奄美大島で田中一村に会ってきた(南国日記)
奄美大島に行ってきた。
美しい海に、世界遺産の森、マングローブ等、奄美の魅力はたくさんあるが、僕にとって奄美は孤高の画家、田中一村だ。
一村との出会いは高専生の頃。
それまでは日本画というと、暗くて固いイメージがあり、当時はカリフォルニア的なアメリカンイラストレーションに傾倒していた僕にとっては完全に興味の範囲外だったが、一村の絵はまったくの別物だった。
描かれた奄美の自然はとてもビビッドでありながら、日本画独特の風情も感じられ、「こんな日本画があるのか!」とすっかり一村の絵に魅せられてしまった。
それとともに、権威と距離を置き、奄美大島のほったて小屋に暮らしながら、絵描き人生を全うした仙人のような生き様も、思春期の悩み多き自分には希望に思えた。
集団が苦手な自分にとって、毎日通う学校は苦行のような場所であり、正直社会でやっていける自信がなかった。ゆえに例え貧乏であっても、好きな南国の風景に囲まれながら、絵を描いて生きる人生もいいんじゃないかと、一村の伝記を読みながら思ったものだ。
そんな一村の奄美大島にいつか行ってみたいと思いながら、なかなか機会に恵まれず、僕も40代になってしまった。未だに集団には属せないし、社会との反りも合わない。ただそれでもそこそこ快適に生きられるのは、確実に時代に恵まれたからだろうし、もしも一村が現代に生きていたら、もっと楽に制作できたのは間違いないだろう。
そして何よりいい友人になれたのではないかと、「来週時間できたから沖縄行こうよー」的なLINEをするような仲になれたのではないかと、勝手すぎる思考実験をしてしまったりする。
市街地の近くには、一村が最後に住んだ家が記念に残されている。
ノックをしてみた。不在だった。彼は僕が生まれる前年に死んでしまったので当然だろう。
しかしながら、奄美の自然に、海に、空に、至るところに一村の存在を感じるのだ。きっと彼は同じ風景を眺めていたのだろうと、時空を超えて一緒に旅をしているような気分になれるのは、原風景を残している奄美ならではなのかもしれない。空港の近くには田中一村の美術館があるが、僕には島全体が田中一村に見えた。
奄美は期待以上に美しかったし、一村にも会えてよかった。