シノブの恋(第21話)甲陵乗馬倶楽部
乗馬クラブいうてもピンキリで色々あるんやけど、北六甲クラブの対極みたいなのが甲陵倶楽部。あそこは社交場でもあるんやけど、乗馬倶楽部も持ってるんや。ちょっとややこしんやけど、正式には甲陵倶楽部附属馬術会って言うんやけど、普通は甲陵乗馬倶楽部とか、紛らわしいけど甲陵倶楽部って呼んでるんよね。
もうちょっと紛らわしいというかややこしいのは、甲陵倶楽部の始まりは、この乗馬倶楽部やねんよね。明治の終りから大正の頃に京阪神の財界人や文化人が集まって住んでた時期があって、その連中のための乗馬倶楽部が発展して、社交場としての甲陵倶楽部になってるねん。
とにかく鬱蒼たる森の中に貴族の城館みたいなクラブハウスが建ってるんよね。レストランもガチのフレンチ。ドレスコードもすこぶるウルサイ。乗馬クラブの方は甲陵倶楽部のメンバー以外でも入れるんやけど、とにかく入会資格がうるさいのと、目の玉が飛び出るほど会費も高い。馬だってレンタルはなしで、全部持ち馬。
ただ金持ちの遊びだけやなくて、乗馬のエリート養成もやってる。なかなかの実績でオリンピック選手も何人か出ていて、県の国体代表の常連。馬がすべてとは言えんけど、エエ馬乗ってるから他の乗馬クラブじゃ、その点だけでも太刀打ち出来んとこがある。
馬術ってのは、馬が占める比重が大きい競技で、人の努力だけでどうしようもないとこがあるねん。極端なたとえをしたら、免許取立ての初心者ドライバーとプロのレーサーが競争するとするやんか。
同じクルマに乗ったら勝負にならんけど、初心者がポルシェで、プロが軽トラやったら初心者が勝ってまうんよね。馬術で馬の差はそれほど大きいってところやねん。技量が同じやっても馬が違えば勝負にならんぐらいや。
そやから甲陵倶楽部は大きな勢力もってるし、影響力も大きい。実力も実績も申し分ないんやけど、これが気に食わないのが小林社長。あんな貧乏クラブやのに猛烈な対抗意識を持ってるんや。
この辺は個人的な因縁の部分も大きくて、甲陵倶楽部の黒田会長と小林社長は同い年で小学校も同じ。黒田会長は黒田物産の御曹司やってんけど、小林社長の家は工務店と言えば聞こえがエエけど大工。
どうも黒田会長のグループからイジメみたいなものに遭うたみたいやけど、小林社長はそれにじっと耐えるタマやなかったから、取っ組み合いの大喧嘩したみたいやねん。そのために黒田会長が転校したとかしないとかの話になってる。
小林社長は馬好きが昂じて厩務員になったんやけど勤めたのが甲陵倶楽部。そこで黒田会長と再会したんや。なんの巡り合わせか黒田会長の馬の担当が小林社長になったんやが、ある競技会の後に、
『小林、お前の馬の世話が足りんから負けた』
『アホ抜かせ、黒田の腕が悪すぎるからや』
エエ歳してまたもや取っ組み合いの大喧嘩。これで小林社長は甲陵倶楽部をクビになり、あれこれ苦労を重ねた末に北六甲クラブを作ったんや。
ライバル意識を燃やす小林社長やけど、どう頑張っても甲陵倶楽部に勝てへんのよね。そりゃ、あんだけ馬が違えば勝てるはずがないんやけど、小林社長にしたら悔しくて仕方がないらしい。この辺は黒田会長も大人げないみたいで、
『小林、なにしに来たんや。駄馬の散歩か』
馬だけじゃなくて選手の差もあって、神戸で本格的に選手を目指す者なら甲陵倶楽部に行っちゃうのよね。これは選手の資質もそうだけど、馬を買えるほどの資力も連動するから小林社長がどう足掻いても勝てないってところ。
乗馬クラブと言っても指向性がそもそも違うから、別に競争しなくても良いと思うんだけど、個人的な因縁が積み重なり過ぎて、小林社長の前で黒田会長や甲陵倶楽部の話題を持ち出すのはタブーとされてるぐらいやねん。そりゃ、悪口が止まらんようになるからな。タブーを知らんうちは、だいぶ聞かされた。
でも小林社長の気持ちもわからんでもない。小林社長だって厩務員になりたかった訳じゃなくて、騎手になりたかってんよね。ところが騎手になるにはイイ馬を買う必要があり、これが叶わなかったんだよ。
一方で妙な因縁の黒田会長は、家にカネがあったから馬持って騎手になって競技会にも参加してる。そういう構図の中で人生を過ごしてきた小林社長は、一度でイイから黒田会長や甲陵倶楽部をギャフンと言わしたいんやと思てる。でも、やっても、やっても、ギャフンと言わされるのは小林社長。奥さんも、娘さんも、
「一度ぐらいは勝たせてあげたい・・・」
