自殺のニュースが多いので、息子には生きることを嫌いにさせないようにしようと思った話
10月3日(土)晴れ
血は争えないのだろうか。最近息子が絵を描き始めた。今までほとんど描いていなかったにしてはけっこううまい(親バカ)。
アドバイスを求められたら対応するが、基本的に放置。そしてできたものを見せにきたらとにかく褒める。それを毎日のように繰り返している。
絵を描くことなら、彼にいろいろ教えることもできるが、彼にまず必要なのは、うまくなることではなく、楽しむことだ。自分のやっていることが好きになって楽しんで続けていれば、技術的なものはその過程で楽に習得できる。そのためには親は邪魔せずに褒め続けるのが一番だと思ってる。
元プロ野球選手のデーブ大久保さんは、息子が通っていた野球クラブの監督があまりにも厳しいので、抗議した上でクラブを辞めさせたとYOUTUBEでおっしゃっていた。「こんな厳しくされたら息子が野球を嫌いになってしまう」というのが大久保さんの主張だったが、僕も深く頷いた次第。
最近自殺のニュースを度々見る。そして日本の自殺率は相変わらず世界的に高いままだ。そんな自殺率を考えると、「こんな厳しくされたら息子が野球を嫌いになってしまう」という話の、「野球」が「生きること」になってしまっている子どもが少なくないのではないかと、推測してしまう。
でなければ、これだけの自殺者数にはならないだろうし、「自尊心」や「自己肯定感」が持てないと吐露する人が多いのも同様だろう。子ども時代に厳しさだけで、満足な承認を得られなかった人は、それを大人になってから取り戻すのは至難の技のようだ。
至っていない人に対して「彼は苦労が足りない」的な物言いをよくするように、日本人は何かと苦労することにソリューションを見出そうとする。好き勝手にやらせてればいい運動さえも、目標を持たせ、「克服」とか「自分と戦う」なんてことをやらせる。どうして楽しいことをわざわざつまらないことに変えるのか。この手のさもしい道徳観はなんとかならないものか。
おそらく日本人に足りないのは、苦労することではなく、楽しむことだ。人から価値を与えられるのではなく、自分で価値を見つけることだ。人から言われたことを「やってるフリ」、「頑張ってるフリ」を世間にプレゼンし続けるような人生を、誰が好きになれるのだろう。
息子には最低限生きることを嫌いにはさせないようにしたいので、好き勝手に絵を描いて、自分のやっていることを存分に楽しんでほしいと思うし、飽きたらすぐやめて次の楽しいことを探してほしい。世界はそのへんの道徳観のように狭くはない。