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全日本シニア〜境界線と後日談〜

この人生でかつてないほど追い込まれている。

昔から僕はこういう人間だ。

口ばっかりが達者で、あーいえばこー言う。
そんな可愛げもないガキだった。
今の僕が当時の自分を見たらやっぱり生意気だなって思うだろう。

そんな僕は昔から天才的なスキルを1つ持っていたのだ。

「圧倒的ポジティブシンキング能力」

どんなことをされても、どんなことになっても大抵のことは「経験だよね」、これ笑い話にできるかも、この悔しさがあるからまた自分は成長できる。

みたいな感じでほとんどの出来事を肯定的に捉えられるのだ。

例えばこの間の話をすると、

朝通勤途中に自転車のチェーンが外れてしまった。
その日は少し早めに行って念入りにアップをして今日の練習に備えようと意気込んでいた日だった。

それがチェーンが外れて、絡まっていて、なかなか取れないし、サビで手は汚れた。「俺はこんなことをするために朝早くに出てきたんじゃない」そう誰にいうでもないのにイライラしていた。

そこでふと思った。

イライラしたところでこの時間は戻せないし、誰かが同情してお金をくれるわけでもない。だったらイライラしてもいいことないな。じゃあポジティブに考えてみようと。
例えば今日は朝早くに出ていたから「アップの時間がちょっと短くなっただけで済んだけど、これがギリギリにいく日や時間がない時だったら、完全に遅刻していた。そういう日じゃなくてよかったと思うと共に、そういう日にチェーンが外れても今なら直し方がわかるから時間をかけずに修理できる。そのために今日きっとチェーンは外れたんだ!って。

本当に変わってると思う。
でも自分の心の持ち方1つで全然目の前の景色は変わってくる。
そういうふうに今まで生きてきた。

でも今は違う。

この鉄棒を失敗してしまったら自分はそれを肯定的に受け止められる気がしない。
そういう意味で本当に怖い。

逆を言えば今までは失敗しても次に生かすための経験になるっていう心の予防線をいつも張っていた気がする。

でもこれで失敗したら「次」はない。

そういう意味でかつてないほど中谷至希は精神的に追い詰められていた。

5種目目鉄棒

今までにないほど目がガンガンに冴えていた気がする。ガンガンというよりもバッキバキという表現が近いか(大した差はないかもしれない)。

大翔の演技が終わったら僕の番だ。

大翔は練習で最近鉄棒で失敗することが度々あった。大体コールマンかウィンクラーで落ちることが多かった。
大翔の演技は見ずに、歓声と鉄棒の音だけで大翔が成功したかどうかを判断する。

もし大翔が落ちたら、自分のプロテクターにつけたタンマを落とさなくてはならないからだ。
応援の声でウィンクラーを持ったことを確認して急いで水とタンマをプロテクターに染み込ませる。

ちょうど演技を終えた大翔とハイタッチをして、プロテクターを閉める作業に入る。

僕のプロテクターは赤ベルトで少しベルトが痛んで、テーピングで補強をしている。
そのテーピングを巻いたことで金具が少し擦れて、プロテクターが付けにくくなり、準備に時間がかかる。

だからこそ無駄な動きなくなれた手つきで淡々と準備に取り掛かる。

心なしか少し早く準備が終わった気がした。
いつもなら落ち着いてイメージトレーニングをしながら呼吸を整えているところだが、こんな状況で落ち着けるわけがない。

審判の合図があるまでの間ずっともう1人の自分に向けてセルフトークを行っていた。

やってやる、絶対にやってやる。できる。

演技が始まる。
右手を上げて自分に喝をいれるように希薄のこもった声で挨拶をする。

いつものルーティンワークを行う。
胸の前に手を持ってきて、右手、左手、右手とベルトがしまってる確認する。
その姿勢のまま目を閉じて脳内でコールマンとチェコ式の抜き、アド1の出すところ、おりでの着地を5秒ほどでイメージする。断片的な感覚だけが体に残る。
後の直樹さんにお願いしますと振り向きながら小さな声で言い、右足から進み出す。
鉄棒よりやや後のところに立つと両手をあげる。手を横に下げると共に鉄棒を見てしゃがんで飛びつく。
ベルトが閉まってて、鉄棒が手に吸い付く感覚を感じる。

