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#373 結婚と子育てを通じて学んだアドラーの「真の協力」

アドラー心理学では、結婚を通して「真の協力」を学ぶことができるという考え方があります。私は5歳と0歳の息子たちとの日々の生活を通じて、このアドラーの洞察の深さを身をもって体験しています。結婚と子育てのジャーニーは、まさに「真の協力」を学ぶ旅路そのものです。

アドラーは結婚を「共に生きると決意すること」であり、「お互いの人生を助け合い、豊かにすること」と定義しています。この言葉の真意を、私は徐々に理解していきました。最初は単なる「分担」や「役割分担」と考えていた協力が、やがて互いの存在そのものが支えとなる深い協力関係へと発展していったのです。

例えば、5歳の長男が生まれた時のことを思い出します。夜中の授乳、おむつ替え、寝かしつけ。これらの24時間体制のケアは、まさにアドラーの言う「二人で協力して課題に取り組む」ことの重要性を教えてくれました。特に印象に残っているのは、長男が生後3ヶ月頃の夜泣きが激しかった時期です。妻と私で交代で赤ちゃんを抱っこし、あやし続けた夜。互いの疲労を察しながら、無言で役割を交代する瞬間には、言葉以上の深い協力と信頼を感じました。これこそが、アドラーが重視する「共感力」の具現化だったのだと、今になって理解できます。

0歳の次男が加わった現在、この協力関係はさらに深化しています。アドラーは「結婚は二人の自立した個人が協力して生活すること」が大切だと述べていますが、私たちの場合、この「自立した個人」の輪に5歳の長男も加わっています。次男のおむつ替えの時、長男に「お兄ちゃん、おしりふきを取ってきてくれる?」とお願いすると、誇らしげに走って取りに行ってくれる。この小さな行動が、家族全体のスムーズな運営につながっているのです。

アドラーの言う「共同体感覚」、つまり他者との繋がりを感じ、協力し合える関係性を築く能力は、このような日々の小さな協力の積み重ねの中で育まれていくのだと実感しています。そして、この感覚は家族内だけにとどまりません。子育てを通じて知り合った他の親たちとの情報交換や相互サポート、職場での同僚との新たな協力関係など、「共同体感覚」は徐々に社会全体へと広がっていきます。

しかし、この「真の協力」への道のりは決して平坦ではありませんでした。時に意見の相違や価値観の衝突に直面することもあります。例えば、子どものしつけの方法や教育方針について、妻と議論することもありました。しかし、そのような場面でも、最終的には子どもたちのために最善の決定を下そうという共通の目標があることを思い出します。アドラーの言う「共同体感覚」は、このような葛藤を乗り越える際の指針ともなりました。

アドラー心理学では、結婚前から一定の「共同体感覚」や協調性を持っていることも重要視されています。振り返ってみれば、妻と私がそれぞれの人生で培ってきた協調性や他者への配慮が、現在の深い協力関係の土台となっていたのだと気づきます。結婚や子育ては、それまでの経験を基に、さらに高次の協力関係を築く機会を提供してくれたのです。

「真の協力」を学ぶ過程で、私は自分自身についても多くのことを学びました。例えば、自分のやりたいことを優先してしまい、それが時に協力の妨げになっていたことを認識しました。この自覚は、より柔軟な態度で協力することを可能にしてくれました。アドラーの言う「自己理解」と「他者理解」が、真の協力には不可欠であることを、身をもって体験したのです。

最後に強調したいのは、結婚と子育てが「真の協力」を学ぶ唯一の道ではないということです。アドラー心理学が示唆するように、人それぞれの人生経験を通じて、独自の方法で協力の意味を見出していくことができます。私の場合は結婚と子育てがその機会となりましたが、他の人々は仕事、友人関係、地域活動など、様々な場面で「真の協力」を学んでいくでしょう。

アドラーの「真の協力」の概念を理解し、実践することは、私たちの人生をより豊かで意味のあるものにしてくれます。それは単なるタスクの分担を超えて、互いの存在そのものが支えとなる深い関係性を築くことです。結婚と子育ての日々は、まさにこの「真の協力」を学び、実践する生きた教室となっています。そして、この学びは家族の枠を超えて、より広い社会での協力と共生につながっていくのです。これからも、子どもたちの成長を見守りながら、家族全員で「真の協力」の意味を深めていけることを、心から楽しみにしています。

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