」
ここまでフェアにこだわるのか。
「わかった。それでやりましょう」
神崎愛梨とシノブは審判席に、
「ジャンプ・オフを元のコースでやるだって。そんなことは・・・」
「審判長、これは会長杯であり、デュエロです」
「デュ、デュエロか・・・ならば拒否できない」
審判長は係員に指示を下し、
「ジャンプ・オフは対戦者がこれをデュエロとしており、両者の合意により森のコースを含むものに変更します」
コースは馬場内の通常の障害を飛び越えた後に、森のコースに入るんだけど、これが約三キロメートル。その間に二十の各種障害が設けられており、再び馬場内のゴールに飛び込むことになる。
「夢前さん、デュエロの結果は対戦者の誇りに懸けて守るものになっています」
「わかった」
シノブは神崎愛梨に勝ちたい。恋の勝負だけじゃなく、騎手としての神崎愛梨とメイウインドに勝ちたい。もう余計なことは考えない、思いっきり集中してこのレースに臨む。