さぁスタートだ。

大きく振り出して逆手に持ち変える。
こういう極度の緊張化になると単純なこともできなくなることが多いけど、いつも通り体が動く自信があった。

ツォリミン。ちゃんと軸手にのせて捻りだす。いい滑り出しだ。覚えたての時は本当に怖くてやるのが嫌だったけど、怖さもなくなってからは僕のお気に入りの技の1つになった。

移行をしたらコールマン。僕の演技の中で一番失敗のリスクがある技。
遠ざかって落ちてもダメ。
近寄って肘が曲がってもダメ。
勢いがなくて足を開いてもダメ。

良くも悪くも放れ技のできばえが演技の印象を大きく左右するのだ。

大きい車輪を描きながら足先を常に動かし続ける。
あて、抜き、アフリ。全て自分の感覚通りに動かせた。

持てる、、!!

鉄棒をしっかり確認してから余裕を持って、完璧な位置で持てた。

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バッチリな位置で持ちすぎたから車輪に勢いがつきすぎている。
この勢いのままチェコ式に行って失敗したことが練習で何回かあった。
だから勢いを殺すために少し早めにチェコ式の準備をする。ワンテンポ早く鉄棒を押して足を自分の手と手の間に一気に入れ込む。
気持ちはすごく昂っているのに頭は冷静で焦ってない。
こんな経験今までであまりない。

不思議な感覚だった。
ケステの時も左手の親指が鉄棒に巻きついたが、落ち着いて対処ができた。
おそらく誰にも気付かれていないであろう。

シートホップハーフも得意技でミスるわけない。
大事なのはここアドラー一回捻り。
僕の見せ場。
別にコールマンとかは他の選手に比べると見劣りしてしまうが、チェコ式やアドラー捻り系とかの中技には自信がある。

足をいれるタイミング、腰を伸ばすタイミング、軸手に乗せてひねるタイミング、全てがマッチしなければいい実施はできない。

あぁ。鉄棒の張り具合、捻りをかけた時の手首に体重が乗ってる感じ。

気づいたら倒立付近に綺麗に収まっていた。

その後のアドラーハーフとホップターンもおえあとは着地。

絶対止める。止める。てか止めろ!!

めいいっぱい鉄棒を引っ張り、勢いをつけて空中に飛び出る。
一瞬地面が見えて捻りをかける。
体はぐるぐる回ってひねっているのに視線はずっと着地をする地面だけを捉えている。

ここだっ!!!

