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所属することが苦手な人間の、居場所の作り方と考え方

子どもの頃からどこかに「所属する」ことが苦手だった。

毎日決まった時間に同じ場所に行き、同じ人たちと関わるようなことが、どうも苦痛で仕方ない。ゆえに教室は毎日苦しかったし、部活も長続きせず、会社員生活も20代で終わりを告げた。フリーランスとして独立した、などといえば聞こえはいいが、表現的には独立ではなくドロップアウトのほうが適切だろう。

今は発達障害やHSPなど、要因がわかってきたので、自分のような人間に対しても理解が進んできたが、その前は協調性や社会性に問題があるとしか思われていなかった。僕は周りに恵まれたので、あまりひどい評価や扱いを受けたことはなかったけれど、それでも組織になじめないことは、思春期の子どもにとってはなかなか重い問題であったし、将来社会でやっていけるのか、漠然とした不安をずっと抱えていた。

そんな自分にとって、自室のデスクに貼ってあった、大きな世界地図のポスターが、唯一の救いだった。世界地図を見ていると、世界が広く感じられ、ここではないどこかに、本当の自分の居場所があるはずだと思えた。そのような期待が、海外への憧れを膨らませ、その後アメリカに渡ることになる。

世界は確かに広かった。しかしながら、けっきょく本当の自分の居場所など、どこにもなかった。

アメリカの学生生活でも、帰国後の社会人生活でも、あったのは変わらぬ「所属の苦しみ」であり、教室やオフィスでの居心地の悪さだった。別に人間関係でトラブルがあったわけではない。みんないい人だった。それでも苦しいのだから、これはもう体質としか言いようがない。

ただ僕も子どもではないので、「本当の居場所」などないことはわかっていた。集団生活は誰にも大なり小なりストレスはあるものだろう。自分はたまたまそういうのが人より苦手なだけであって、自分なりの社会への関わり方を模索していけばよい。そんな発想に切り替わって楽になったのは、会社を辞めてダラダラしていた30代くらいだろうか。

そして40代の今、さまざまな場所に行き、さまざまな人と会い、さまざまな仕事をしてきた。そんな場所を問わない移動性が、自分にとっての「居場所」であり、たくさんの人と少しずつ関わっている関係性が、自分にとっての「所属」なのではないか、などと思うようになってきた。

現に今は2拠点生活をしていて、どこか特定の場所に住むという意識は希薄だ。そして一ヶ月に一度くらいは別の街にいたりするし、仕事する場所も決まってなく、今も大阪のカフェでこのブログを書いている。

組織にも所属していないから、関わる人は、クライアントであり、仕事仲間であり、友人でもあるような、複数の要素が混じった定義できない関係性になってしまう。

そんな浮遊するように移動し、全体とゆるやかにつながりつつも、固定されない煙のような生き方。それが自分にとっての居場所であり、所属なのかなと、今は思う。社会は学校のように、出席か欠席かの二元論ではない。それぞれ自分に合った関わり方があるはずだ。ならば一番心地よい方法で付き合っていけばいい。

社会にどっぷり浸かることはできない。だからといって山にこもって仙人のように生きることも無理な自分には、社会と距離をとりつつも、うっすらと関わっているような立ち位置がちょうどいいと今は感じている。

居場所なんて場所はそもそもないと気付けば、どこでも「居場所」となるし、所属という概念も一時的な虚像であって、けっきょくは人との関わり方でしかないと気付けば、すべてに所属しているともいえるだろう。学生時代の自分には、狭い教室の外には自由な世界が広がっているぞと伝えてあげたいが、それは教室だけに限らず、社会全体にいえることなのかもしれない。

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