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2020年代と「円」

1月1日(水)晴れ

元旦の今日もいつもと変わりなく昼ごろに起きた。
家族は旅行に行っていていないし、うちにはテレビもないので、正月的な記号は一切ない。いつも通りのよく晴れた昼下がりである。

とはいえ、部屋に差し込む日差しをぼんやり見ていたら、「無事2020年まで生きることができたのだなぁ」と、なぜかやけに有り難く感じてきた。今年は単に年が変わっただけでなく、ついに2010年代は終わり、2020年代という新たなデケードが始まったのだ。

2000年代は、アメリカ留学から日本で就職して働き始め、2010年代はフリーランスに転向してからアーティスト活動を始めるに至った。

2020年代はどのように変化していくのか、もちろん予定は未定だけれど、たいていその伏線は前の10年に現れるので、なんとなくおおまかな推測はできたりする。

東西冷戦の終結や、インターネットの普及から、グローバル化や米国同時多発テロが起き、そこから国を超えた経済活動や、テロリズムの脅威、移民問題などが発生したように、あらゆるものは因果で繋がっている。

その流れでいえば、2010年代に強まった自国至上主義や異常気象などの諸問題は、2020年代に引き継がれていくだろうし、日本でいえば、少子高齢化や経済停滞、自然災害の激化などの伏線を回収するという、痛みを伴う結果と変化を受け入れざるを得ないタイミングが来るように思う。

そして何より2010年代後半から話題になり始めてきたAIの伏線が、いよいよ現実に影響し始めてくるので、僕はここ10〜20年は、「人類として」新たな変容を遂げる時代といっても大げさではないと思っている。

自分個人の話から、社会的な2020年代の話に脱線してしまったが、なんにせよ、個人も社会も、今までの慣れ親しんでいた物語が、いつのまにか終焉してしまっていることに気づき、愕然とするタイミングが多くなることだろう。時代の変わり目はいつの世も苦労は多い。しかしそこからまた新しい物語が始まるのだ。僕らはその循環の中で生きている。

ここ数ヶ月、また「円」を主題にした作品が多く思い浮かび、今作ってる真っ最中なのだけど、2020年代こそ、「円」の持つ意味性やレトリックが求められる時期になることを無意識に考えているのかもしれないと、この文章書きながら今気づいたところで皆さんよい新年ををごきげんよう。

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