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浦島夜想曲(第19話)弟子入り

 熊野古道で出会った五人組の女の子のグループはこの世のものとは思えません。マジで現実に自分の身に起った出来事とは思えないのです。世の中には美人とか、美女と呼ばれる女性はいますが、そういうレベルを越えてるのです。

 ボクだってカメラのプロを目指してスタジオに勤めていた時期があり、そこでモデルさんとか、女優さんとかの撮影現場に立ち会ったことがありますが、そのクラスの美女でさえ吹き飛ばすぐらいです。それも五人そろってです。彼女らは人じゃなくて、天使とか女神クラスだと確信しています。

 そういう美女に出会っただけでもラッキーなのに、向こうから声をかけられて、熊野古道をガイドしながら一緒に歩き、偶然とはいえ同じ宿に泊まり、夕食まで御一緒しています。あのお昼のお弁当タイムで、
 
「ほら、ア~ンして」
 
 これを二人がかりでやられた時は、このまま死んじゃうんじゃないかと思うぐらい幸せでした。翌日は、ボクが大雲取越、彼女らは熊野川下りで別れましたが、今回ほど大雲取越が味気なかったことはありません。

 カメラは中学の時から熱中していまして、大学を中退して東京の新光スタジオの飛び込んだのが二十歳の時。そこで認められたのか大手のスタジオ・ピーチに引き抜かれた時は、これでプロになったと舞い上がったものです。

 でも現実は厳しかった。自信をペシャンコにされて一年で退職。あの時は心身ともにズタボロで一年ぐらい引きこもり状態になり、カメラなんか二度と触るものかと思ってたものです。

 でもカメラ好きなんですよね。実家の手伝いをしながら趣味と半分割り切りながらまた再開しています。美女五人組にプロを目指していると言ったのは半分ぐらいはウソで、半分ぐらいはホントです。最後の未練が加納賞への応募でした。結果ですか? やはり落選でした。さすがに潮時の気がしています。

 
 美女五人組の中でとくに気になったのがシオリさん。理由はカメラ女子だったことです。どうしてもカメラにこだわる自分がいますが、それにしても凄いカメラ持ってました。あれはライカのMPですよ。本体だけで軽く百万円を超えるもので、ちょっとやそっとで持つことなんて出来ません。

 恥ずかしながらあのカメラはスタジオ勤務時代に見た事だけはありますが、触ったことがなかったのです。ですから集合写真を撮らせてもらった時にはちょっとした感動ものでした。それがカメラ係を頼まれて、あの日はずっと使わせてもらったのです。あれはあれで夢のような時間になりました。

 
 シオリさんって何者なんだろうと思っています。ライカMPを持ってるぐらいですから、お金持ちのお嬢さんかもしれませんが、それでもファッションで気楽に持てるようなカメラじゃないのです。それに明らかに使い込んでるのもわかります。

 それとカメラを構えるあの姿勢。民宿の時に見ましたが、あれは相当どころでない年季が入っています。ボクだってプロの端くれですが、あれだけ自然にあの構えが出来る人はそうはいません。

 もっと決定的というか、あれは衝撃的とした方が良いかもしれませんが、悪いと思ったのですが、シオリさんが撮っていた分をコッソリ見たのです。なにかアドバイスでもして、話をするキッカケにしようの下心です。

 数枚しか見れなかったのですが、アドバイスなんかできるレベルじゃありません、アングル・構図・色出しとも文句のつけようがないのです。それも撮ってる写真がすべてそうなのです。そうなんです、何枚かに一枚の偶然ではなく、すべてそう撮るように計算され尽くされているのです。

 あれはカメラ女子なんてレベルじゃありません。カメラ談義もしましたが、今から考えると本とかで読んだ知識でなく、実際に使い込んでの経験談としか思えないところがあります。それもあれだけ多彩な機種についてです。

 請川で美女五人組と別れる時にシオリさんにお願いしました。熊野古道でボクがライカで撮った写真を送ってくれないかです。自分がどう撮ったのかも知りたいのがありましたが、五人組の写真が欲しいのもありました。

 もっと本音で言うと、なんとかつながりを持ちたかったからです。シオリさんは快く了承してくれて、連絡先の交換に応じてくれています。ただ、連絡はなかなかありませんでした。やっぱり旅の途中の通りすがりに過ぎなかったとあきらめかけていた頃にシオリさんから手紙があったのです。
 
「良ければ、撮った写真を一緒に見ませんか」
 
 こういう内容だったのです。ビックリした、ビックリした。喜んで連絡を取って、シオリさんがお住まいの神戸を伺う事にしました。精いっぱいオシャレして、これもシオリさんのリクエストで、これまでボクの撮った写真も持参してです。