そんな小林社長やけど、コトリたちに目を付けてるんよね。誤解したらアカンで、女としてではなく馬術の才能でや。
「お嬢さん方ほど才能のある人を見たことがない」
まあそうで、筋金入りどころでないほどの乗馬経験があるからな。そやから、あれこれ目をかけて可愛がってもらってる。この辺は肩書がバレんように注意してる。
馬術の競技会も色々あって、上は公認の全日本クラスから、下は乗馬クラブ内のものまであるんやけど、市内の乗馬クラブ対抗の障害飛越の親善試合があってんよね。小林社長も役員として参加してたんや。
親善試合の結果やけど、いつも通り甲陵倶楽部の圧勝、北六甲クラブは完走するのがやっとレベル。馬の値段が桁違いやから仕方ないと思うけど、黒田会長から、
「いやはや、いくら親善のためとはいえ、レベルが低すぎますな」
黒田会長も一言も、二言も多いタイプでイイみたい。それだけやなく、名門と実績を鼻にかけるタイプで、あまり良く思われてないぐらいかな。たぶんやけど会社やったらパワハラ型やと思う。
この黒田会長と小林社長が犬猿の仲なのも有名だから、周囲も普段はなるべく同席しないようにさせてるそうだけど、親善大会後の役員会議やからそうもいかんかったらしい。何かが起ると身構えてたそうやけど、
「そうでんな。甲陵さんとこは750乗ってるけど、こっちはスーパーカブみたいなもんやからレベルが違いますわ」
「小林、馬を調達するのも馬術の内や」
「そうや黒田、だからレベルが違うて言うとるんや」
やっぱりって感じだったそうなのよ。でもこの程度は平和なもんで、これで終わるぐらいに周囲も思てたらしい。そしたら黒田会長が、
「馬は血統や。駄馬は駄馬しか生まん。お前のとこの子みたいなもんや」
そこから小林社長は猛烈にヒートアップしたみたいやねん。役員会議そっちのけで議論と言うより、嫌味の応酬の末に、
「馬術で馬は重要やけど、当たり前やけど騎手の腕もある。だいたい小林のとこに、まともに障害飛べる奴なんかおるんかいな」
「おらいでかい。馬の条件が同じやったら、黒田のとこなんて蹴散らしたるわい」
これを聞いてた他の役員はハラハラ。甲陵倶楽部と北六甲クラブで騎手のレベルの差も歴然やったからや。黒田会長は嘲笑いながら、
「小林、そんなん強がりにもならへんで。駄馬に乗ってる奴は駄馬以上のレベルにはならへんわ」
小林社長は自分とこの馬に人一倍愛情をかけてはって、駄馬呼ばわりされるのが一番頭に来るんよね。もちろん、黒田会長も良く知ってる上での挑発や。
「黒田、口先だけやったらナンボでも言えるわ」
「よう言うわ。それはお前の方やろうが」
「なにを」
「やるか」
さすがに歳の功で取っ組み合いの喧嘩にはならへんかってんけど、
「小林、そこまで言うんやったら遊んだるわ」
「それはこっちのセリフじゃ」
出て来たんは貸与馬による障害飛越勝負。これやったら馬の差は出えへんねんけど、
「グレードは小林のところに合せんといかんから、小障害のCやな」
「アホ抜かせ。それはお前のとこやろ」
「それやったら大障害Aでも飛べるとか冗談いうつもりか」
「飛べいでかい、余裕に決まっとるわい」
これはさすがに周囲が止めに回ったそうや。そりゃ、大障害Aいうたらオリンピック・レベルやから、それを草競技会でやるなんてムチャクチャやからやねん。ほいでもヒートップした二人は聞く耳持たず。
「よっしゃ、貸与馬での大障害Aで勝負や」
「小林、この勝負に倶楽部の名誉を懸けれるか」
「どういうことや」
勝った方がクラブの看板を持って帰るっていうんよね。道場破りじゃあるまいに。さらに黒田会長は、
「それだけやオモロない。倶楽部の名称かけようや」
「どういうこっちゃ」
「勝った方が負けた方の新しい名前つけるんや」
「やったるわい」
格好良く言えばネーミングライツやけど、
「はははは、これでも小林のとこも正式にクソ駄馬クラブになるわ」
「お前のとこがウンコ・クラブになる日が楽しみや」
どこでやるかもオオモメ、
「小林のとこじゃ、馬が怪我するわい」
「それはこっちのセリフじゃ、黒田のとこの落とし穴にはまったらエライ事になる」
ここで話が潰れりゃ良かったんやけど、第三者のクラブでやることに決まってしもたんよ。野路菊クラブになってんけど、野路菊クラブもエエ迷惑やろな。
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