写真を撮る理由と祖父の話
このnoteのテーマ"見るフィールドワーク"にたどり着けるのか分からなくなってきたけど、しつこく自己紹介の続き。
26歳くらいの頃、職業としての写真はしないと決めたのは自分にとってある意味一歩前進だったけど、引き続き今の生活を続けることにもなるわけで、これは"なんとなく"就職した自分にはけっこう重い現実だった。
とはいえ、この専門学校時代に何も学ばなかった訳ではなくて、この時をきっかけに身についたこともあった。ひとつは明確に"作品"と言えるものを作る意識。もうひとつはゴールを決めて行動する習慣だった。
その頃まで作品といえる作品をほとんど作ったことがなかったのは、単に何を撮りたいのか分からなかったから。作りたくても作れなかった。今思えば我ながら本当に自分でも何やってるのか分からない時期だった。でも仕事としての写真をやらないと決めた以上、自分が写真で何をしたいのかを明確に手繰り寄せないとまずいというか、それすら出来ないとなるともう俺の人生何にもならんな、とは思っていた。
"ゴールを決めて行動する"というのは、単に"作品を作る"という目的を持ったことで、自ずとそこに辿り着くためのアクションが決まっただけなんだけど、例えば月5日は撮影をするとか、月5件は誰かの展示を見に行くとか、月1回は暗室に入るとか、そんな感じでルールを作り、あとはそれに従って行動することにした。
決めてしまうと、今度はそれをやらないと気が済まなくなって、休みの日に無理やり詰め込んででも達成する生活になったりして、今思えば我ながら正しい目標設定だった気がする。
手繰り寄せる作業
この頃の自分は、どうしても"写真"のことが頭にこびりついて離れないという人間だったんだけど、そのきっかけと自分にとっての意味を手繰り寄せるために、テキストに書いて客観視することにした。
そして結論的だけど、一番大きなきっかけは数年前の祖父の死だったということに気がついた。
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就職して2年目の冬、母方の祖父が危篤に陥った。幼い頃よく遊んでもらった祖父だったし、慌てて帰郷して入院先の病院に駆けつけた。祖父はこの時96歳、孫が来たことがなんとか分かる程度の状態だった。
今でもよく覚えているけど、祖父はその時、何かを言いながら手を差し出して、握手を求めてきた。手を出したら、祖父の見た目からは想像できないくらい強い握力で僕の手を握り、それが長い時間続いた。なんとなく、何かを伝えようとしたことは伝わってきて、孫としては何かを"受け取った"という印象だった。
その2週間後、祖父は他界した。
葬儀前日、棺に入れるものを選ぶ場に親族が集まってあれやこれやを見ていたら、祖父が長年書いていた日記の最後の1冊を棺に入れてあげて、天国に行ってからも書けるようにしてあげよう、ということになった。
僕はこの時、とにかく無性に日記の中身が気になった。96年生きた人が最後に書いたことって何なのだろう、と。あの握手のことも気になっていた。とにかく見たい。
いてもたってもいられずに叔父に頼んで見せてもらおうとしたら「やめとけ」と一蹴。見ずに棺に入れられてたまるかという妙な執着心に襲われて、叔父の目を盗み日記を抜き出しパラパラとページをめくりながら写真を撮り、素知らぬ顔で元の場所に戻すことに成功した。やったぜ。あとでじっくり読んでやる。
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葬儀が終わり落ち着いてから、写真に写る日記を読むことにした。少し後ろめたかったけど仕方ない。
日記には、祖母が先立ってしまった後の寂しさと孤独を抱える葛藤、同居する叔父とのくだらない言い争いの顛末など(だから叔父はやめとけ言ったのか)、日々あったことを僅かに書き記す中に感情的な内容が散見されるような感じだった。
日記は逝去する2年くらい前に終わっていた。
最後の日付のページは少し長めの文章だった。読み進めていくと、生まれてから96年も経ったこと、毎日同じように日は昇り、沈んでいくこと。いくら長く生きていても、それは同じように繰り返すこと、みたいなことが書かれていた。そして最後の一行にこう書いてあった。
「何年過ぎても今日は今日である」
それを読んだ時の自分はまだ24歳。急になにか得体の知れない壮大なものに包まれたような気がした。この言葉にはどんな意味が含まれているのか、分かった気にすらなれないというか。96年生きた人じゃないと実感出来なそうなことは分かった。
ちょうど葬儀の少し前に、テオ・アンゲロプロス監督の"永遠と一日"という映画を見たんだけど、あの握手と、日記の言葉と、"永遠と一日"という映画のタイトルが妙に重なった感じがしたのをよく覚えている。
そしてこの体験の事を思い出せば思い出すほど、これ自体がとにかくすごく"写真的"だと感じるようになった。同時に、自分にとってこの体験と写真が、すごく大切な事だと思うようになったのだと理解した。
こう書いても果たして人に伝わるものかという疑問は残るけど、こうして自分的には"なぜ写真なのか"という動機が明確になったのだ。
あとは何をどう撮るのか。とりあえず理由だけは手繰り寄せたぞ、というところに立つことができた、27歳くらいの頃の話。