 自宅に来て欲しいと言われて余計に心臓がドキドキしてたのですが、住所を目当てに訪ねてみると立派過ぎる豪華マンション。それも最上階で、これも腰を抜かしそうになったのですが、この豪華マンションの最上階はシオリさんの部屋しかないのです。まさに何者って謎だけが深まります。表札には『山本』ってあるので山本シオリさんが本名かな。
 
『ピンポン』
 
 現われたのはシオリさん。旅先で見た時も綺麗でしたが、さらに綺麗で大げさでなく目が潰れそうです。世の中にこれほど美しい人が存在するんだと心臓は完全にバクバク状態です。広いなんてものじゃないリビングに案内されて、お茶を頂いたりしましたが、
 
「写真見ようか」
 
 連れて行かれたのは別の部屋ですが、これも写真編集専用の部屋のようです。そこからまず旅行の時の写真の批評が始まったのですが、実に的確でかつ手厳しいものです。
 
「これはなかなかイイよ。でもね・・・」
「こういう表情のとらえ方はセンスだね。欲を言えば・・・」
「これは失敗ね。日の丸構図が全部悪いわけじゃなけど、こういう場合はね・・・」
 
 続いてボクが撮ってきた写真も見てもらったのですが、
 
「ほぅ、思った通りだわ。なかなかやるじゃない」
「これはイイね。こういう狙いは好きだよ。でもどうせなら・・・」
 
 夢のような時間です。ここでシオリさんの写真をせがんで見せてもらいました。
 
「こ、これは・・・」
 
 完全に絶句。雑誌や写真集で見たことがあるものですが、それが次々と、ようやく絞り出せたのは、
 
「光の写真・・・」
「良く知ってるね」
「世界の写真家でこの写真を知らない人がいればモグリです。でも、でも・・・」
「騙したみたいで悪かったね。そうだよ加納志織だよ」
 
 シオリさんが加納志織に良く似ているのは旅行の時から気づいていました。加納志織が年齢より異常に若く見えるのも聞いたことがあります。それでもですよ、どこをどう見たって二十代半ば過ぎ。肌だってツヤツヤ、シワ一つありません。
 
「若く見えるから驚くよね」
「あ、はい」
「八十のババアだよ」
 
 そう言って見せてくれたのが旦那さんとのツーショット写真。旦那さんは二年前に亡くなられたようですが、結婚当初からのツーショットが並べられます。御結婚されたのが三十五歳の時だそうですが、旦那さんは歳とともに老けられていくのに対し、シオリさんは結婚当初からまったく変わっていません。
 
「体質かな? 敬老パスも使いにくいし、優先座席も使いにくいからイイ迷惑だよ」
 
 そう言って敬老乗車証も見せてくれましたし、運転免許証も見せてもらいました。
 
「免許の更新も大変で高齢者講習とか認知症のテストとかあってウンザリよ」
 
 もう信じるしかありません。とにかく光の写真が撮れるのは世界で加納志織ただ一人なんです。おもわず、
 
「不老不死なんですか」
「不老なのはそうだけど、不死じゃないみたいよ。だからいつ死んでもおかしくないってこと」
 
 リビングに戻ってから、
 
「星野君、知ってると思うけど今は引退して隠居状態なのよ」
「は。はい」
「隠居のままで朽ち果てようと思ってたけど、あの旅行でちょっと気が変わったんだ」
「一緒だったのは同級生みたいな話でしたが」
「それは機会があれば教えるかもしれない。今は聞かないでくれる。それと星野君はわたしの事を好きかもしれないけど、悪いけどやめてね。八十のババア相手にお熱じゃシャレにもならないよ」
 
 どうにも見た目と実年齢のギャップが物凄すぎて、
 
「その代りにチャンスをあげたい」
「なんですか」
「弟子になる気はある?」
 
 えっ、えっ、えっ、ボクが加納さんの弟子。現役の頃の加納さんには弟子入り希望者が殺到してました。ですから弟子になるには、かなりどころでないハードルがあったのは知られています。ボクも聞いただけであきらめています。
 
