運命の恋(第33話)新生活
大学は無理すれば売られてしまった家からでも通えたが、無くなってしまったものはしようがない。父親はどこの大学に合格したなんて興味も関心も無かったしな。その下宿だけど家賃と広さで選んだ。
下宿は古いマンション。そう言えばリッチに聞こえるかもしれないけど、昭和の公団住宅みたいな代物だ。それでも内装はリフォームされているみたいで小綺麗だったし、2Kと言うらしいが、キッチンと部屋が二つある一人暮らしには余裕の広さ。大学近くのワンルームよりこっちを選んだ。ワンルームに比べたらタダみたいな安さなんだ。
その代わりと言ったらなんだけど、下宿の周辺は、はっきり言わなくともガラが悪いどころか、市内でも要注意地域とされるところで、ここが日本とは思えないぐらい治安が悪いので有名。
ステテコに腹巻で朝から酒を飲んでるおっさんなんて平和なもので、ヤンキーや元ヤンみたいな連中がウヨウヨしている。いやそういう連中さえ平和に見える本職の事務所もあり、チンピラが当たり前のように町の風景になっている。
大人しそうに見える連中も要注意で、紛れ込んできたクルマへの当たり屋を生業としているのもゴロゴロいる。犬や猫を飼っている連中も要注意で、あれは動物愛好家じゃなく、走って来たクルマに放り投げ因縁を付け示談金を毟り取るためんだよな。
その辺の説明と言うか、注意と言うか、ボクへの忠告と説得は不動産屋から長々と聞かされたよ。
『家賃が安いのにはそれだけの理由があります。学生さんが住むには危険すぎやで。悪いこと言わん、絶対やめときなはれ』
でも良いところもあって物価が安い。安いと言うか、カネの無い連中ばかりだから、そういう連中で買えるものが並んでいるぐらいかな。それと、こういうところで商売している人たちだから根性も座ってるよ。
高校入学前のボクなら絶対お断りで、近づきもしないところかな。歩いて五分もしないうちにカツアゲどころか、身ぐるみ剥がされたって不思議無いところだもの。でも今のボクにはノー・プロブレム。可愛いものぐらいにしか見えない。
下宿に住んですぐに挨拶をされたけど、ちゃんと挨拶を返しておいた。すこぶる付の丁重さでね。何度か挨拶をしたら、すぐに平和になった。挨拶をする方だって、男のままでいたかったんだろう。その辺の挨拶がなくなったら本職にも何故か避けられるようになってしまった。忠告でもされたのかな。
大学生活の方も上手く馴染めた。これもちょっとした事件がキッカケだった。どこかで経験者と聞いたのか空手同好会みたいなところから勧誘があった。これがあまりに執拗だったので、
「ボクを指導出来るぐらいであれば考えます」
「生意気な。そこまで言うなら道場で見せてやる」
道場に行って五分で帰ってきた。これだけならたいした話ではないのだけど、この空手同好会はタチの悪いのが多く評判も良くなかったらしい。それを新入生のボクが叩きのめしてしまったので、ちょっとしたヒーロー扱いになってしまったのだ。
『氷室君ってヤバくない』
『うんヤバイと思う』
『ヤバ過ぎよ』
あのなぁ、人の評価をすべてヤバイで済ます方がヤバ過ぎると思ったけど、知らないうちにモテ男の一人になってそうだ。それはさすがに言い過ぎかもしれないが、入学早々に告白までしてきた女がいたものな。マナがいるから、もちろん断った。
サークルにも誘われて入った。歴史オタクだから歴史がらみのサークルだ。もっとも資料研究をやるのではなく、名所旧跡を訪ねて歴史談義をワイワイするところ。女子会員も多くて、そうだな、歴史上の有名人物をアイドルに見立ててミーハーするぐらいかな。そこでも仲間が出来た。
それとバイトにも精を出している。父親から手切れ金をもらってはいるけど、カネは使えばなくなるもの。天涯孤独みたいなボクにはカネが命綱みたいなのは良く知ってる。バイト代と手切れ金で、それなりに余裕がある生活がスタートできた。講義もちゃんと出てるからな。
マナとは定期的にデートを重ねてる。こっちから行ったり、マナに出てきてもらったり。告白の夜にはキスまで進んだけど、その後は逆に気恥ずかしくなってしまって、手をつなぐ程度になっている。
マナと一緒にいて良いところは、とにかく気楽なところ。幼馴染なのはともかく、道場仲間だし、あれだけマナの家で食事を取った仲だものな。マナの家を勝手に心の実家と思ってるぐらいだ。
それより、あの事件でマナの道場に引き取られた形になり、下宿するまで同じ屋根の下で暮らしていた。ぶっちゃけのところ居候状態だったけど、家族同様に扱ってもらった。いやあれは家族以上だった。
