就職してからの話と、写真の学校
マイペースに、と思っていたらずいぶん間が空いてしまった。
もう少し自己紹介がてら、自己回想してみます。
社会に出てから4〜5年、27歳くらいまでは、ひどくつまらない日常を過ごしていた。かといってその後、パッと明るく過ごしているわけではないけど、この頃は特につまらなかった。
世はまだ旧来の日本社会。オフィスの席は固定、飲み会は強制でタバコもくもく、お酌は当然、翌朝お礼に上司の席に頭を下げに行く。
今でも大して変わってないかもしれないけど、何かの組織に所属する安心感みたいなものを無意識に求めていたのかもしれない。
大学で就活していた時、それまで何の人脈も作らずリサーチ力もなかった自分は、訳もわからずリクルートの就活サイトで片っ端からエントリーしてみる、という動き方だった。自分は会社を選ぶ側ではなく、選んでもらう側だという意識が強かった気がする。
こういう雑な社会への出方をしたのは間違いなく自分自身の問題で、他責化するつもりは毛頭ないんだけど、強いて言えば時代性も多少はあったと思う。大学という場所がその後の生き方を教えてくれる訳ではなかったし、世はまだ年功序列、終身雇用の時代だったから、大卒後、どこか名のある企業に就職すればとりあえずOK、むしろそれ(就職)がゴールとして親に学費を払ってもらっていたようなもので、就職が何よりの親への恩返しだとも思っていた。今の若い人から見たら無能な人生設計かもしれないが、自分より上の世代はもっとそうだったと思う。
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就職して2年目か3年目の頃、写真を仕事にしたらどうなんだろうと思って、仕事をしながら通える夜間の写真専門学校に行ってみた時期がある。
スタジオワーク、ライティングが主な内容で、写真が趣味のおじさんから、スタジオに就職したい若者まで幅広い生徒の学校だった。写真は撮っていたけど何がしたいのか分からなかった自分には、再就職してスタジオカメラマンになるという選択はあるのかなという感じのお試しだった。
結論を言うと、自分にはサラリーマン業と大差ないくらいスタジオワークに興味が持てなかった。とはいえ、大前提として"撮りたいわけではない写真を撮る"ということに抵抗があって、そんなこと言ってると何にも広がらないなと今では思うところもあるけど、その頃の繊細な若者だった自分には、撮りたいと思う感覚にどんどん誤差が生まれていく感じが怖かった、という具合だった気がする。
写真を撮る場数で言えば、その頃はまだ街歩きして知らない人のスナップ撮ってても対して文句言われない時代だったし、休日には一日中ブラブラ写真を撮って歩いていたから、自分が何に反応するのかを探す訓練(?)はずっと続けていたし、むしろ仕事としてスタジオワークのようなことをしてしまうと、誤差に気がつかなくなるんじゃないかとか、カメラ持つのが嫌になるんじゃないかとか、そんなことが気になってしまった。
結局1年くらいは通ったんだけど、カメラマンは仕事にしない、という結論でやめてしまった。26歳くらいの頃の話。