着地をする足に力を込める。
ビタ止まりだった。

気づいたらガッツポーズをしていた。
どうやってポーズをするのかわからなくなるほど、迸っていた。

審判にやってやった。見たか!俺の渾身の演技を!
そんな気持ちを込めて挨拶をした。

挨拶を終えてからもう一度ガッツポーズをした。

「シャア!」

自分でもびっくりするくらいの雄叫びを上げた。
今までの人生で一番今が印象的になるんだろう。
そんな感覚になった。

たかあきの種目別決勝の鉄棒の演技を見て感動して、涙したあの日に思った。
俺も鬼気迫る、迫真の演技がしたい。そんな自分になりたい。

あぁ今がその時だ。できたんだ。自分で自分にこの鉄棒の演技には100点をつけてあげようと思った。

点数は14.066で自己ベストを更新することができた。
しかし欲を言えば14.2が欲しかった。

点数はコントロールできないから気にしても仕方ない。
というか今の鉄棒以上の演技はできない。
文字通りやれることはやったのだから意識は次に向いていた。

最終種目ゆか

鉄棒が終わると体育館の端っこにいた亀さんを見つけた。

「やばいです。権利届かないかもしれないです。」

単刀直入にそう伝えた。

「今はやれること最後までやってこいよ」

軽く話したあとそう言われた。

当たり前だけど、トップに来れば来るほど言われる内容はシンプルかつ似た内容になってくる。

当然亀さんも今に集中しろっていうシンプルな意見をくれた。

僕は誰かにそう言って欲しくて、亀さんに話しかけに行ったのかもしれない。

ゆかは3分upを終えベンチコートとジャージ、体育館用のシューズを履き、体が冷えないようにして待つ。

このベンチコートスタイルを練習中にもしているのだが、よくケンタロウにメイウェザースタイルやんっていじられていた。

そんなことを頭の片隅で思い出した。

自分の順番が回ってくる。ベンチコートやジャージを丁寧に畳んでゆかの端の方におく。
練習中の時から決めていたルーティンである。
これが現役最後になるかもしれない。
そうわかっていた。だからこそ、気持ちよく演技に向かいたい。

衣服に向けて合唱を行い一度礼をする。
(いってきます)

床のコーナーに立ち合図を待つ。

本当にこの瞬間が来てしまった。
人生最後かもしれない演技。

演技を開始する。
でも不思議と失敗する気がしなかった。
今ならなんだってできる気がしていた。

正直ゆかはあまり緊張しなかった。
めちゃくちゃ調子のいい時の練習に近い感覚だった。
淡々と技を紡いでいく。

1つ1つ正確に確実に、ダイナミックに。

ラストの3回捻り。
これ着地止めたらあるかな。
止めたいな。

でも結果止まらなかった。
小さく1歩動いた。

しかし、演技としては上出来。
今までで一番いい演技だったことには変わりはない。
練習を含めても一番良かったかもしれない。

でも挨拶を終えて出てきた感情は歓喜ではなかった。

(あぁー、届かんかったかもしれんなー。)

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そんな絶望とも後悔とも、悲しさとも違う、切なさににたような不思議な感情が溢れ出てきた。

クソォ!

今までの日々になんの後悔もやり残しもない。
最後の2種目なんて人生で一番いい演技だった。
それなのに思い描いていた感情にはなれなかった。


直樹さんや待っていた隼人や大翔、宮地さん、廉生とかと話とお疲れ様の握手をした。

試合が終わり得点の集計を行う。
81.198
それが僕の合計スコアだった。

自己ベストなのに素直に喜べない。
自分が思ってるボーダーが最低でも81.5。
これで終わりかもなって気持ちが心の中に広がっていく。
みんなもそれを知っているが決して口には出さない。

そうやって僕の試合は終わったのだ。

応援と順位決定

試合を終え、観客席に挨拶しに行く。

ピロン。

「後でコンビニ行きましょー」
大翔からLINEがきた。
挨拶終わったらすぐ行くわーとだけ返す。

徳洲会の関係者の人はいなかったから、応援してくれていた鹿屋のところに行った。

朝一の試合をした一班の後輩たち。
恩師の村田先生。
兄貴の太希。

後輩や先生たちと写真を一緒に撮ったあと、村田先生と少し話をした。

いい試合やったんちゃう?
上出来やろ。

んー、自分としては狙ってたスコアと狙ってた演技が出来切れてなかったから上出来とは言い難い気持ちが勝ってる。

試合で出てきたのが実力なんで、まぁこれくらいですかね笑

言い訳はしたくない。俺はもっとできます!って言っても結局試合の点数は変わらない。
ダサい真似はしたくない。

そうすると村田先生の隣にいた仙台大学の監督の鈴木先生から話しかけられた。

「これで25番とかやったらどーすんの?交渉とかするんか?」

鈴木先生も俺の契約のことは知ってるみたいだ。

このケースについては試合前にもう答えを決めてる。

至希「いえ。僕の方からやらさせて下さいとは言えません。その時は現役を引退します。」

鈴木先生「でも、25.26位やったら来年の全日本の権利回ってくるんとちゃうか?ここで終わって後悔ないんか?」

あー、すごくありがたい言葉を頂いてるなと素直に思った。
直接なんの関わり合いもない僕のキャリアの事を気にしてくれているのだ。

至希「全日本の権利は一つのボーダーであってそこまで重要なことではないんだと思います。設定した一つの目標を越えれなかったって言う大きな事実が大事です。後悔は残さないように練習してきたので、覚悟はできてます。」

