ナラタージュを読んだ
島本理生先生著のナラタージュを読んだ。
中学生の頃に友人から借り、凄まじい衝撃を受けたことを覚えている。
物語の結末はハッピーエンドが至高で、主人公はもちろん登場人物たちがみんなどこか救われて欲しいと思っていた私にとってナラタージュの結末はあまりに鋭く刺さり、鈍くて重いどろりとした痛みを植え付けた。
この本を読み終わった時にやってきた感情を未だにうまく言葉にする事ができない。
虚しさ、切なさとも違う、現実に起こりうるかもしれない、もしくは今どこかで起きているのかもしれないという恐怖が近いかもしれない。
この話は実際に起きた話で、恋や愛に悩み傷ついた人達がこの世界のどこかにいるのかもしれないと思う程に登場人物たちの心理描写が辛かった。
明確にどう思っているのかを吐露しているのはほぼ主人公のみだが、主人公と関わっていく中で伺える他の人物たちの感情が主人公を通して私をズタズタにするようだった。
中学生というタイミングで読んだのも今思うとまずかったなと思う。
おかげで私の恋愛観だったり人生観の根底だったりどこかしらにこの本の影響を受けていることを思い知らされた。マセガキの自分余計な事をしてくれたなあ。
それでもなんで15年以上前に読んでそんな事になった本を読み返したかと言うと、話の本筋はそこまで関係なかったりする。
主人公が想いを寄せる相手が話の中で主人公に伝えた言葉、それをまた見たかった。
10代後半とか20代前半くらいの頃、私は仕事関係で疲れ切っていた。
まあ完全に病んでいた。
仕事は好きだったけど慣れない通勤電車ではいつも泣きそうになっていたし、帰り道は泣きながら帰ることもよくあった。
それでも辞める勇気はなくて、辞めてしばらくゆっくりするような余裕もなかったので毎日が重く苦しくて、じわじわと真綿で首を絞められているような日々だった。
その時なにがきっかけだったかは忘れてしまったが友人に弱音を漏らした気がする。
前述した、ナラタージュを貸してくれた友人である。
それは弱音だったり愚痴や相談を友達に言うことがなかなかできない私にとって珍しい事だった。
電話だったかメールかも覚えていないが、友人はそんなわたしを心配してくれた。
そして、まだ当時は個人ブログだったりホームページが盛り上がっていた時代で友人も自身のブログを持っていた。
そこに先程のナラタージュの引用があったのだ。
それを読み私は泣き崩れ、少ししてから転職活動をしたと思う。
改めて読んで、このセリフはこんなに早く出たんだなぁ、とか
小野くん(登場人物)を中学生の時はなんでやつだと思って怒りさえ覚えていたけど、いやこれは仕方ないよなぁ…やった事は最悪だけど気持ちは分かるなぁ、とか
今の価値観だと以前とは違うような感じ方をしたり、変わってない部分もあったりで新鮮に読むことができた。
ただしラストシーンで鈍い痛みを感じたのは相変わらずだった。
酷く傷つけられたような気持ちになって今は読み返す気持ちなんて全くないけど、またいつか読み返すんだろうなと思う。
その時がいつかは分からないけど、多分新しい恋をするなり失恋したら読むような気がしている。今、私は好きな人がいて、ちゃんと好いていることが実感できたから。
もし上であげた条件下で読み返すのだとしたら、今の恋が上手くいって終わらなければいいな、と願う。