どん底に落ち込んでいたボクを立ち直らせるにしてもらった事を思い出すと感謝しかない。とくにマナにはいくら感謝しても足りないぐらいだ。マナは懸命だった。あそこまでしてもらって感じないはずがないだろう。
マナがいなければ立ち直れなかった。そこまでしてくれたマナに惚れなければウソだろう。ボクがどん底から這い上がるのと、マナへの想いは反比例するようなものだったと思う。だから、もうボクにはマナしか見えないし、マナしか見たくない。
「ところでマナはいつからボクの事を」
「それ言わせるの」
「聞きたい」
マナが言うには道場で再会した時はタダの幼馴染だったそうだ。そりゃ、そうだろうな。陰キャでボッチで、ひ弱な劣等生だものな。いくら幼馴染でも恋愛感情を抱きようがないか。
「でもね。昔を思い出しちゃって、また一緒に遊びたいってね」
「あれが遊びだと言うんか!」
波濤館の特別コースに問答無用で叩き込まれ、組手でぶん殴られた日々がマナにとっては楽しい遊びの時間だって言うんだよな。これも今から思えばだけど、そういうマナの遊び友達の気分があそこから逃げ出さなかった理由の一つかもしれない。
「変わり出したのは今泉君と理子の事件の時だよ」
今から思えばあの事件は、ボクがボッチから抜け出す始まりだったかもしれない。
「あの時に理子がジュンにお熱だって聞かされて、見直しちゃったんだ」
あの頃にはマナにビシバシに鍛え上げれて体もマシになっていたものな。
「毎日見てたから、かえって気づかなかったかな。ジュンに男を感じたんだよ」
「あのデートの時も」
「気合入れたつもりだったんだけどね」
ボクも鈍かったものな。マナにも確実に好意は芽生えていたみたいだ。とは言うものの告白には距離がまだまだあって、これからってぐらいかな。そんな時に現れたのが美香だ。
「マナツも聞いて驚いた。うちの学校にまで鳴り響くほどの美少女が相手じゃ敵わないと思ったもの」
マナはそういうけど、辛かっただろうな、悲しかっただろうね、寂しかっただろうな。好きな男が突然さらわれていったようなものだもの。
「少しはね。でもジュンがそこまでイイ男になったのが嬉しかったのもあったよ」
「マナ、ごめん。気づけなくて」
「気にしなくて良いよ。人はね、恋をして成長するのよ。あの恋はジュンを成長させたし、マナツだって成長させたと思ってるもの。その結果が今でしょ」
マナはそれ以上は笑って誤魔化したけど、ボクが美香に捨てられて燃え上がったで良いと思う。それも言い過ぎか。あれは幼馴染のピンチに燃えてくれた方が大きい気がする。マナもまた、あの時にボクに本気になってくれたんだと思う。
世の中は結果がすべてかもしれない。あの辛い失恋があったから今のボクがいて、隣にマナがいる。そんな過去は替えられないものな。せいぜいマナの気持ちに早く気づいてやればぐらいだけど、
「今で良かったと思ってる。そんなに悲しい顔をしないの。ちょっとだけ寄り道しただけじゃない。別に五年も十年も待たされたわけじゃないんだし。マナツもこうなれて幸せなんだから」
ボクもそうだ。本当に大事にしなくてはならない人を見つけられたんだから。あの時に出来心で道場見学に行った結果が今で、隣にマナがいてくれる。
「マナには感謝している。二回もボクを助け出してくれたもの。今度はボクがマナを幸せにする」
「そんなに力まなくても。感謝なんかいらない。ジュンのためなら何度でもOKよ」
こんなイイ女が他にいるか。マナの肩に手を回して抱き寄せると。
「愛してる」
「マナツも」
告白の日から二度目のキス。でも最初のキスと違う気がする。最初の時は告白の勢いに任せた感じだったけど、今日のはそれが二人に取って必要なものとしか思えない。そう必然としてのキスだ。マナもそのはず。キスを終えてもボクの胸に顔を埋めたままだもの。
「マナ、必ず迎えに行く」
「まだ早いよ。でもジュンは本当にイイ男になったよ。その時になってもマナツが隣にいられたら嬉しいな」
やっぱりマナには敵わないよ。先走って考えても先が長いもの。迎えに行くと言っても、大学をまず卒業して、就職してお給料をもらうことになるけど、それを達成するには、日々進む以外にないからな。
そこまでマナに待ってもらうには、二人の関係をしっかり深めないといけない。まず足元をしっかり固めないと始まらないものな。
「そうやってちゃんと考えてくれるジュンが好き」
「ボクの方がもっと好きだよ」
付き合って三回目のキスは、もう蕩けそうなぐらい良かった。もう二人にとってキスは特別のものじゃない。愛し合う二人に欠かせないものになったんだ。