鈴木先生「そうか。確かにそうやな。まぁ後は祈って最終班の演技を待つだけやな。」

そう。本当にその通りだ。
まぁもう俺にできることはないから徳洲会の選手を応援して結果を待つだけだ。

ちょうど話していたら2班終了時の速報が出た。

9番

あー、微妙。

「「「あー微妙やなー。」」」

俺の心の声と同じことを言ったのは村田先生、鈴木先生、そして新潟経営大学の監督である森先生である。

気づいたら森先生とタートルの上田和也さんもその場にいた。
本当にこのひとたちは仲がいいイメージだ。

「もう後は待つだけですね」

そう言ってこの会話は終わった。


気づいたら結構話し込んでいたみたいだ。
大翔からLINEで「先行ってますね」って来ていた。

スマン大翔。

1人コンビニまでトボトボ歩き出した。

意外とコンビニまで遠い。歩いて15分くらいだ。

ちょうどコンビニに着く頃に見知った顔の選手がいた。

「お、まえこうやん」

筑波大学から栃木県体操協会にいった前田航輝だ。略してまえこうとみんなは呼んでいる。

「あ、よしきさんお疲れっすー」

まえこうにちょっと待っててと言ってコンビニで買い物を手早く済ませる。

どうせ帰り道暇なんだ。だったら喋り相手くらい欲しい。

まえこうといろんなことを話しながら帰路につく。

「至希さんこれで権利取れなかったら本当に体操辞めちゃうんですか?」

あ、まえこうも知ってたんだ。
俺が来年の全日本の権利24位を取れなかったら選手を引退しなければならないという契約内容を。

「やめるなー。まぁ仕方ない笑。やるだけやったし。後悔はないよ。まえこうは知ってたんやなこの話。」

「あつしさんから聞いてたんです。でも試合前に聞くと変な負担になるかなって思って何も知らない感じで話してました。」

知らないところで変な気を使わせてたみたいだ。
あつしさんとは俺とまえこうが面倒をみてもらってる共通のトレーナーのことだ。

「もったいないですよ!そんなに体操好きで、めちゃくちゃうまくなってるのに!」

嬉しいことを言ってくれる。
正直まえこうの最初の印象はノリがいいお調子者タイプかと思っていた。
しかし実際全然違っていた。
体操に一途で必死に自分が上手くなるために試行錯誤しながら頑張る人だった。
うん。人は印象で判断してはいけない。
まえこうからそのことを学んだ。口に出して言わないけど。

「まぁこっちもプロでやってるからなー。実際俺は何も実績を残せない可能性が高いし、今まで面倒見てもらってそれだけで感謝しかないって感じだよ。だからもうどうなるかは身を委ねてその判断に従うさ。」

「僕は待ってますからね。至希さんはこんなとこで終わる人じゃない」

そんな暖かさとどこか刹那さを混ざったようなこの会話は会場に到着するともに終わった。

さて団体組の応援だ。

徳洲会は応援してる。もちろん優勝して欲しいし、今回のメンバーならいけると思う。久々の王座奪還。その感動的な瞬間をしっかりと見届けたい。

しかしこっちはそれどころではない。

(あと16人に抜かれれば選手終了)