「江戸紫のとこにいたんだってね」
 
 さすがは加納さん、桃屋先生のニックネームをよくご存じで、
 
「あそこで一年もいて潰されなかった根性は褒めてあげる」
 
 たしかにひどかった。
 
「で、どうだい?」
「加納先生、よろしくお願いします」
「甘くないよ、しっかり付いておいで」
 
 そこからあちこちに電話をかけ始めて、
 
「今日はどうするの」
「和歌山に帰る予定ですが」
「このままいなさい」
 
 バタバタと自分の人生が変わる気がしています。翌日は下宿探しと生活必要品の購入です。そうしたら先生から、
 
「明日中にケリつけなさい。明後日から忙しくなるよ」
「仕事ですか」
「大掃除だよ」
 
 先生に指定された住所に行って見ると。そこはなんとあのオフィス加納。
 
「やっと来たか。しばらく閉めてたから、今日は大掃除だよ」
 
 先生以外にも何人かいますが、
 
「無理言って手つだってもらってる」
「シオリ先生、無理なんかじゃありません。呼んでもらえてどれだけ嬉しかったか」
「先生がスタジオを再開されるのなら、何をさて置いても飛んできますよ」
 
 どうも以前のスタッフみたいです。手伝いは時間とともに増えて行き、
 
「どうして、ボクに声をかけてくれなかったのですか」
「私だってそうですよ。聞かされてビックリして飛んできました」
「先生、冷たいじゃありませんか。真っ先に声をかけてくれると思ってたのに」
 
 オフィス加納ってこんな雰囲気なんだ。ボクも紹介されましたが、
 
「星野君っていうのか、頑張ってね」
「再開したオフィス加納の将来は君の肩にかかってるよ」
 
 日も暮れた頃に、
 
「シオリ、ずるいぞ」
「やっぱりさらって行く気やろ」
 
 あの二人は民宿で一緒だったお二人。
 
「星野君、特別に教えてあげるわ。シオリちゃんは若そうに見えるけど・・・」
「八十歳ですよね。先生に教えて頂きました」
 
 そしたら笑い出し、
 
「今日はコトリとユッキーが腹いっぱい食べさしたるで。オフィス加納の復活祝いや」
 
 連れてかれたのは、なにやら高そうなお店です。
 
「ユッキー、悪いわねぇ」
「これぐらいはしないとね。そうそう、ここのお肉はコトリの推薦よ」
「美熊野牛」
「ちがうよ神戸ビーフ」
 
 鉄板が備えられたカウンター式で、コックが目の前で大きな肉を焼き上げてくれます。肉だけでも凄いのですが、アワビや伊勢海老などの海鮮も次々に焼かれます。そのうえ店はなんと貸し切り。お二人は、
 
「何人になるかわからなかったからね」
 
 盛大に食べて飲んで大満足です。なにやら三人で話をしてましたが、
 
「傷んでるでしょ」
「六年も閉めてたから、さすがにね」
「明日、行かせるわ」
「悪いわね」
「これも開店祝いの内だよ」
「香坂さんが怖いんじゃない」
「それはそれ、ミサキちゃんとの駆け引きも楽しみのうちよ」
 
 翌日にはリフォーム関係の業者やら、水回り関係の業者やら、カメラ機材の業者やら、広告や看板業者やらドット押し寄せて来ます。旧スタッフも対応にてんてこ舞い状態。そこに熊野古道でこれも御一緒した香坂さんがヒョッコリ現れて、
 
「ちょっとお手伝いさせてもらいます」
 
 香坂さんはいきなり仕事を仕切り始めたのです。オフィス加納の旧スタッフに小声で聞いたのですが、
 
「どうなんですか」
「いやぁ、あれこそプロの仕事だ、ボクではあそこまでは・・・」
 
 それは見ているだけで感じます。まさにオーケストラの指揮者のように仕事に段取りを付けて行きます。香坂さんは物腰も物言いも穏やかで柔らかいのですが、業者の反応がまるで怖がってるというか、腫物に触るような感じで、
 
「もうちょっと早くならないのですか」
「申し訳ありません、この予定の半分、いや三分の一で仕上げさせます」
「内装デザイン案は明日出来ますか」
「必ず朝一番に、いや今日中に必ず」
「看板案は持って来てないのですか」
「もうしわけありません。午後には必ず」
 
 加納先生に、
 
「香坂さんって何者なんですか」
「あん、会社のエライさん」
 
 オフィス加納の再開はハイ・ピッチで整っていき、やがて打ち上げ、
 
「みんな悪かったね。明日からはもうイイよ」
 
 そしたら、
 
「シオリ先生、それはないですよ」
「そうですよ、星野君と二人でどうしようって言うのですか」
「でもみんな仕事があるでしょ」
 
 そしたら、一斉に立ち上がり、
 
「シオリ先生、今勤めてるところがクビになりました。こちらに就職できませんでしょうか」
 
 シオリ先生は豪快に笑って、
 
「みんな馬鹿だねぇ、あたしは八十のババアだよ。明日死んだって不思議ないし、そうなりゃ失業だよ」
「それでもかまいません、一緒に仕事をさせて下さい」
 
 オフィス加納が日本一のスタジオと呼ばれた理由が良くわかりました。

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