頭の中にはそれしかない。

もともとマークしていた自分より強い選手の演技を目であっちこっちとおう。

人の演技を見ても結果が変わるわけでもない。
でも何かをしていないと落ち着かないのだ。
まるで窒息してしまうかのように息が詰まる。

本気で応援しているはずなのにどこか上の空。

そのまま時間は進む。自分が試合した時の何倍も早く時間が進むように感じた。


徳洲会の最終種目の跳馬が終わり、あとは結果を待つだけだ。
優勝候補筆頭のセントラルスポーツは今回すこし荒れて試合展開になっていた。
徳洲会も全て完璧というわけではないが、必死に耐えながら試合を繋いでいた。
どっちが勝つかわからないいい勝負だった。

サブ会場でチームのみんなと握手をする。
みんなソワソワしてる感じだ。
勝てたかな、負けたかな。
そんな表情だ。

少しダウンをしたあと、本会場に集まるように指示があった。


あー、あと少しで結果が出るなー。
僕は今まで受験勉強というものをしたことがない。
全て体操の推薦で高校、大学と入っているからだ。
でも受験の合否を待つ人たちってこんな気持ちなのかな。

「でた!!」

誰かがそういった。
ん?何が出たかって?
決まってる。
最終順位が出たのだ。

よっしゃー!
やったー!

そんな声が聞こえた。
うん。もちろん僕の声ではない。
徳洲会が団体でセントラルスポーツに勝ったのだ。
喜ばしいことだ。
とても大事で嬉しいことだけど、素直に言えば今の僕には気にしてる余裕はない。

まるで自分の番号を探す受験生のように、上から順番に自分の名前を目で追いながら探す。
周りが歓喜なムードの中、1人固唾を飲んで、独特な緊張感のもと、人生を左右する決定的瞬間。その数秒間。

(頼む、、入ってて。)

あった。
自分の名前が。

26位 中谷至希 81.198

あ、やっぱりね。
まぁそりゃそうか。

終わりはもっと劇的に何かが変わったりするものかと思っていた。
あー、これで終わりなのかー。

そうポツンと、

マットに寝転がりながら独り言が溢れた。

みんなが騒いでいるのも少し落ち着いてきて、次は俺の話をしているのが、遠くで聞こえる。

「至希どうやったん?」
「26位やって」
「え、惜しい、それってあかんの」
「さぁ、どうなんやろう」

そんな話をしていた。

亀さんが近くに来てくれた。

「どうやった?」

「26位で0.3足りませんでした。これで終わりです。たくさん指導してくれてありがとうございました。」

「かぁー、だめやったか。でもお前はよう頑張ったやろ。うん。頑張ったよ。」

すごく気遣ってくれているのがわかった。しかも亀さんは本心で俺にそういってくれてるのもわかって嬉しかった。
俺も、今の俺を前にしたらなんて声をかけていいのかわからない。
今の俺もみんなにどんな表情をすればいいのかわからない。
ただ、喪失感だけが残り、それを周りに悟られないように気丈に振る舞っていた。
もちろん隠せてはいないが。振る舞おうと努力した。

そんな変な空気だけが俺の周りにあった。


そうしている時に新宅さんが僕の方に来てくれた。

「至希。お疲れ様。」
そう握手してくれた。

今年の4月に僕のことをもっと見てほしい。シニアまで一緒に駆け抜けて欲しい。
そうお願いしてからたくさん僕に声がけをしてくれた大切な人だ。

あ、俺これで終わりなんだな。
この時に僕はそう感じた。

「本当に今までありがとうご、ざいま、、した、」

そう思うと、今まで堰き止めていた涙があふれんばかりに出てきた。

「よくやったよ。こんなにうまくなるとは誰も思ってなかった。すごかったよ」

もうひとりで立つことができないほど、何が何だかわからなくなっていた。

横にいた一矢さんが俺の方にくる。
一矢さんに抱きつくような形でやっと立つことができた。

言葉が出ない。泣きすぎて何を言葉にしたらいいのかわからない。

「まだやりたかったです。終わりたくない。もっとできたんです。」

そんな言葉が溢れる。一矢さんは何も言わなくていいとばかりに俺を支えてくれた。

「お前の頑張りにみんな影響受けてた。よくやった。」


そうして僕の引退試合は幕を閉じたのだった。

後日談

シニアが終わって徳洲会に帰ってきてから3日が経った。

この3日間まともに寝れず、何をしていてもモヤモヤしていた。

今日は監督と今後の話をする。

いつ話があるか分からなかったので、みんなと同じ時間に来てしまった。

10時の整列には僕は並ばない。
あー、心が痛い。
あそこに自分がいないのを受け止めれない。

やることもないし、練習しようかなと思っていた。

だけど、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。
もう俺がここで練習をする資格がないとでも言われてるような感覚だ。

もちろん誰もそんなこと思ってない。
そう思ってるのは自分自身だ。

とにかく体育館でやることがないから、トレーニング室で走る。

音楽を聴きながら、ひたすら走る。
まるで自分のモヤモヤや不安を拭いたいかのように。

30分、40分と汗でダクダクになって足がもつれるくらい走ったところでとりあえず走るのをやめる。

結局モヤモヤは無くならなかった。

監督との話がその後行われた。
現役生活を振り返った話、監督から見た中谷至希という人物の話、これからの話。

話の後は体育館に行って挨拶を行う。

選手、先輩、スタッフ1人1人に感謝の気持ちと結果報告を伝える。

そう一人一人に。

その時嬉しかったことがあった。
けんたろうと話した時、

「お前はよく頑張ったよ。ようやったよ。至希からいつも刺激もらってた。至希がいてくれてよかった。ありがとう。」

と言ってくれた。

元々は徳洲会の人たちにやる気を伝染させられるような熱い選手になると誓ってここに入社した。
けんたろうのその一言で俺はここで選手をやってよかったなと思えた。

最後に会ったのはたかあきだ。

「至希さんお疲れ。ようやった。ほんまお疲れ様」そう言って握手を交わした。

「終わっちまったー。ほんま今までありがとうな。こんなことは言いたくないけど、俺の、俺の分まで、、、がんばっ、て、な、。」

あーあ、やっちまった。
そう思った時にはまた大粒の涙が溢れ出ていた。
たかあきもはぐきてくれた。
大学の時にはお互いイザコザがあって関係が悪くなったこともあった俺たちだけど、本当に尊敬してる人。
これで一緒に競技をすることも無くなっちゃったなー。

そう思えば泣けるのも当たり前である。

そんな俺とたかあきを見て、何故かタケルも泣いている。
可愛いやつだ。さんざん冗談で俺のこといじってたくせに、こういう時には本当に素直なやつなんやから。これからも大活躍しろよ。

そー言えばしんのすけも泣いてたな。

でもこうやって現役を終えることで、誰かに泣いてもらえるってそれだけで嬉しいなと感じた。

みんな応援してるぞ。

そして、俺は1人だけのロッカーに入ると泣いた。

人生で1番泣いた。

泣きすぎて両腕が痺れた。

あー、この思いは一生忘れちゃいけない。

絶対に今後この思いを昇華できるほどの何かを成し遂げなければならないのだ。

後日談②

「みんなー!先生の名前は〜?」

「「「よしき先生ー!!!」」」

「よしき先生鉄棒やりまーす!」

「セーの、ガンバー!」

30人ほどの子供の前でプチ演技会。こんな風になりたい、そう思ってほしくて、ちょっと難しい技もした。

「えー!肩どーなってんの!?」

うん。やっぱりチェコ式はウケがいいな。

伸身宙返り1回捻りで華麗に着地を決める。

「はい拍手ー!!」

パチパチパチパチー!

現役の時から生活は一変した。

でも体操が好きという気持ちは変わらない。
いや、むしろこんなに体操が好きだったんだと気づけた。

今でもたまに練習もしている。

少しの解放感ともう体操だけ考えなくなるのかという切なさと、新しい人生の幕開けというワクワクを胸にまた新しい人生をこれからも中谷至希は歩んでいく。

人生ってそういうものなのだろう。

〜完〜



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